連載小さな変化を大きな気付きに~MCIを知る

災い転じて無事施設へ、もしも発症していなければ――認知症患者ルポ第3弾

公開日

2025年01月23日

更新日

2025年01月23日

更新履歴
閉じる

2025年01月23日

掲載しました。
65440d8ff0

認知症は増加の一途を辿っており、2025年には患者数は約700万人になると推計されている。高齢化に伴い介護する側・される側が両方とも65歳以上の“老老介護”となることも多く、家族が大きな負担を強いられる場面も少なくない。最近では「認知症になる一歩手前の状態」、MCI(軽度認知障害)があることも知られてきた。認知症と診断された鈴木千恵さん(80)(仮名)の家はゴミであふれ近所からの苦情が絶えない。千恵さんの弟、田中健一さん(78)(仮名)とその妻美智子さん(75)(仮名)は、なんとか千恵さんの資産を把握し、ついに介護付き有料老人ホームに入居できるめどがたったが……。「知らなかった」で後悔してほしくない――シリーズ・小さな変化を大きな気付きに~MCIを知る、第4回は家族の視点からみた認知症患者さんのルポ第3弾。

施設に入る資金のめどはたったけれど

健一さんと美智子さんは、認知症と診断され一人暮らしがままならない千恵さんを一刻も早く施設に入所させようと奔走した。ゴミが山積みとなった家を片付けながら預金通帳を探し出し、渋る千恵さんをなんとか説得して約2年をかけて資産を把握した。

「千恵さんは旦那さんが亡くなっていて、子どももいなかったから、親族は私(健一さん)と私の兄弟しかいないんだよ。兄弟の中では私が一番若いし、幸いまだ元気で動けるからやれることはやろうと思うけれど、お金だけはどうしようもない。自分たちの老後の資金に手を付けてしまったら、私たちが路頭に迷ってしまうからそれはできないんだよ。千恵さんの資金で何とかするしかない」

介護施設は大きく分けて公的施設と民間施設がある。そのうち、一般的に認知症に対応可能なのは、公的施設の特別養護老人ホーム、民間施設の介護付き有料老人ホームとグループホームだ。特別養護老人ホームは、要介護認定*で要介護3以上と認定された方が対象で、低価格でサービスを受けられ看取りまで対応可能なので人気だが、待機者が多くなかなか入居できない。民間施設は施設ごとに異なるが一般的に幅広い介護度の方に対応が可能で、個人のニーズや経済状況に合わせて入居先を選べるが公的施設よりも費用がかかる。千恵さんの場合、幸いなことに健一さんと美智子さんが把握できた資産で、近隣の介護付き有料老人ホームの入居金と今後20年ほどの月額費用を支払えるめどがたった。しかし、千恵さんは頑として首を縦に振らなかった。住み慣れた自宅での生活を続けたかったと同時に、昔の養老院**のイメージに引きずられ施設に対するネガティブな気持ちが強かったようだ。

*要介護認定:介護サービスの必要度(どのような介護が、どの程度必要か)を判定するための制度。聞き取り調査とかかりつけ医の意見書をもとに、介護認定審査会で審査・認定される。介護を必要とする度合いによって、要支援1~2、要介護1~5の7段階に区分される。

**養老院:かつては高齢者が入居する施設のことを制度上、養老院または養老施設と呼んでいた。1963年に制定された老人福祉法によって「老人ホーム」が正式名称となった。

「熱中症になってくれてよかった」

「地域包括支援センター*の方にも相談したんだけれど、本人が納得しないなら施設は無理ですって言われちゃってもう八方ふさがりよ」

万策尽きたかと思われたが、2024年夏、思わぬ事態が転機となって千恵さんは施設に入ることになった。

「去年の夏は猛烈に暑かったでしょう。千恵さん、熱中症で倒れて救急車で運ばれたのよ。でも、熱中症になってくれてよかったのかもしれないわ。救急車で搬送された病院の先生がとても親身になってくれて、『認知症のため一人暮らしはもう無理です』って意見書を書いてくれたのよ。本人にもかなり強く説明してくれてね、権威と学歴がある人からの言葉でようやく納得したっていうわけ」

搬送先は急性期病院だったため、入院してから原則2週間で退院する必要があった。そのため、一度別の病院に転院した後、最終的に自宅に近接した地域の介護付き有料老人ホームに入居することができたのだ。

*地域包括支援センター:介護保険法に基づき市町村が設置する施設で、ブランチを含め全国に約7,400か所ある(2023年4月末時点)。保健師、社会福祉士、主任介護支援専門員などが配置され、介護予防ケアプランの作成や必要な医療・介護サービスへの連携などを行う。

資金があっても使えない、そんな事態も

介護付き有料老人ホームの入居金と月額費用の支払いには、千恵さんが取引のあった銀行の「金銭信託」という仕組みを利用して千恵さん自身の資産を活用する手はずを整えることができた。「金銭信託」とは、利用者が資金を銀行に預け、銀行があらかじめ決められた方針に沿って資金を管理・運用し、利用者はその収益を受け取る金融商品だ。その銀行ではこの仕組みの中で、契約者本人のほか指定した代理人も医療費や介護費を引き出すことが可能だったのだ。

「これから認知症の人がどんどん増えてくると思うけれど、制度面の整備が追い付いていないと感じたね。本人の資産があってもそれを活用するのが本当に大変なんだよ。『成年後見制度』は家庭裁判所が後見人を指定するから、必ずしも親族が指定されるとは限らないんだ。信頼できる人に出会えればいいかもしれないけれど、私たちがいろいろなつてをたどって会った弁護士さんと司法書士さんはお任せしたいと思える人ではなかったね。『家族信託*』も認知症になる前に契約しておくことが前提の制度だから、なってしまってからでは遅いんだよ。実際に身の回りの世話をしている親族が柔軟に本人の資産を引き出せるようでないと、使えるものがあっても使えない人も多いと思うよ」

*家族信託:資産を持つ人が特定の目的(今回の場合、介護などに必要な資金の管理)に従って、保有する預貯金などの資産を家族に託して管理を任せる仕組み。

「花に囲まれて暮らしていたんじゃないかな」

会話がかみ合わない、連絡が途絶えてしまうなど、二人が何かおかしいと気付いたとき、すでに千恵さんは認知症を発症していたと思われるが、実は認知症には「一歩手前の状態」がある。それはMCI(軽度認知障害)と呼ばれ、本人や家族が自覚できるほどの認知機能の低下がみられるものの、基本的な日常生活は問題なく送れている状態を指す。認知症との大きな違いは、「自立した生活が送れているかどうか」だ。1年間で約5〜15%の人がMCIから認知症に移行する一方で、約16〜41%の人は正常な状態に回復することが分かっている。科学的な効果が認められた対策としては、生活習慣病の改善、適度な運動、バランスのよい食事などが挙げられる。

もしも認知症にならなければ、千恵さんは今頃どんな生活を送っていたのだろうか。

「生け花が好きで毎月先生のところに習いに行っていたし、お弟子さんも4~5人いたんだよ。庭いじりも好きだったから、きっと花に囲まれてきれいな家で気持ちよく過ごしていたんじゃないかな。きっと趣味に生きていたと思うよ。もう少し早く気付けていたら、か……遠方に住んでいる場合はなかなか気付くのは難しいかもしれないね」

PIXTA

写真:PIXTA

取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。