何らかの正常ではない所見を呈しているものの、その病気の原因がわからないために診断がつかず、治療や適切なフォローアップに辿り着けない患者さんは、医学が進歩した現在も多数おられます。
今、日本ではこのような「未診断疾患」の原因をゲノム解析(全遺伝情報の解析)により特定し、適切な治療やフォローアップにつなげていく「未診断疾患イニシアチブ(IRUD:アイラッド)」というプロジェクトが進められています。
東北大学病院小児科教授の呉繁夫先生は、IRUD診断委員会メンバーとして、先天的な原因不明の病気を抱える小児患者さんの分子診断を行っています。未診断疾患とはどのような病気を指すのでしょうか。また、IRUDの分子診断の対象となるのは、どのような患者さんなのでしょうか。呉先生にご解説いただきました。
未診断疾患イニシアチブ(以下、IRUD)プロジェクトでは、「未診断疾患」という言葉を、やや限定的な意味合いで使用しています。
独自の定義を設けなければ、未診断という言葉の解釈はどこまでも拡大することができてしまいます。たとえば、発熱し、検査を受けたあとにインフルエンザであると診断がつくまでには、半日ほどの時間がかかることがあります。この期間の状態を未診断ということも可能でしょう。
ゲノム解析に基づき分子診断を行なう本プロジェクトでは、このように広く解釈することも可能な未診断疾患のうち、「遺伝子疾患を含む先天的な病気」のみを対象として定めています。具体的な疾患としては、知的な障害や運動発達遅滞などが挙げられます。そのため、本記事で使用する未診断疾患という言葉には、上述したインフルエンザの診断前の状態や、後天的な病気は含まれません。
なお、私は未診断疾患の患者さんのうち小児患者さんを対象として分子診断を進めているため、この記事では「小児未診断疾患のゲノム解析を用いた診断」についてお話します。
※IRUDでは、成人の未診断疾患の診断も行っています。
「診断」という言葉も、私たちは以下に記す理由から限定的かつ積極的な意味合いで使用しています。
たとえば、お子さんのIQ知能指数が70に到達しなかった場合、知的な障害、あるいは精神発達遅滞という診断名がつくことがあります。また、お子さんが一定の年齢を超えても歩くことができない場合、運動発達遅滞と診断されることもあります。しかし、これらの診断は患者さんの状態を表しているだけに過ぎません。たとえば、歩くことのできないお子さんを心配し、病院を受診したご両親がいたとします。このとき、「運動発達障害」と診断されたとしても、その原因や治療法、フォローアップの術が示されなければ、「歩けない状態」であることを別称で告げられただけに過ぎず、ご両親は納得感を得られないのではないでしょうか。
これとは逆に、診断をつけることにより治療法が変わり、状態が劇的に改善されるというケースもあります。
IRUDで行っているゲノム解析を用いた分子診断とは、後者のような、より高いレベルの診断を指します。
私たちが目指す診断とは、その病気の理解やフォローアップ、治療につながるものです。
たとえば、診断がついたことで有効な治療法がわかり、症状が緩和されたとすれば、それは非常に価値のある診断といえるでしょう。
また、現時点では治療が確立されていない病気でも、ゲノム解析により病気の原因を明らかにすることができれば、「将来◯◯を発症するリスクがあるため、定期的にこの検査を行いましょう」とフォローアップの方法を示すこともできるかもしれません。
IRUDで行っている「未診断疾患の診断」の目的とは、臨床症状の原因を明らかにし、患者さんやご家族の方が納得感を得られるような対策をとることであると考えています。
冒頭で、本プロジェクトの対象となる疾患は、先天的な病気であると述べました。このなかには、遺伝子変異による病気も、遺伝とは関わりのない生まれつきの病気も含まれます。たとえば、母胎内で何らかの刺激を受け先天的な病気を発症することも、出産時に何らかの障害が生じてしまうこともあります。
先天的な病気には、知的な障害や感覚の障害、運動機能の障害など多様な疾患があり、トータルの患者数や疾患数を把握することはできません。また、運動発達遅滞などはある程度成長しなければみえてこない疾患であり、現時点では把握されていない患者さんも多数いるものと推測されます。
ただし、知能指数が70に到達しない知的な障害は、発症率が全出生のうち2%程度とわかっているため、出生人口からある程度正確な患者数を算出することができます。
しかしながら、すべての知的な障害のうち原因を特定できる割合は、およそ10%~30%と低い数値にとどまっています。
今回のプロジェクトにより診断をつけられる可能性がある病気とは、先天的な疾患のうち遺伝子変異により起こる病気のみです。ただし、遺伝子変異の有無はゲノム解析を行なう前にはわからないため、対象を先天的な疾患としているのです。
前項で、先天的な知的障害のうち、原因を特定できるのは約10~30%と記しました。つまり、知的な障害の大半は、解析を行っても原因を特定することはできないということです。
また、下に挙げる2つの基準設定により、検査前に遺伝子の病気である可能性が高い症例の絞り込み作業を行っています。
ひとつめは、兄弟姉妹やご両親、あるいは親類縁者の方のなかに、未診断疾患のお子さんと同じ症状を呈している方がいるということです。この場合、両者は同じ病気であり、その原因が遺伝子変異である可能性は高くなります。
ただし、ある家系内で複数の方に特異的な所見がみられたとしても、遺伝子疾患ではないというケースもあります。その典型的な例として、工場廃液などに含まれた有害物質による疾患が挙げられます。かつて、同じ食品を口にしたことにより家庭内に複数の患者さんが生じる疾患を遺伝性疾患ではないかと誤って捉えていたことがあります。このような事例を教訓とし、私たちはあらゆる可能性を考慮し、慎重に考えていかねばなりません。家系内に同じ症状を呈する方がいることは、あくまで検査対象を絞り込むための基準であり、遺伝子疾患と断定する要素ではないことを忘れずに診断を進めていく姿勢が重要です。
もうひとつの基準は、複数臓器に障害が起こっているということです。たとえば、肝臓、心臓、脳に多発的に障害が起こる確率は極めて低く、遺伝子の病気ではないかと疑うひとつの要素となります。
もちろん、これら2つの基準を満たしていても、その患者さんの病気が遺伝子疾患ではないこともあります。正確な診断を行なうために、次世代シークエンサーと呼ばれる特殊な機械を用いて遺伝子の塩基配列を解読し、その後変異を起こしている遺伝子が本当に病気の原因となり得るのかを調べていく作業を重ねます。
対象疾患を絞り込み、多角的な検討を実施して病気の原因が遺伝子変異であると特定できれば診断をつけること、これがIRUDで行っている分子診断の概要です。
次の記事『分子診断により治療法が変わることも-遺伝子変異が原因の脳腫瘍やけいれん発作の改善例』では、本プロジェクトにより病気の原因が明らかになり、症状が改善した例をご紹介します。
宮城県立こども病院 院長、東北大学大学院医学系研究科 小児病態学分野(小児科) 教授
宮城県立こども病院 院長、東北大学大学院医学系研究科 小児病態学分野(小児科) 教授
日本小児科学会 小児科専門医・小児科指導医日本人類遺伝学会 臨床遺伝専門医・臨床遺伝指導医
1982年に東北大学医学部を卒業し、現在は同大学にて小児科教授を務めている。AMED事業である、小児未診断疾患イニシアチブ(IRUD-P)東北ブロック研究分担者。次世代シークエンサーを用いた分子診断を行い、「お子さんとご家族のためになる診断」を目指し、先天性疾患の原因解明と治療改善、適切なフォローアップ方法の提示に力を注いでいる。
東北メディカル・メガバンク副機構長・コホート事業部長として、15万人の大規模コホートの運営、ゲノム解析を実施している。
呉 繁夫 先生の所属医療機関
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