再生医療を実用化し、その技術を産業としていくためには、医療者だけでなく細胞を作る培養者やコーディネーターなど、様々な分野の人が連携する必要があります。大阪大学大学院工学研究科生命先端工学専攻生物工学領域生物プロセスシステム工学領域教授の紀ノ岡正博先生は、再生医療技術の産業化のために、人と人、組織と組織をつなぐことが化学工学者たる自分の仕事であると語ります。再生医療領域における化学工学者の役割と、再生医療技術の産業化のために現在行われている取り組みについて、紀ノ岡先生にお話しいただきました。
様々な医療技術と細胞加工技術を治療に用い、低下あるいは喪失した機能を回復させる「再生医療」は、研究室という狭い空間を超え、今世界を舞台に「どこでも使えるもの」として、実用化・産業化されようとしています。
この実現のためには、単に高度な医療技術や良質な細胞加工製品のみが開発されればよいわけではありません。また、単に一人の高い専門性を持つ医師や研究者がいればよいというわけでもありません。
再生医療に限らず、何らかの技術を実用化、産業化させるためには、社会システムの構築が不可欠です。社会のシステムを創ることを、私たちは「コトづくり」と表現しています。
では、コトとは一体どのようにして起こる(起こす)のでしょうか。コトづくりの起源や過程を考え、番頭役として実行へとつなげることが、生物化学工学者としての私の役割です。
コトは、主体となるものと従となるものが集まり、はじめて起こります。より噛み砕いていうと、コアとなる人間の周囲に協力・連携する人々が集結し、全体によってひとつのコトが起こるというわけです。私は先述の通り番頭役ですから、主体となる旗振り役でなくてもよいのです。
コトづくりは、以下3つの要素から構成されます。
・モノづくり
・ヒトづくり
・ルールづくり
この3要素のうち、いずれか一つでも欠けてしまうと、コトづくりは実現しません。抽象的な表現が多く、具体的なイメージがつかみにくいと思われる方もいるでしょう。
では、コトが起こる(コトを起こす)という現象を、化学工学という学問領域に落とし込んで一つずつ考えてみましょう。
私は1989年に大阪大学の化学工学科を卒業してから2009年までの丸20年間、化学工学という分野を専門としてきました。
化学工学とは、「どのようにモノを製品として生産するか」を考える分野ということができます。モノの多くは石油化学製品などの化学反応を介した製品であるため、化学工学という漢字が用いられています。
化学工学出身者のなかには、企業の「社長」を務める方が多いという特徴があります。というのも、モノを作り、実際に使える製品として世の中に広げていくまでの過程には、必ず複数の人や組織をつなぐという工程が存在するからです。
どのように能力が高い人であっても、一人でモノを作ることはできません。なぜなら、モノづくりとは、様々な原料を用い、種々の工程を経て、市場や顧客にとって最適化された製品へとつなげていくということだからです。
そのため、化学工学を極めようとすると必然的に人と人、組織と組織をつなげるオーガナイザーとしての能力が養われていきます。これが化学工学という学問分野の、学問からは少し離れた特質であるといえます。
私は2009年から生物工学コースの教授として、「細胞」を用いた製品とする仕事に力を注いでいます。微生物や動植物、ヒトの細胞を用い、食品、医薬品、再生医療製品などの製品を作ることも、モノづくりのひとつであるといえます。
化学工学科の出身者は、このほか保険商品の企画や銀行のシステム構築など、多岐的な分野でモノづくりを行っています。
製品の需要の有無や製品のパッケージングなど、スタートからゴールに至るまでのすべての工程を考え、顧客にとって最適なモノを作ること。それが私たちの仕事であり、モノは何であっても構いません。
前項でも述べた通り、化学工学出身の私は現在、細胞を加工した再生医療製品を製造するために、生物工学を専門とするコースへと籍を移しています。
再生医療に関わる研究者の大半は、狭く深く目の前の研究対象と対峙することが主な仕事となります。これは、世間一般の研究者のイメージと合致しているでしょう。
ところが、こと化学工学者に関しては、浅く広く俯瞰的に事象を見渡す視点も要求されます。
研究者のアプローチが「浅く広く」でよいのかと疑問に思われた方もいるかもしれませんが、一分野のスペシャリストになることではなく、個々のスペシャリストをつなぐことを役割とする私たちにとっては、たとえ浅くても偏りなく広域的な分野の知識を持っておくことこそ重要なのです。これが、多くの経営者を輩出している理由でもあります。
製造技術を集結させ統合するための手法を考えること。これが、コトづくりの要素のひとつ「モノづくり」のスタート地点といえます。
再生医療に関する人材育成においては、国内外の学生だけでなく、企業に属する社会人の育成も非常に重要になります。
創る人や治療に使う人、支える人などがいてはじめて再生医療製品は実用化されます。
このほかにも、治療を受ける患者さんや、再生医療を広げる報道関係の方など、すべてがそろってはじめて社会システムはできあがります。
私は医師ではありませんから、自らが施す人になることはできません。しかし、旗振り役となって再生医療を推し進める医師の「痒いところ」をみつけ、手を届かせられるような人間がいなければ、医師の努力を形にすることはできません。ですから、ここでも私は番頭役として、今どのような人材が必要とされているかを見極め、人材育成を行っています。
大阪大学大学院工学研究科では、ヒトづくりの場として「細胞製造コトづくり拠点」を設け、(3)の再生医療を支える人の育成に特に力を入れています。
細胞製造コトづくり拠点では、月に1度企業から人を集め、教科書のない世界でディスカッションを行っています。教科書を作るための場であると捉えていただくのもよいでしょう。
参加者が多すぎると議論自体が成立しなくなるため、人と課題を絞り議論を行う場を設けています。
月に1度のディスカッションを繰り返していくと、1年後には細胞製造に関する「センス」といえるものを習得される方が増えていくことがわかります。より多くのセンスのよい方を育てて、得たものを企業に持ち帰っていただくために、このディスカッションへのスペシャリストの方の参加はあえてご遠慮いただいています。
医師はよい治療を考え実践するという役割がありますが、私たち工学サイドの人間は、よい商売を目指すという別の視点を持つ必要があります。よい商売とは、センスのよい人々が質のよいものを作り、それをなるべく安い価格で市場に出すということです。手の届く価格でなければ、その医療技術や製品は患者さんのためにはなりません。言うまでもなく、これは粗悪な製品を安価で売ることとは異なります。
社会システム作っていくうえで、ヒトづくりがひとつの重要なポイントになるということは、おわかりいただけましたでしょうか。ただし、社会システムとは、モノとヒトをそろえるだけでは構築できません。次の記事2『再生医療の実用化と10年後の定着を目指して-ヒト・モノ・ルールが産業を構成する』では、コトづくりにおいて不可欠な3つ目の要素、ルールづくりについてお話しします。