軽度認知障害(Mild Cognitive Impairment:MCI)は認知症でも健常な状態でもない、「中間のような状態」とされる。認知機能のレベルが“年相応”よりも低下した状態で、MCIから一定期間内に認知症に移行する人、MCIレベルにとどまる人のほか、正常レベルに回復する人もいる。福岡県久山町で60年以上にわたって住民の調査が続けられている「久山町研究」から、九州大学大学院医学研究院 衛生・公衆衛生学分野 二宮 利治教授が、正常に復帰する人の割合や要因などを解析し、2025年9月に金沢市で開かれた第40回日本老年精神医学会で発表した。発表の概要などについて二宮教授に取材した。
研究では、2012年の時点でMCIと診断された高齢者の認知機能が、2017年までの5年間、2017年から2022年までの5年間でどう変化したかを調べた。2012年時点でMCIと診断されたのは187人、平均年齢は約77歳だった。2017年の調査を受診しなかった12人を除いた175人のうち、死亡した人が27人(15.4%)、正常認知機能に戻った人が55人(31.4%)、MCIのまま変わらなかった人が43人(24.6%)、認知症に進んだ人が50人(28.6%)で、正常認知機能に戻った人がやや多かった。
2017年にMCIと診断された人を5年後の2022年に調べた結果でもほぼ同じ傾向がみられた。この割合は年齢によっても変わり、MCIの診断時に75歳未満だと、5年間で正常に戻る人が約51%、認知症に進む人が約15%、死亡7%だったのに対し、75歳以上では正常に戻る人が約22%、認知症に進む人が34%、死亡17%で、75歳未満の人はそれ以上の人に比べて正常に戻る割合が2倍以上高かった。
さらに、2012年から2022年まで追跡可能だった171人の調査結果は、正常認知機能に戻っていた人は31人(18.1%)、MCIの人が26人(15.2%)、認知症に進んだ人が43人(25.2%)、死亡が71人(41.5%)となった。

国立長寿医療研究センターの「MCIハンドブック」によると、医療機関でMCIと診断された人が認知症になるのは「1年で1割程度」とされている。二宮教授は「医療機関でMCIと診断されるのは比較的進行した方が多いため、地域住民の方に比べ認知症に移行する割合が高いのかもしれません」と話す。
どのような条件だと、MCIから正常認知機能に戻りやすいかについても解析した。具体的な条件としては、
正常に戻りやすいという結果が出た。それ以外にも収縮期血圧(上の血圧)が低い人、降圧薬を飲んでいる人、握力(筋力の指標)が高い人、コレステロール値が低い人、抑うつ状態でない人、脳容積が大きい人、白質病変**の容積が少ない人は戻りやすいというデータが得られたという。
これらの条件について二宮教授は、「私たちが行っているのは介入研究ではなく観察研究***なので、条件を満たせば正常に戻りやすくなると断定はできません。ただし、MCIと診断されても生活習慣病をきちんとコントロールし、筋力を保つことで認知症に移行するリスクを低減できる『可能性がある』とはいえると考えます」と話す。
*IADL(Instrumental Activities of Daily Living=手段的日常生活動作)障害:買い物や食事の準備、服薬・金銭の管理などの動作を行う能力が低下した状態。
**白質病変:主として脳内小血管の動脈硬化などに伴う慢性的な血流低下や、炎症・脱髄などにより、脳白質における神経線維(軸索)や髄鞘の変性、微小梗塞(びしょうこうそく)などの構造変化が生じた状態。
***介入研究と観察研究:人を対象とする生命科学・医学系研究で、疾病の原因や治療・予防方法の改善、病態の理解などを目的に、研究者が調査対象者に治療やプログラムなどの介入を意図的に割り付け、その介入の有無や種類による病気のなりやすさや症状の変化の違いを比較して因果効果を評価するのが「介入研究」。同じ目的でも治療や指導などの介入を伴わず起こっていることを観察するのが「観察研究」。
二宮教授らの別の研究で、久山町では2012年以降、認知症の人が減る傾向にあるというデータも得られているという。
1988年から2002年調査(約10年ごと)にかけて、65歳以上の男女の認知症発症率が大きく伸びた。年齢層ごとの伸びを見ると、85歳以上の発症率に大きな変化はなかったが、75~84歳の発症率が約2.0倍と85歳未満の発症率が上昇していた。ところが、2012年の調査(同上)では90歳未満の全年齢層で発症率が低下に転じた。
臨床背景を探ると、2012年の調査(同上)では対象者全体の傾向として
――などがあった。
これらの背景から二宮教授は「血糖値や血圧、コレステロール値をきちんとコントロールするなど生活習慣病を予防することで、認知症の発症リスクが下がる可能性が示唆されたと考えられる」と解説する。
アルツハイマー型認知症の進行を遅らせる「抗アミロイドβ抗体薬」2剤が保険適用となっている(2025年11月現在)が、いずれも脳に病変などがある場合は「禁忌」に該当するため使用できない。二宮教授は「このような薬を使ううえでも、脳の健康を保っておく必要があるといえます」と指摘する。
そして、これまで紹介した2つの研究から、脳を健康に保つためには、生活習慣病予防を早く始めるほど効果的と考えられる。
厚生労働省が推進する国民の健康づくり運動「健康日本21(第3次)」で「胎児期から高齢期に至るまで人の生涯を経時的に捉えた健康づくり(ライフコースアプローチ)の観点も取り入れることが重要である」とされたことについて、二宮教授は「ライフコースを通じて健康意識を変えることは、正しいアプローチだと思います。あるとき突然『健康を意識しましょう』といわれても、人間は簡単に変われません。認知症予防においても、より早い段階から健康の意識を変えていくことが重要であるといえると思います」とまとめた。
「久山町研究」は、外国と比べて死亡率が高いとされた日本人の脳卒中の実態解明を目的に、九州大学医学部第二内科(現 病態機能内科学)の勝木 司馬之助教授(当時)によって1961年に福岡県久山町の40歳以上の全住民を対象に始められた疫学研究。久山町は福岡市の東側に隣接し、人口は約9,400人(2025年10月末)。福岡都市圏に位置しながら自然も残る環境にある。住民は全国平均とほぼ同じ年齢・職業分布を持っており、偏りのほとんどない平均的な日本人集団とされる。これまでの追跡率は99%、40歳以上の住民を約10年ごとに集団に新しく加え、生活習慣変化の影響や危険因子の変遷も推察できる。
当初は脳卒中の疫学研究として始まったが、最近では医学部衛生・公衆衛生学分野を中心にさまざまな診療科の研究者が参画し、研究テーマは生活習慣病全体に広がっている。
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