武藤真祐先生は多様なキャリアを経てきました。東京大学医学部卒業後、循環器内科医として三井記念病院に勤務し、宮内庁で天皇皇后両陛下の侍医となりました。その後、ビジネスの世界へと転身し、マッキンゼーでは、コンサルタントとして製薬企業などへの戦略策定なども経験しました。まさに医療とビジネスの第一線で働かれた武藤先生は、現在、東京文京区および宮城県石巻市で在宅医療を中心とした診療所を経営しています。患者さんは高齢者が中心とのこと。なぜ武藤先生は在宅医療の道を選んだのか、お話を伺いました。
私がそもそも医師を志したのは、幼かった頃にデパートで開かれていた野口英世展に行ったことがきっかけです。貧しい家に生まれた野口英世氏が、世界中の多くの患者さんを救うために人生を捧げたということに、強く心をうたれました。自分も「困っている人を救うことに一生をささげたい」と思い、医師になる夢を持ちました。昼夜を問わず必死に勉強し、無事に東京大学医学部に入学することができました。医学部を1996年に卒業し、卒業後は循環器内科医として医師の道を歩み始め、臨床に研究に没頭する日々でした。
33歳の時に大きな転機が訪れました。当時の教授に推薦してもらい、宮内庁侍従職侍医に任命されたのです。天皇、皇后両陛下の医療を担当する医師のことです。両陛下の日々のお供から、外国へのご訪問まで二十四時間体制でお仕えすることになりました。両陛下にお仕えする中で、「国全体」という枠組みで物事を考えるようになり、私自身も日本人の一人としてこの国に対して貢献したいという思いを強くしました。
現在の日本の医療は、多くの課題が顕在化してきています。たとえば、急性期病院の職場環境は非常に過酷で、スタッフはみな疲弊しています。患者さんに対して十分な時間やエネルギーをとることが出来ずに、医師と患者さんの信頼関係が崩れてしまいそうになる場面に何度となく遭遇しました。
こういった医療課題に対して、現場の視点も持ちながら、もっと大きな枠組みで解決することが出来ないかと思うようになりました。そのためにはいったん医療の世界を離れ、外の世界で経験を積むことを決意しました。
そのために選んだのが、問題解決のスペシャリスト集団である経営コンサルティング会社マッキンゼーです。マッキンゼーでは非常に優秀で意欲旺盛な仲間とともに、国内外の企業のコンサルティングを行いました。経営コンサルティングは激務と言われる世界ですが、循環器内科医として病院で働いていたので、決してつらいとは思いませんでした。むしろ、ロジカルシンキング、リーダーシップ、ファシリテーションを徹底的に教えこまれる環境でしたので、日々新鮮なことばかりでエキサイティングでした。
マッキンゼーで2年間働いてみて、コンサルタントの仕事も刺激的でしたが、やはり患者さんを診ることに自分が生きがいを感じるということを再確認しました。「困っている人を救うことに一生をささげたい」という、野口英世に胸を熱くした頃の初志に戻ってきたわけです。
また自分の医師としてのあり方についても考えました。循環器内科医としてカテーテルのスペシャリストになるという道もありました。しかし、私自身は高度な技術を追求していくことよりも、患者さんや家族と出来るだけ時間をかけることができ、喜びや悲しみを共有できる場にいたかったのです。したがって、現場にもっとも近く、患者さんや家族に寄り添える場所として、在宅医療の道を選びました。
先端医療や救急医療の現場からは離れることになりましたが、ためらいはありませんでした。私は、在宅医療の世界こそ「高度医療」の世界なのではないかと考えています。医療技術はロボット手術や自動診断など、ますますオートメーション化が進んでいきます。ただし患者さん一人一人の命にどう向き合うのか、患者さんやご家族とどのように信頼関係を構築していくかという、医師の人間的な力は決してオートメーション化することはできません。患者さんやご家族と対話しながら、人生の最期をどのような形で過ごすのかを考える在宅医療は、本当の先端医療なのだと思います。
また、在宅医療がこれからの社会にとって非常に重要な役割を果たすと考えたのも、私が在宅医療を選択した理由です。高齢化が進む中で、自宅で最期を迎えたいという患者さんが非常に多く増えています。自宅で過ごされる高齢者に対して365日24時間の医療を提供する在宅医療はこれからますます重要になってきます。
そんな在宅医療の世界でイノベーションを起こすことが出来れば、日本の医療課題解決の一助になるのではないかと考え、2010年に在宅医療を中心とした診療所「祐ホームクリニック」を立ち上げることにしたのです。