遠方で一人暮らしをする親の介護はある日突然、仕事の繁忙期やキャリアの節目に重なるように訪れます。都内で働く佐藤さん(仮名)もその1人。もの忘れが増えた母への違和感を「年齢のせい」と自分に言い聞かせていたものの、それとは裏腹に、母の認知症は徐々に進行していました。「仕事は辞められない、けれど母のことも……」と葛藤しながら仕事と介護の両立を模索した佐藤さんに、遠方に住む家族には見えにくい認知症のサインや、親の認知症のリアル、そしてプロの助けを借りるための“第一歩”についてお話を聞きました。
【取材協力】 佐藤さん(仮名):東京都在住、60代会社員。92歳の母を都内の施設で介護中。
私の母は、とにかくバイタリティのある女性でした。1934年生まれで、義務教育期間の全てが戦時中。長女として異母妹たちの子守りに明け暮れる子ども時代を過ごしましたが、手に職をつけるため故郷を飛び出したと聞いています。美容師の免許を取って自分の店を持ち、夫(私の父)が亡くなってからも、60代で仕事を辞めるまでバリバリ働いていました。私が18歳で上京してからは年に1回帰省する程度の関わりでしたが、孫が生まれたときや、私がどうしても仕事を休めないときには、遠方から駆けつけて助けてくれる頼もしい存在でもありました。
だからこそ、私はどこかで「母はずっとしっかりしている」「ボケるはずがない」と信じて疑わなかったのだと思います。
母がアルツハイマー型認知症と診断されたのは82歳のときです。“認知症のサイン”が現れたのは、その6年ほど前のことでした。夏に実家へ帰省した際、近所へ買い物に行くという母に「麦茶を買ってきて」と頼んだのです。しばらくして母はいつものパンだけを買って帰ってきました。「麦茶はどうしたの?」と尋ねると「売ってなかった」と言います。真夏に麦茶が売っていないはずはないので、きっと忘れたのだろうと思いました。でも、歳だから忘れっぽいのは仕方ないとしても、なぜ嘘をついてごまかしたのだろう――それが最初の違和感でした。
翌年に帰省すると、母は“おかしなこと”を言うようになっていました。たとえば「隣の家の人が土地の境界線を数cmずらしている」、「庭にゴミを捨てていく人がいる」など。しかし、実際の状況を詳しく説明することはできず、人を疑う気持ちばかりが強いように見えました。そこで、一人暮らしで不安を感じているのかもしれないと思い至ったのです。
私は仕事のため東京へ戻らなければなりません。そんななかで何かできることはないか、母の生活に張り合いを持たせる方法はないかと考えて思いついたのが、犬を飼うことでした。母は昔から犬が好きだったし、番犬がいれば不安も紛れるかもしれません。私は、母を連れてブリーダーの下へ行き、コーギーの子犬をプレゼントしました。
その後、電話で様子を尋ねてみると、母は子犬の世話を楽しんでいるようで、これはよいアイデアだったと安堵したのです。
ところが、それから数年が経ったころ、コーギーは4歳という若さで亡くなってしまいました。母からの電話で訃報を聞いたときはショックを受けましたが、さらにショックだったのは、受話器の向こうから犬の鳴き声がしたことです。「どうしたの」と聞くと「新しい犬を買ってきた」と言います。驚いて購入先や犬種を尋ねましたが、返事は要領を得ません。声の調子は元気そうでしたが、このころから母の症状は一段と進行していったのかもしれません。
決定打となったのは、次に帰省して夕食の準備をしているときでした。母が、おかずの足しにと冷蔵庫からカマボコを出してくれたのですが、深い緑色をしています。裏を見ると賞味期限は1年前で、その緑色は全てカビでした。「いつ買ったの」と聞くと、母は「おととい」と答えました。私が「そんな腐ったものを売るなんて、どこの店よ」と問いただすと、辻褄の合わないことを言い続けます。
このとき、私は初めて「これはおかしい、これが認知症……」と背筋が寒くなりました。
その後、事態は急速に悪化しました。また夏に帰省すると、家の中が異様な臭いを放っていました。大きな原因は、水道管が老朽化して水漏れが起こっていたことでした。水漏れに気付いた母は、修理を依頼するのではなく、水を使うときだけ屋外にある水道の元栓を緩め、使い終わったらまた元栓を閉めることで対処していたようです。その結果、トイレを流すのが面倒になり、入浴や洗濯もしなくなり、ひどい臭いを漂わせていました。犬の世話もできなくなり、2匹目の犬は毛も爪も伸び放題。糞尿にまみれた毛布や衣類の山の上で寝起きしていました。さらに、直近の2か月ほどは水道の元栓を締めることを忘れていたようで、水道料金の請求書を見て思わず息を飲みました。20万円を超えていたのです。
帰省している数日間で、まずは役所に相談して水道管の工事を行いました。そして大掃除です。トイレと犬の寝床の掃除は、ただもう悲しかったです。
実家の惨状を目の当たりにした私は、ついに福祉サービスの利用を決意しました。家族が調べてくれた「地域包括支援センター*」に相談することを決め、私は母が住む地域の施設へ電話をかけました。担当となったケアマネジャー(介護支援専門員)さんからの最初の助言は、「まずは受診して、認知症の診断をつけましょう」というものでした。
不安を抱えながら、ケアマネジャーさんに付き添ってもらい地元の病院へ。そこで正式に「アルツハイマー型認知症」という診断がつきました。最初の違和感から約6年、ようやく介護保険サービスを利用するための第一歩を踏み出したのです**。
*地域包括支援センター:市区町村が設置している高齢者のための総合相談窓口で、介護、福祉、保健などの側面から必要なサポートを行う施設。もの忘れの不安に関する初期相談などに対応している。
**介護保険によるサービスを利用するには要介護認定の申請が必要であり、市区町村が認定調査を行う際には、主治医が作成する主治医意見書が必須となる。主治医がいない場合は、市区町村の指定医の診察を受ける。
次回、「認知症の母と6日間で実家じまい――仕事と介護の両立を目指す【第2回:決断編】」は2月上旬公開予定です。
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