東京で働きながら、遠方で一人暮らしをする認知症の母をサポートしていた佐藤さん(仮名)。しかし、仕事の合間に相次ぐケアマネジャー(介護支援専門員)さんからの連絡や、母が自宅にため込んだ大量の督促状に対応するうちに、「母の一人暮らしを支えるのは限界だ」と痛感します。佐藤さんが下した決断は、仕事を続けながら母を東京へ呼び寄せるための「実家じまい」でした。認知症発症から約15年、穏やかな介護にたどり着いた佐藤さんにお話を聞きました。
【取材協力】 佐藤さん(仮名):東京都在住、60代会社員。92歳の母を都内の施設で介護中。
(前回から続く)母がアルツハイマー型認知症と診断され、介護保険サービスの利用を始めました。週3回デイサービスに通い、週4回ヘルパーさんに訪問いただくようになりました。入浴や洗濯ができなくなっていた母は、デイサービスでお風呂に入れてもらい、ヘルパーさんに洗濯していただいた服を着て、見違えるほど清潔になりました。民生委員*の方も見守りに加わり、私はいったんはホッと胸をなでおろして東京に戻ったのです。
しかし、安心したのも束の間。仕事中、私の携帯電話にはケアマネジャーさんたちからの電話が相次ぐようになりました。終業後に留守電を聞いては対応する毎日で、だんだんと精神的に追い詰められていきました。
ある日の報告は「お母様がロウソクを枕元に置いて寝ています。火事が心配です」というもの。母は、電球が切れたのを放置してロウソクの明かりを使っていたようです。ヘルパーさんに電球の交換を依頼し、何度ロウソクを目につかない場所に片付けても、母はロウソクを買い直してしまうのでした。
それに続いて「お母様が消防車と警察を呼んでいました。急いで話し合いに来てください」と連絡があり、血の気が引く思いで航空券を予約。帰省して直接話を聞くと、幸いにも想像したような事件は起こっていませんでした。実際には、地域の避難訓練の最中に何度も消防士に話しかけたり、荷物が届いていないかと交番へ聞きに行ったりしたのを、民生委員の方がケアマネジャーに報告した際に事実が混同されて伝わってしまったというのが真相です。しかし、このようなことが頻発すれば、そのたびに遠方から話し合いに赴かなければなりません。
*民生委員:厚生労働大臣から委嘱された非常勤の地方公務員で、自らも地域住民の一員として相談に応じ、高齢者の見守りなど必要なサポートを行う。
母に施設へ入居してもらうことを検討し始めた私の背中を押したのは、お金の問題でした。ヘルパーさんから「家に督促状がたまっています」と連絡が入ったのです。私の東京の自宅宛てに送ってもらうと、電気やガス、固定資産税などの督促状が山のようにありました。中には「財産差し押さえ」という強い言葉が書かれた黄色い封筒もありました。
母の口座には年金が入っているはずなのに……。その週末にもまた帰省し、「誰かに騙されたのでは」と疑いながら通帳を探すと、枕の下やベッドの下から隠された現金が次々と出てきました。母なりに警戒して隠したのでしょう。そして、ようやく見つけた新品の通帳を手に銀行へ向かったところ、窓口での回答は「この通帳は無効です」。何回か通帳を紛失し新しいものを再発行していたため、失効していたようです。家に戻り、別の通帳を見つけては銀行へ行く作業を繰り返しました。
翌日、ヘルパーさんと共にやっと再発行後の有効な通帳を見つけ、引き落としされなかった謎が解けたのです。原因は、母が通帳を「年金受給用」と「引き落とし用」に分けていたことでした。用心して毎月の支払い分だけを引き落とし用に移していたようですが、お金を移すことを忘れ、残高不足になっていました。
詐欺にあったのではなくてホッとしましたが、遠距離介護はもう維持できないと痛感した私は、実家を売却し母を東京へ連れて行く決断をしました。
私は、母と夫と相談しながら「実家じまい」の段取りを始めました。休暇は1週間。その間に、実家の売却、家財の処分、母と犬を東京へ連れて帰るという全てをやり遂げなければなりません。
初日は、あらかじめ手配していた不動産業者と買い手への対応、家財処分業者への依頼を済ませ、夕方に実家へ到着。お世話になった民生委員の方が来て、ペット用のキャリアケースを譲ってくださりとても助かりました。
2日目は母を連れて役所を回り、印鑑証明や転出届の手続きを行いました。午後は弁護士の訪問を受け、認知症である母の売却意思を確認し、無事に契約書への押印を完了しました。
3日目からは本格的な片付けです。母が自分で縫った着物や浴衣などもたくさんありましたが、今は最低限の荷物しか持って行けません。母もそのことを理解した様子で、共に思い出の品を分別しました。
4日目、私が母の病院で診断書と紹介状を受け取る間に、手伝いに加わった夫の立ち会いの下、業者が家具やゴミを運び出しました。
5日目には全ての片付けが終了し、ガスを止め、近所へ挨拶を済ませました。
引っ越しの朝に問題が起こりました。数分目を離した隙に、母が家の裏で火を焚いていたのです。煙の臭いに気付いて駆けつけると、枯草に炎が上がっていました。母は「最後だから庭をきれいに」という思いだったのかもしれませんが、一歩間違えば……。泣きたい気持ちを抑えながら夫と消火にあたりました。
休む暇もなく、最後の難関である移動が待っていました。犬を飛行機に乗せるにはいくつかの規定があり、夏季期間に入ると輸送が中止されるため、“今日中に乗せなければならない”というタイムリミットがあったのです。夫と2人で、母と犬を抱えるようにして飛行機と電車を乗り継ぎ、何とか東京の家へ辿り着きました。
東京に来た母は、平日は有料老人ホーム、週末は施設から外泊して私の自宅で過ごすことになりました。平日はレクリエーションに取り組み、自宅では一緒に料理を作ったり思い出話をしたりして楽しそうでした。
しかしある週末、私が犬の散歩に出た隙に、母が居なくなってしまったのです。すぐに行方不明者届を出し、探し回りましたが見つかりません。深夜1時過ぎ、パトロール中の警察官に保護されたと連絡が入りました。自宅から6km先のベンチに座り込んでいたそうです。安堵で号泣しました。
その後はいっそう気が抜けなくなりました。一方で、母が施設でお世話になっている平日は、仕事に集中できるようになったことがありがたかったです。
月日がたつと今度は「生まれ故郷へ帰る」と言うようになりました。施設では毎日荷物をまとめ、テレビの配線も引き抜いて出口に積み上げるのです。そのたびになだめながら荷物を解くのは悲しかったですが、施設の方は「穏やかな生活ができていますよ」と励ましてくださり、救われた思いがしました。その後、母の故郷への帰省もかなえることができました。
認知所の症状に気付いた日から約15年。現在92歳になった母は、コロナ禍で症状が進行し、私の自宅へ来たりうまく会話をしたりすることは難しくなりました。それでも穏やかに過ごせているのは、プロによる手厚いケアのおかげです。週末だけ会うという適度な距離感も、共倒れを防ぐための“ゆとり”になりました。
「親の介護は自分ですべき」と考える方は多いかもしれません。しかし、遠距離介護で心身共に疲弊した経験から、早めに地域包括支援センター*をはじめとした専門家の手を借り、個々の状況に合った相談をすることが大切だと気付きました。自分だけで抱え込まないことが結果的に、納得のできる介護につながると思います。
*地域包括支援センター:市区町村が設置している高齢者のための総合相談窓口で、介護、福祉、保健などの側面から必要なサポートを行う施設。もの忘れの不安に関する初期相談などに対応している。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。