生まれつき特定のアミノ酸を代謝できない乳児のためにつくられた食品「特殊ミルク」。このミルクは、そうした乳児でも使用できるように成分が調整されており、疾患を抱える乳児にとっては生きてゆくうえで欠かせない食品です。
特殊ミルクが開発されてから64年、当初このミルクは先天代謝異常症の患者さんのためにつくられた食品でしたが、その後そのほかの疾患でも活用が検討され、現在では様々な疾患を抱える患者さんで使われるようになりました。さらに特殊ミルクを使用する患者さんは子どもだけではなく成人でも使われるようになり、特殊ミルクの使用者数は増加し続けています。
そうした背景から、いま特殊ミルクの安定供給に問題が生じてきています。疾患を抱える患者さんにとってなくてはならない特殊ミルク、その安定供給を実現するにはどのような解決策が望まれるのでしょうか。記事1に引き続き、仙台市立病院小児科部長であり、特殊ミルク共同安全開発委員会、日本小児医療保健協議会治療用ミルク安定供給委員会にも参画されている大浦敏博先生に、いま問題が生じ始めている特殊ミルクの安定供給についてお話を伺いしました。
特殊ミルクについてはこちらの記事1『特殊ミルクとは? 先天代謝異常症などの治療に使われる特殊ミルクについて専門家が詳しく解説』をご覧ください。
特殊ミルクは4つのカテゴリがあります。
①市販品
②医薬品
③登録特殊ミルク
④登録外特殊ミルク
それぞれのカテゴリによって、ミルクの入手の方法は異なります。
①市販品に分類されるミルクは、薬局で販売されている薬剤(医薬部外品)と同様に、薬局で入手できます。
②医薬品に分類されるミルクも皆さんのご存知の病院から処方される薬剤(医療用医薬品)と同様に、医療機関で医師から処方箋をもらい、薬局の処方箋受付からミルクを入手することができます。
しかし③登録特殊ミルクと④登録外特殊ミルクは市販品や医薬品ではないため、こうした一般的な入手経路とは違った方法で入手しなければいけません。
登録特殊ミルクや登録外特殊ミルクは、市販品や医薬品ではないため直接、乳業メーカーからミルクを供給してもらう必要があります。
また特殊ミルクは治療に用いられる医療用食品であることから、医療機関を通して適正に、そして迅速に供給される必要があります。そのため登録特殊ミルク・登録外特殊ミルクであっても、患者さんやその保護者の方が直接乳業メーカーからミルクを引き取るのではなく、恩賜財団母子愛育会総合母子保健センター内にある特殊ミルク事務局があいだに入る仕組みが作られました。こうして特殊ミルク事務局が発注や流通を一括で管理されるようになりました。特殊ミルクが必要な場合は、主治医から特殊ミルク事務局に申請を出し、承認後、乳業メーカーから医療機関のもとへミルクが送られます。そうして主治医のもとに届いたミルクは、主治医による使用法の指導を経てから、患者さんへと手渡されます。
これまで各カテゴリのミルクの「入手の仕方」についてご説明してきましたが、次にご説明するのは「特殊ミルクの費用の負担者」についてお話していきます。この特殊ミルクの費用の負担こそが、ミルクの安定供給を左右する大きな問題の根源になっています。
まずは想像がつきやすい市販品や医薬品の特殊ミルクについてみてみましょう。
市販品の特殊ミルクは、薬局で販売しているため乳業メーカーが金額を設定し、患者さんが有料で購入をしています。
また医薬品の特殊ミルク(フェニルケトン尿症とメープルシロップ尿症)はいずれも小児慢性特定疾病の医療費助成の対象となっているため、この助成制度を利用している場合には特殊ミルクの金額(医療費)の一部は国が負担し、残りの自己負担分の金額は患者さんが支払います。
では登録特殊ミルクや登録外特殊ミルクはどうでしょうか。
患者さんは登録品も登録外品も無料で入手しています。これはどちらも乳業メーカーが多大な負担をしているお陰です。これらのミルクは乳業メーカーが病気の患者さんのためにボランティアで提供しているという位置づけでつくられているものです。
記事1で述べた様に、1980年に発足した特殊ミルク共同安全開発事業で「先天代謝異常症の治療に必要なミルクであり、患者数が多く治療効果が十分に期待できるもの」が登録特殊ミルクに分類されました。しかし、特殊ミルクを必要とする先天代謝異常症の患者数は大変少なく、また疾患の種類が多いので乳業メーカーにとっては採算の取れる部門ではありません。特殊ミルクの安定供給のためには国費からの助成が不可欠と考えられましたので、「登録品」に分類された特殊ミルクは製造、保管、輸送などに掛かる経費の50%が公費で助成されることになりました。また、児童が対象の助成金であるため対象年齢は20歳未満とされました。
一方、登録品から外れた特殊ミルクは登録外品に分類され、助成対象外となったため、全額乳業メーカーの負担で、患者さんには無料で供給されることになりました。
ここまでの特殊ミルクのカテゴリとその入手方法・金額の負担をまとめるとこのようになります。
①登録特殊ミルクと登録外特殊ミルクは、乳業メーカーの多大な負担のもとで提供していること
②そのうち公費が出るのは登録特殊ミルク(患者さんが20歳未満の場合)のみということ
この2点がいま、特殊ミルクの安定供給に問題となっているのです。
特殊ミルク共同安全開発事業が発足した1980年当時、登録および登録外特殊ミルクの供給量はまだ少なく、乳業メーカーの協力による無償提供という形でも問題はありませんでした。
しかし特殊ミルクの供給量はこの約40年で増大しました。2001年時点では10,000kg程度であった登録特殊ミルクの供給量は、2014年では倍の20,000kgまで増加しています。さらにこれまではあまり用いられていなかった登録外特殊ミルクも供給量が増大しており、2014年時点では約7,800kgにまで上っています。
この登録特殊ミルク・登録外特殊ミルクの2つを合わせた供給量をみてみると、2014年時点で約28,000kgに達しています。これを費用に計算してみるとおおよそ総計3億3600万円です※。
登録特殊ミルクには50%の助成金がでますので年間約1億円の公費がありますが、それを合わせてみても、特殊ミルクを製造している主な乳業メーカー3社で年間約2億円以上を負担しているということになります。
(※平均製造単価12円/gとして計算)
乳業メーカーにとってこれほどの費用を背負うことの負担は大きく、このままではいずれ特殊ミルクを製造し続けることが困難になってしまいます。これこそが特殊ミルクの安定供給における大きな課題です。
特殊ミルクのニーズが高まった要因は大きく3つあります。
①適応拡大・対象疾患の増加
様々な疾患の治療方法の研究が進んだことで、他の疾患でも特殊ミルクが用いられるようになってきました。また、すでにある特殊ミルクが、他の疾患の治療で用いられる機会もふえてきました。
【特殊ミルクの適応拡大の例】
・糖原病(糖原病用フォーミュラ)
・胆道閉鎖、遺伝性胆汁うっ滞症(必須脂肪酸強化MCTフォーミュラ)
・Glut1異常症、ピルビン酸脱水素酵素異常症(ケトンフォーミュラ) など
※( )内は用いられる特殊ミルク名
また、新生児マススクリーニングへのタンデムマス法の導入により、有機酸・脂肪酸代謝異常が今までより多く発見されるようになりました。
特殊ミルクの適応拡大や対象患者の増加などが特殊ミルクの供給量の増大に繋がっています。
②生涯治療の必要性
以前まで、フェニルケトン尿症を代表とする先天代謝異常症は学童期ごろまで治療が行われればよいという考え方がありましたが、近年では生涯治療の必要性が強調されるようになりました。フェニルケトン尿症以外の多くの先天代謝異常症でも同様であり、成人期も継続して特殊ミルクを用いていくことが多くなっています。このことも特殊ミルクの供給量増加の要因となっています。
また、登録品の助成対象は20歳未満であり、成人に供給した場合は全額乳業メーカーの負担になるため、より一層負担が増大することになります。
③先天代謝異常症以外の希少疾患への使用拡大
近年、特殊ミルクは先天代謝異常症以外の疾患でも用いられています。特に多いのが
・小児慢性腎疾患(低カリウム・中リンフォーミュラ)
・難治性てんかん(ケトンフォーミュラ)
この2つの疾患の治療で用いられる登録外特殊ミルクです。この2つの特殊ミルクは登録外特殊ミルクの80%以上を占めています。
こうした登録外に分類され助成金が出ない特殊ミルクの需要が高まったことも、乳業メーカーが負担すべき費用が増大したことの要因になっています。
またこうした特殊ミルクの需要拡大だけでなく国からの助成金額の減少も、乳業メーカーの負担をより大きくする要因となっています。
2013年(平成25年)にこれまで特別会計であった国庫補助が一般財源化したことにより、助成金の金額が大きく引き下げられました。こうした国の動きも特殊ミルクの安定供給における問題を促進する要因となりました。
では、この問題をどのように解決していくべきでしょうか。
こうした問題が挙がるとまず検討されるのが商品化です。現在登録特殊ミルク・登録外特殊ミルクに分類されているミルクを市販品とし、患者さんが購入するという形をとれば乳業メーカーが利益を受け取ることができます。
しかし、特殊ミルクを市販品として開発しても6,000円~10,000円/350gと非常に高額になってしまいます。さらに特殊ミルクを用いる必要がある疾患というのは、非常に罹患者数が少なく、これではビジネスとして成り立たないデメリットがあります。
また、特殊ミルクは治療に用いる医療用食品であるため医師を介さず直接患者さんが購入するには使用上の危険が伴います。そのため特別用途食品として販売するというアイディアがでているものの、その実現は難しいといえるでしょう。
次に考えられるのが「特殊ミルクも医薬品と定めてしまえばいいのではないか」という観点です。しかしこれも難しいと考えられます。2005年の薬事法改正によってGMP(Good Manufacturing Practice)などの管理規制が強化され、医薬品の質の向上が求められていますが、特殊ミルクは現状あくまでも食品であり、医薬品ほどの品質を維持することが困難です。そのため今後特殊ミルクの医薬品化は難しいでしょう。
そこでいま論議されているのが「メディカルフード」という概念です。
現在の日本では医薬品でないと処方箋が出せません。しかし欧米では医療で用いられる特殊ミルクなどの食品は医薬品ではなくても医師の処方箋によって入手することができます。これはメディカルフードというもので、これに定められた食品は医薬品と同様、保険の適応を受けることができます。そうすると食品ではあるものの保険適応によって費用を国が負担する仕組みができると考えられます。
そして3つ目に考えられるのが「このままのカテゴリは変えずに、公費の増額を目指す」という観点です。現在、登録・登録外特殊ミルクは必ず特殊ミルク事務局を通して主治医にミルクが供給され、医師の指導のもと患者さんへ届けられるという体制が整っています。こうした医師の介在は特殊ミルクの誤使用を防ぐことができます。こうした点は現在のシステムの非常に優れた点です。
しかし、このままの体制では乳業メーカーの負担が大きく、いずれ安定供給に問題が生じてしまいます。そうした事態を防ぐためにも公費の増額することが必要となるでしょう。
こうした解決策を取りまとめて考えると、下図のような形になるでしょう。
メディカルフードという概念を日本に取り入れるには、日本の制度自体を変えていく必要があります。これには多くの時間がかかると考えられますので将来的な目標となるでしょう。
そのためまず取り掛かるべき課題はこの3点になるでしょう。
①登録特殊ミルクに対する公費の増大
②20歳以上の患者さんに対する登録特殊ミルク供給の認可(20歳以上であっても助成金の対象とする)
③登録外品である小児慢性腎疾患用ミルク(低カリウム・中リンフォーミュラ)と難治性てんかん用ミルク(ケトンフォーミュラ)を、登録品として承認する。
この3点にまず取り掛かり、将来的にはメディカルフードという概念を日本で確立させていくというビジョンが望ましいと考えています。
特殊ミルクが必要となる方々は世のなか全体で見ればとても少ないかもしれません。しかしこうした食品が生きるうえで欠かせない方々が確かにいらっしゃいます。そうした方々のために特殊ミルクを途絶えさせることはできません。
特殊ミルクを取り囲む環境は大きく変わってきました。こうした変化に合わせ、制度を新たに構築していくことが、いま求められています。
仙台市立病院 元副院長
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