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再生医療の実用化と10年後の定着を目指して-ヒト・モノ・ルールが産業を構成する

再生医療の実用化と10年後の定着を目指して-ヒト・モノ・ルールが産業を構成する
紀ノ岡 正博 先生

大阪大学大学院工学研究科 生命先端工学専攻 教授

紀ノ岡 正博 先生

この記事の最終更新は2017年08月02日です。

私たち消費者が、質のよい製品を安価で購入できる背景には、市場における企業間の競争があります。複数の異なる企業が自社製品やサービスを顧客に届けるべく競い合うことで、より質の高いモノが生まれ、価格は低下していくのです。市場競争に敗れた製品は、やがて市場から消えていきます。再生医療製品においても同様のことがいえるでしょう。有効性と安全性の高い治療が開発されたとしても、「普及させる人」「定着手段を考える人」がいなければ、その治療は私たちの手には届きません。大阪大学大学院工学研究科生物プロセスシステム工学領域教授の紀ノ岡正博先生に、再生医療の産業化と10年後も再生医療が定着するために必要なことについてお話しいただきました。

現在、医師や研究者が心血を注いで再生医療を用いた治療を開発しています。有効な新規治療を生み出すことは言うまでもなく重要な仕事ですが、開発された治療を普及・流行させるためには、「産業化」するという視点を持つものが動かねばなりません。

記事1『再生医療の実現に向けた取り組み-モノづくりからコトづくりへ』では、産業をつくるためにはモノづくりだけでなく、ヒトづくりが重要であるということをお話ししました。ヒトづくりにおいては、現在治療を施す医師と同様に重要な「細胞を作る側の人々」、つまり企業人の教育に力を注いでいます。

再生医療技術の産業化のためには、これと並行してルールづくりも行っていく必要があります。何らかの道具を作り、道具を使いこなせる人々がそろったとしても、それが国際標準に適っていなければ、携わった人々の努力は水の泡となってしまいます。

行政や規定、国際標準などの「ルール」を意識したモノづくりは、市場と製品のマッチングのために不可欠であり、コトづくりはモノ・ヒト・ルールづくりが三位一体となったものであると言い表すことができます。

紀ノ岡先生 画像
紀ノ岡正博先生よりご提供

日本の産業には、欧米の産業とは異なる特徴があると思います。創造性を重視するアメリカでは、まず先に製品を作り、その後にルールを作る傾向があると思います。

ヨーロッパの特徴は、まず哲学で物事を考えることだと思います。再生医療の産業化を目指すときには、まず「再生医療とは何か」を問い、学問的に体系立てたうえで製品づくりやルールづくりに乗り出すということです。

日本はこれら欧米の手法とは異なり、まずルールを作り、そのルールに則って製品づくりを行うという特徴があります。これは、日本人の気質や日本的といわれる企業の在り方とも合致しています。

既存のルールのなかでは誰よりも強く、応用を効かせることが得意という点は、日本の強みです。しかし裏を返せば、日本はルールがない場において新たなものを想像し創っていくことが不得手という弱みを持っているともいえます。それゆえに、特に日本においては、コトを起こすためのルールづくりが重要なポジションを占めてくるのです。

再生医療の場合、経済産業省に成長産業であると認められ、また、山中伸弥教授の開発されたiPS細胞の革新的技術展開もあり、製品化に先んじてルールである法整備が行われました。さらに、日本の経済政策であるアベノミクス3本の矢のひとつに再生医療技術が掲げられたことで、再生医療技術の産業化はボトムダウンではなく国によるトップダウンという形式で行われることとなったのです。現在、再生医療に関するあらゆる取り組みは、再生医療推進法や再生医療等安全性確保法、そして改正薬事法(通称、薬機法)に基づき行われています。

これは世界的にみても極めて珍しいケースであり、産業化を推し進める大きな追い風でもあるといえます。

手を合わせる

今現在、日本でどういったコトが起こっているのか、ご理解いただけましたでしょうか。

繰り返しになりますが、私たち化学工学者はコトを起こす主体ではなく、コトを起こすために何が必要かを考え、番頭役として補っていく役割を持つ者です。

再生医療の産業化を推進するために、現在必要なものは「皆でコトを起こしている」という意識です。報道関係者など再生医療を広げる人、リハビリテーションなどに関わる再生医療を支える人、そして患者さんや国民皆さんの理解が得られなければ、コトづくりは実現しません。

本記事をお読みいただいている皆さんも、再生医療の産業化というコトづくりに携わっているということを、ぜひこの記事を通して知っていただければと願っています。

産業が成長すると、続いて「競争」が起こります。競争に勝てないものは、10年後、20年後に市場で生き残ることはできません。ですから、再生医療の産業化を考える際には、今現在という時間軸に立って社会システムのコアをつくることはもちろん、10年先を見据えて行動していくことが重要です。

再生医療が定着するためには、患者さんの理解を得ることだけでなく、産業として利益を生み出すことも重要です。どれだけよい治療でも、患者さんが他の手段を考えるほど高額であってはいけないということです。身の回りの商品やサービスと同じように、高品質・低価格の医療が「定着した医療」であるといえます。

私自身は治療を開発し施すことはできませんが、いかに低いコストで高い品質の医療を作り、維持していくかを考えることはできます。仮に細胞の培養が不得手な人が製造に携わった場合、再生医療という産業そのものへの信頼は下落してしまいます。

こういった事態を防ぐため、私の研究室では将来に備え同じクオリティの細胞を効率的に培養するオートメーションシステムを使用しています。

ロボットの動きにも、上手・下手があります。たとえば、液体を交換するという動作を行う際には、微細な振動が生じることがあります。

私たち人間の手は、「丁寧に」かつ「素早く」、液体を交換することができます。しかし、ロボットに同じことをさせたいと考えた場合、「丁寧にとは」「素早くとは」という情報をすべて覚えさせなければいけません。最終的には人間の気持ちを反映した動作を行えるロボットが開発されることが理想的ですが、現時点ではこういった機能を搭載させることは困難です。そのため、動作キャリブレータという測定器を用い、測定された一瞬一瞬の振動を一つずつ抑えていくことで、ロボットの動きを人間の手の動きに近づけています。

振動をすべて抑えることで、最終的には人間より正確かつブレのない動きで細胞を効率的に培養できるようになるというわけです。

装置の開発や改良時には、あらゆる企業が活用することを意識したインターフェイス(接続部分)の設計が最も重要になります。たとえば、有名なアメリカ合衆国のアポロと、旧ソビエト連邦のソユーズの2つの異なるシステムによる宇宙空間でのロケットドッキングは、接続部分であるハッチが統一されていたために実現できたプロジェクトです。

記事1『再生医療の実現に向けた取り組み-モノづくりからコトづくりへ』でも述べたように、1人あるいは1社でコトづくりを成し遂げることはできません。産業化を目指す際には、複数の企業の叡智や技術を統合できるインターフェイスを持った装置を作ることが大切です。

世界への輸出

コトづくりの際、私が大切にしているキーワードは、「本物」を作るということです。「本物の定義」とは、導入していただいたすべての場で使えるものであると私は考えています。

研究室のなかでしか使うことができず、導入先の企業では活用できない製品というものは、現実には多数存在しています。しかしながら、私たちが行っているモノづくりには多額の税金が投入されていることを決して忘れてはいけません。最終的に「患者さんのためになるからこそ」と考え、予算を無駄にしてしまうことはあってはならないという意識でモノづくりに臨む姿勢が必要です。また、理想を分かち合えるメンバーによる投資により、コア集団の構築が望まれているものと思います。

では、医学部ではなく工学部として、医師ではなく化学工学者として、どのように患者さんを助けることができるのでしょうか。私は、患者さんにとって利益となり、創る人や支える人(企業)にとっても利益があるモノをつくることが、この問いのひとつの答えであると考えています。Win-Winの関係を目指すモノづくりは、日本人的であり欧米においては甘いと指摘されることもあると聞きますが、「日本人だからこそできる良さである」と捉え、今後も自身の姿勢を貫いていきたいと考えています。