脚がもつれ、階段の昇降ができなくなってしまったり、両腕から手指がしびれ、ボタンがけなどの細かい作業が困難になる原因が「首」にあることもあります。本記事で取り扱う「頚椎症性脊髄症」は、加齢に伴う頚椎の椎間板の傷みにより、日常生活に支障を来す深刻な症状を引き起こす疾患であり、大半は手術治療を要します。頚椎症性脊髄症の手術法と合併症について、杏林大学医学部付属病院副院長の市村正一先生にお伺いしました。
本記事で解説する「頚椎症性脊髄症」は、記事1で取り上げた「頚椎症性神経根症」と混同されやすいものの、病態も治療法も異なるため、明確に違いを理解することが大切です。
頚椎の中心部には脊髄が通っており、脊髄からは神経根が上肢(腕)に向けて伸びています。
加齢により変性した椎間板や突出した骨棘が、神経根ではなく脊髄を圧迫する疾患が、今回解説する「頚椎症性脊髄症」です。
※ただし、頚椎症性脊髄症と頚椎症性神経根症を同時に発症することもあります。
頚椎症性脊髄症の原因は加齢です。そもそも「頚椎症」とは年を重ねることで頚椎の間に位置する「椎間板」が傷んでしまい、クッション性を失ってつぶされ周囲へ突出するように変性した状態のことをいいます。
椎間板の変性は20代頃から始まり、どの神経を圧迫するかによって痛みやしびれが現れる部位も疾患名も異なるものとなります。
「頚椎症性脊髄症」は、頚椎症により脊髄が圧迫される病態であるため、このような名称で呼ばれるというわけです。
頚椎症性神経根症の症状は、左右どちらか一方の上肢(腕)に現れますが、頚椎症性脊髄症の場合は両側の脚や腕により深刻な症状が現れます。
イメージしやすいように、神経を水道管に喩えてご説明します。脊髄が地下を通る太い水道管だとすると、そこから枝分かれする神経根は各家庭に水を届ける細い配管に喩えることができます。ですから、神経根が圧迫された場合はどこか一家庭の水が出なくなるわけですが、太い水道管である脊髄が圧迫されてしまうと、複数の配管に水を送ることができなくなるのです。これが、両腕や両脚に症状が現れる理由です。
頚椎症性脊髄症の症状の多くは「しびれ」や「麻痺」であり、頚椎症性脊椎根症のように「痛み」がみられることはあまりありません。
頚椎症性脊髄症の患者さんに最初に現れることの多い症状は手指のしびれであり、次いで手の細かい運動が障害されたり、階段を降りるときに脚がふらついてしまい、手すりを使わなければ歩けなくなるという症状が現れます。
このように、症状が両脚に現れて「歩行障害」を来してしまうこともあれば、両腕に麻痺が起こってボタンのはめはずしができなくなったり、箸を持てなくなってしまうこともあります。このような細かな作業ができなくなることを「巧緻(こうち)運動障害」といい、日常生活に支障を来します。このような四肢の麻痺症状を「脊髄症」といいます。
また、頚椎症性脊髄症では、尿が出にくくなる(排尿困難)、トイレが近くなる(頻尿)、便秘といった「膀胱直腸障害」も現れることがあります。中には手指が軽くしびれるだけで済む方もおられますが、上記のような症状(脊髄症)が出ているようであれば手術治療を選択します。
脊髄が走る管を脊柱管といいます。脊柱管の前後の幅のことを脊柱管前後径(せきちゅうかんぜんごけい)と呼び、この幅が狭い人ほど脊髄が圧迫されやすくなります。
脊柱管前後径の広さは出生時には一様であり、広くなるか狭くなるかは成長段階で決まります。このため、個人固有の脊柱管の狭窄(狭くなること)を「発育性の狭窄」といいます。
脊柱管前後径が狭い人であっても、10代などの若い方であれば特に症状は現れません。しかし、加齢により椎間板が傷んで後方に膨隆し、また骨棘が突出してくると、脊髄は前方から圧迫されることになります。
加えて、椎間板の変性により頚椎がグラグラと異常な動きをするようになると、頚の後ろ側にある黄色靭帯が厚みを帯びて(肥厚)しまい、脊髄を後ろからも圧迫するようになります。黄色靭帯の肥厚は、椎間板の変性により生じる異常なストレスを抑えようとする生体の反応であり、骨棘が形成されるメカニズムと同じ理由で起こります。特に頚椎を後ろに反ると黄色靭帯がより肥厚し脊髄が圧迫されやすくなります。
このように脊髄が前方からも後方からも圧迫を受けるため、もともと脊柱管前後径が狭い人は、広い人に比べて容易に頚椎症性脊髄症になってしまうのです。
また、脊柱管前後径が狭い方で頚椎症性脊髄症を発症している場合、脊髄の圧迫は一か所のみでなく複数箇所で起こっているという傾向があります。そのため、手術では脊髄が通る脊柱管を広げるための「脊柱管拡大術」を行うこととなります。
頚椎症性脊髄症の手術にも、頚の前方からアプローチする方法と、後ろから行う方法があります。
脊柱管前後径がもともと狭い患者さんの場合は、基本的に後ろからアプローチし、後方から脊髄の圧迫を除圧する方法をとります。
この際、広がった椎弓を安定させるため、人工骨を使用します。手術後早期に離床し、リハビリを開始できるため、高齢者の場合は第1選択となります。
ただし、脊柱管前後径が狭い方であっても、変性した椎間板や骨棘が前方から脊髄を高度に圧迫している症例であれば前方法を選びます。
手術では、頚椎症性神経根症の手術と同様、膨隆した椎間板や骨棘の突出を除去します。ただし、頚椎症性脊髄症では2か所、3か所と圧迫部位が複数にわたることも多いため、全ての圧迫を取り除くために複数の椎間板を除去することもあります。すると必然的に骨の欠損部位は大きくなるため、頚椎の固定のために大きめの腸骨(骨盤の骨)を採取し、空洞となっている部分に移植する必要が生じます。
頚椎症性神経根症の手術では人工骨の使用について触れましたが、上述のように骨移植を要する範囲が大きい場合は、骨癒合しやすいよう全て自家腸骨を使用します。
※人工骨は自家骨に比べて骨癒合には不利になります。
ただし、圧迫箇所が複数だとしても、連続的に骨を取り除いて大きな空洞を作らねばならない場合と、椎間の1か所1か所断続的に除去して小さな空洞を複数作る場合があります。このため、使用する腸骨の量や大きさも症例ごとに異なるものになります。
このように脊柱管拡大術の方法も様々であり、病態や脊柱管前後径の狭さに応じて使い分けをしています。
脊柱管拡大術に伴う合併症には、指や脚は動きやすくなったものの、一時的に肩のみが上がらなくなるというものがあります。(頚椎5番から出ている神経の一時的な麻痺)
ただし、頻度は全体のうち約5~10%であり、症状は半年ほどで回復しますので、過剰に心配する必要はありません。
尚、患者さんやご家族から「手術により大きな麻痺が残り、車椅子生活になるのではないか」とのご質問をよく受けることがあります。四肢麻痺などの合併症が全くないと断言することはできないものの、現在においてはその心配はまずないと考えてよいでしょう。
また、後方からアプローチする場合には、頚の後ろ側の筋肉を剥離するため、手術前の痛みとは異なる軽度の首の痛みやこりが現れることがあります。時間と共に軽減しますが、軽度の頚部痛は持続することもあります。ただしこの症状も手術法の改善に伴い、近年では減少しています。
また、日常生活には支障を来さないものの、頸の可動域がやや制限されることがあります。たとえば、タクシーの運転手の方が頸部をひねるようにしてお客さんからお金を受け取る動作がし辛くなりますので、職業も考慮して手術法を選択する場合もあります。
脊柱管拡大術の長期成績は良好で、術後10年、20年といった長期間安定しています。
頚の前側には食道や声帯を動かす反回神経があるため、合併症としては食道損傷や反回神経麻痺(嗄声、枯れ声)が挙げられます。ただし、このような合併症が起こる頻度は決して高くはありません。
手術の前には手術法のメリットとデメリット、合併症とその頻度、長期成績などを十分に説明します。また、病態だけでなく年齢なども考慮したうえで、患者さんと直接相談しながらご本人にとって最もよい手術方法を決めていきます。
頚椎症性脊髄症で麻痺症状(脊髄症)が出ている場合は、保存療法の効果はあまり期待できないため、手術を行ったほうが明らかにその後のQOL(生活の質)が向上します。患者さんやご家族の方にはあまり過度な不安は抱かれず、良くなること期待して前向きなお気持ちで手術を受けていただきたいとお伝えしたいです。
杏林大学医学部付属杉並病院 院長、杏林大学医学部付属病院 杏林大学医学部客員教授(整形外科学)
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