インタビュー

国民皆保険継続の危機-医療分野における番号制度の導入が医療の質と効率化を実現する

国民皆保険継続の危機-医療分野における番号制度の導入が医療の質と効率化を実現する
森田 朗 さん

国立社会保障・人口問題研究所 所長

森田 朗 さん

この記事の最終更新は2016年12月19日です。

現在の日本の医療制度は、すべての国民を国民健康保険など何らかの公的医療保険に加入させる国民皆保険制度です。今や国民の誰もが、保険証一枚でほぼすべての医療機関にかかることができます。しかし、高齢化や医療技術の発展を主とする医療費の増大によって日本の医療保険財政は苦しくなり、国民皆保険制度の継続が難しくなってきています。

「今、危機に瀕している日本の医療制度に変革が必要」と語るのは、国立社会保障・人口問題研究所の森田朗所長です。森田所長に現状の医療制度の課題と解決に導く提案をお伺いしました。

現在の国民皆保険制度では、必要な医療費(支出)をまかなうために、入ってくる保険料(収入)だけでは足りないので、公費を投入しなければならないという問題があります。これは、将来的に国民皆保険制度が限界を迎えることを意味しています。これまでも足りない分を税金で埋めてきましたが、現在の国の赤字財政や人口減少を考えると、そろそろその方法も限界です。

お札

そのため、限りある保険財源をどのように活用するか、つまりどこまで保険でカバーするかが今後の大きな課題です。

この課題を解決するには、

・自己負担割合の見直し

・保険適用対象サービスの見直し

が必要であると考えています。

わが国では、原則として保険適用の場合、保険と自己負担の併用は認められていません。従って、医療保険に加入する国民は、一般の勤労世代が3割、75歳以上の高齢者が1割、未就学児は2割というように、一定の自己負担をしています。この自己負担額は、若干の例外はあるものの、一律で定められているものです。

私は、所得や資産によって負担率を変えるなど、個人によって負担額を変える必要があると考えています。所得や資産の多い方にはそれに応じた費用負担をしてもらい、少ない方の負担を軽減して、そのような方にも治療を受けられる仕組みを整えることが必要でしょう。

それは、特に高齢化が進行する中で顕在化しつつある年金生活者や低所得者の受診抑制を防ぐことにもつながります。そうしなければ、保険財政は持続性を失うことになるでしょう。

もうひとつのポイントは、保険適用の対象の見直しです。少ないコストで効果の高い薬や治療法を保険適用の対象にすることができれば、医療費の削減につながります。

現在、日本で試行的に行われているものとして、ヘルス・テクノロジー・アセスメントという費用対効果評価があります。これは薬と医療機器を対象とし、その費用対効果をはかるものです。たとえば、既存薬と比較して効果効能が1.5倍であるのに対し、価格が2倍の薬があったとします。この場合、費用に対し効果が見合っていないということができます。ヘルス・テクノロジー・アセスメントは、このように費用対効果を評価して評価の低い薬を保険適用しないか、あるいは価格を下げるという決定をするために実施されている手法です。

しかしながら、薬の効果を客観的・科学的に測定することはそう簡単ではありません。多大なコストもかかります。これをいかに実践していくかということが、今後の課題です。

ヘルス・テクノロジー・アセスメントの実現のためには精密なデータが必要です。日本は、世界的に見ても膨大な医療データを保有しています。オープンデータで一部公開されるようになったレセプトデータ(患者さんが受けた保険診療について、医療機関が保険者に請求する医療報酬の明細書)もそのひとつですが、これは診療報酬、請求のためのデータなので、患者さんが実際に治ったかどうかまではわかりません。一方、患者さんの治療実績や経過は各病院が持つカルテに記載されています。つまり、各データは存在しているのですが、現状では、それらのデータを患者さん毎にひも付けができていないため、データを医療のために活用できていないのです。

保険適用対象のサービスを正しく判断するためには、個々の患者さんの治療経過と結果のデータとともに、データ同士のひも付けが必須です。

現在の日本の医療制度における大きな問題点は、患者さんの健康をトータルでケアするためのデータを誰も保有していないということです。このように、さまざまなデータベースが作られているにも関わらず、データの蓄積やひも付けができていない現状は、とてももったいないことだと思います。

学校健診

日本の場合、小学校や中学校で学校健診を実施しています。これは個人の健康を管理する上でとても貴重なデータです。もしも小学生や中学生の時点で病気の兆候がわかれば、その後の予防や治療につながります。

しかし、この学校健診のデータは紙で管理されており、卒業後5年経過すると廃棄されるそうです。なぜ捨ててしまうかというと、紙でデータを保存するのは大変ですし、そもそも学校健診は就学に支障がないかを確認するためのものであり、健康管理のために実施しているわけではないからだそうです。

学校健診以前で考えると、妊娠した時点で母子手帳が渡されます。その後は乳幼児健診があり、予防接種も行っています。このように、日本では生まれたときから公的機関で個人の健康情報を有しているにも関わらず、情報の蓄積は行われていません。

ライフヒストリーのような形で個人の健康情報を蓄積することは、健康管理を推進し、また必要以上の投薬や治療を防ぎ的確な診断を行うために重要です。

そこで私が提案したいのは、医療分野における番号制度の導入です。番号制度の導入は、個人の情報を横に並べビッグデータとしての役割も果たします。たとえば、どの薬が効いて、どの薬が効かないか、どのようなリスクがあるかまで整理することができます。それにより、保険適用の範囲を正しく判断することにも近づくと思います。

番号制度

また、もしもそこに所得や資産の情報を結びつけることができれば、所得に応じた保険負担を実現することもできます。個人の病歴や所得というのは、本来知られたくない情報だと思いますが、番号をつけたからといって、個人情報が必ず漏れるというわけではありません。現在はIT技術も発達し、セキュリティーの仕組みもあります。リスクは皆無とはいえないものの、それを考慮しても、これまで述べてきたように番号制度の導入が効果的だと考えます。

個人に番号を割り振り、データを管理するための鍵となるのは、IT技術です。蓄積されたデータを、医師や医療従事者がいつでも見ることができるようネットワーク化が必要です。

ヨーロッパのエストニアでは、番号制度を実際に運用しています。エストニアはマイナンバー制を導入し、インターネット上の「X-Road」というプラットフォームを介して、医療分野、公共分野のほか、民間分野(金融、電気、通信など)も含め、多岐にわたるサービスに関する情報を連携しています。これは、国民の利便性向上とデータの有効活用に取り組んでいる先進的な事例です。

このように、世界に視野を広げると実例もあります。医療の分野で情報を管理することは、昔は夢物語でした。データ量が膨大であることに加え、解析するためのコストもかかるからです。しかし現在はIT技術が発達し、その夢物語が実現可能な状態まできています。もちろん試行錯誤による改良は必要ですが、コスト削減と医療の質の向上を両立するために大きなメリットがある提案だと考えています。

高齢者の方を診療する医師

特に、今後高齢化がますます進行する中で、番号制度とそれに伴うネットワーク化は、重要になると考えています。今後高齢者が増えていく中で、複数の診療科の受診が確実に増えてきます。心臓が悪くなり内科を受診し、腰が痛み整形外科に行くというように、複数科の受診は今後ますます増加するでしょう。その際、同じ薬が処方されていないか、重複検査がなされていないかを知ることができれば、無駄な検査や投薬を避けることにもつながりますし、他の診療科での受診結果の情報は、診断に当たって重要です。

単身の高齢者が増えていく中で、患者さん本人が自身の健康を管理するのは難しいことです。特に、認知症の患者さんの場合、自身の健康管理はとても困難です。医師側が患者さんの病歴や治療歴を把握することができれば、より効果的で効率的な治療ができます。

また、高齢化の進行は、在宅医療の割合が増えることを意味します。高齢の患者さんが複数の疾患を抱える場合、総合医の存在は不可欠ですが、日本では昔から専門医が主流でした。経験があり、名医と呼ばれている医師であっても、その専門外の診療を確実に行えるとはいいきれません。

そこでIT技術により、個々の医師や病院をつなげるネットワーク化を実現できれば、多くの症例を共有することが可能になります。すると、専門外の症例も研究することができ、適切な診断・治療の一助になります。

加えて、番号制度により症例のデータ化が進めば、地域医療にも役立ちます。たとえ地方の医師であっても何十万、何百万の症例の分析結果を確認することが可能になり医療の質の向上につながります。

特に、人口が減少することで症例の減少が予想される地方の農村部にとって症例のデータ化は有効です。たとえば、地域医療に従事する若い医師にとって非常に心強い診療支援ツールになることでしょう。

さらに、高度な専門医の知識や技術がネットワークを通じて入手可能になれば、効率的で医療の質の向上につながります。例をあげると、高度の放射線医で画像診断が専門の医師はたくさんの症例を研究し、技能を高めることが重要です。ネットワーク化が実現されれば、このような専門医の高度な知識や技術をどの医師でも享受することが可能になります。

また、遠隔診療の実現にもつながる可能性があります。地域のプライマリーケアに従事する医師が対面診療を行い、その医師が集めた情報を専門医が確認し、フィードバックを行うということも今後可能になることでしょう。このような仕組みは少しずつ実施されてきていると思いますが、よりシステマティックにできるよう制度化が必要と思います。

高齢化が進行し、人口が減少していく中で、いかに医療の質を落とさずに効率化するかは重要な課題です。私が提言してきたよう医療の世界に番号制度を導入し国民の健康情報をデータ化することは、医療の質の維持と効率化の両立へ向けた第一歩になると考えています。もちろん、セキュリティーの仕組みやデータのひも付け方法など、検討事項はあります。

番号制度を実際に運用しているエストニアなど、世界では実例も出てきています。時間はかかることですが、国民の健康を守る上で、効果的な方法のひとつであることは間違いないと思います。