腸の炎症や潰瘍などの異常がないにもかかわらず、お腹の調子が悪くなり日常生活に支障をきたす「過敏性腸症候群(IBS)」。近年、身近な病気としてよく聞かれるようになりましたが、薬を飲んでもなかなか治らないと治療を諦めている方や、「もしかして私も?」と思いつつ病院を受診していない方も少なくないようです。川崎医科大学 検査診断学 教授の眞部 紀明(まなべ のりあき)先生に、過敏性腸症候群の特徴と、発症に影響する「脳腸相関」、治療選択肢の1つである漢方薬などについてお話を伺いました。

はじめに、過敏性腸症候群の患者さんで漢方薬による治療がうまく合ったケースをお話しします。30歳代の男性で、半年前からお腹の張りや苦しさ、痛み、下痢の症状が少しずつ悪化して、薬を飲んでもバスなどの公共の乗り物で遠出をするのが難しくなったと来院されました。症状が強くなるのは食後や何らかのストレスを感じたときだと言います。また、お腹が冷えるような感覚があり夏でも腹巻をしているということで、大建中湯(だいけんちゅうとう)を処方しました。その患者さんは少し痩せていたので通常の半量から始め、症状が落ち着くまで辛い料理や冷たい飲み物を控えてもらったところ、2週間ほどで症状が上向きになってきました。さらに継続するとお腹の張りが改善し、今まで飲んでいた薬を減らすことができました。
過敏性腸症候群とは、簡単に言うとお腹の調子が悪くなって、日常生活に影響が出てしまうような病気です。治療は、生活習慣の改善や食事療法により自律神経の不調を元に戻すことから始めます。
生活習慣の工夫だけで症状をコントロールするのが難しい場合、薬物療法が検討されます。主な治療薬には、消化管運動機能調節薬、セロトニンのはたらきを抑えるセロトニン5-HT3受容体拮抗薬、腸管内の便の水分量を調整する高分子重合体、腸内環境を整えるプロバイオティクスの薬があり、漢方薬を使用することもあります。多くの場合、これらの薬を組み合わせて治療を進めます。
ストレスや不安感が強い患者さんには抗不安薬や抗うつ薬を用いることがありますが、症状がよくならない場合は心療内科もしくは精神科で専門的な自律訓練療法や心理療法が行われることもあります。
漢方薬の使用が検討されるのは特に次のようなケースです。
1つは、西洋薬では症状が十分に改善しない場合です。治療を続けながら漢方薬を追加するか、漢方薬に切り替えることがあります。
西洋薬の副作用が気になって飲みにくいという場合にも、漢方薬は西洋薬に対して比較的副作用のリスクが低いといわれているため、切り替えを検討することがあります。
「便秘と腹痛と不眠」のように複数の症状を抱えている患者さんも、漢方薬がうまく合えば改善する可能性が十分に考えられます。
さらに、根本的な体質改善のため腸内環境を整えたいと考えている方には、腸内細菌のエサとなる「膠飴(こうい)」が含まれる漢方薬も候補の1つとなるでしょう。
漢方薬の大きな特徴は、複数の生薬が組み合わされており作用点が多岐にわたるということです。西洋薬の場合は1つの成分から構成されることが多く、たとえば消化管の運動を亢進する、もしくは亢進しすぎたものを正常化させるなどピンポイントで作用します。一方、漢方薬では、自律神経のバランスを整える、内臓知覚過敏を改善する、不安感を和らげるといったさまざまな作用があるといわれており、患者さんの体質や症状に合わせて選択されます。
私が過敏性腸症候群の治療で選択することの多い漢方薬は主に次の5つです。「桂枝加芍薬湯(けいしかしゃくやくとう)」、「桂枝加芍薬大黄湯(けいしかしゃくやくだいおうとう)」、冒頭の患者さんに処方した「大建中湯」、「加味逍遙散(かみしょうようさん)」、「半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)」です。
この中でも1つ目に挙げた「桂枝加芍薬湯」は、腸の過剰なはたらきを和らげる作用があるといわれており、腹痛やしぶり腹(便意をもよおして頻繁にトイレへ行くが少ししか便が出ない状態)に対して用いられます。また、消化管運動そのものを調節するという意味で、便秘と下痢どちらの治療でも選択肢となります。このような点が漢方薬の非常に興味深いところです。
「桂枝加芍薬大黄湯」は、便秘に用いられる大黄湯が含まれており、便秘型の患者さんや、腹痛やしぶり腹のある方にも効果が期待できます。
「大建中湯」は、お腹の張りを改善する作用があるとされている漢方薬です。腹部の冷えや痛みがある方に効果が期待できます。
「加味逍遙散」は、イライラ感やストレス、それに伴う便秘などの改善が期待でき、月経前に症状が悪化するような女性の患者さんによく用いられます。
「半夏瀉心湯」は、下痢などの下部消化器症状とともに、みぞおちのつかえや吐き気などの上部消化器症状にも作用するといわれています。
漢方薬を飲み始めたら、まずは1か月ほど服用を継続することが大切です。基本的には2週間ほど服用し、症状が少し上向きになっていると感じたらもう少し継続するというスタンスでよいと思います。約2週間服用してもまったく効果がない場合には種類を変更したり、ほかの病気が隠れている可能性を考えて検査を追加したりすることがあります。
過敏性腸症候群は、腸が非常にデリケートな状態になっているとイメージすると分かりやすいかもしれません。通常、食べたものは消化吸収されて便となり体の外に出ていきますが、過敏性腸症候群になると腸の動きに乱れが生じ、主に腹痛が起こって排便すると楽になることが多いのが特徴です。腹痛には便の形と排便回数が関連しており、「下痢型」に分類される方では、急にお腹が痛くなり水のような便が出て症状は一時的に楽になります。「便秘型」と呼ばれるお腹の張りが苦しくてコロコロした便しか出ないタイプの方や、便秘と下痢を繰り返すタイプの方もいます。こうした症状が1週間に1回ほどの頻度で3か月続くと過敏性腸症候群の可能性が考えられます。これは「RomeIV」という国際的な診断基準ですが、日常診療では必ずしも3か月待たなくてもよいと考えています。すなわち、日常生活に支障が生じているなら病院を受診するとよいでしょう。
過敏性腸症候群の発症には「ストレス」「内臓知覚過敏」「消化管運動異常」の3つの要因があり、これらが単独ではなく互いに影響し合う「脳腸相関」が病態に大きく関わっていると考えられています。
要因の1つである「内臓知覚過敏」とは、通常なら知覚しないような刺激に過敏に反応してしまう状態です。内臓知覚過敏が起こると、お腹にわずかなガスがたまるだけでも強く張りを感じたり、それが引き金となって腹痛を感じたりすることがあります。「消化管運動異常」とは腸の動きに乱れが生じた状態であり、ストレスを強く感じたときに引き起こされることが分かってきています。腸のはたらきに関わる自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスが崩れてしまい、交感神経のほうが優位になると腸のぜん動運動が抑制されて便秘が起こり、反対に副交感神経が優位になると腸の動きが盛んになりすぎて下痢が起こるのです。こうした異なる症状が生じるのは、人によってストレスへの反応の仕方が違うためだと考えられます。
近年では、腸内環境の変化や、細菌性腸炎などの感染症の後に発症する場合があること、一部の患者さんでは遺伝的な要因があり得ることも分かっています。
過敏性腸症候群は短期間の投薬で完治する病気ではなく、焦らずじっくり病気に向き合うことが必要です。便秘型の方は特に便が出ないことが気になると思いますが、まずは朝食後にトイレに行く習慣をつけるなど、少しずつ生活習慣の改善に取り組んでいきましょう。ストレスからくる腸の不調を断ち切るためには、ウォーキングやストレッチといった適度な運動を取り入れるなど、体がリラックスできる時間を作ることも大切です。
多くの方が悩んでいる一方、症状やつらさが理解されにくい側面のある病気ではありますが、治療によって元の生活を取り戻すことは十分可能です。治療法には漢方薬も含めて複数の選択肢があり、同じような症状の患者さんでも同じ薬が合うとは限りません。自分に合った治療法を選択するためには消化器内科、もしくは漢方薬による治療を受けたいと思ったら漢方薬を専門とする医師に、相談していただきたいと思います。
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