人間の遺伝子の数は21,000~22,000個といわれており、そのうち1つの遺伝子に異常が起こることで、先天的な病気を発症することがあります。このような遺伝子変異を原因とする病気のなかには、原因も治療法もわからない病気、「未診断疾患」が多数あります。
東北大学病院小児科教授の呉繁夫先生は、全国的なプロジェクトである未診断疾患イニシアチブ(IRUD:アイラッド)に携わるなかで、難治性の腫瘍やてんかん発作の原因遺伝子を特定し、適切な治療へと結びつけてきました。メラノーマの治療薬が脳腫瘍の消失につながった例など、IRUDの成果や具体的な分子診断の方法について、引き続き呉先生にお話いただきました。
記事1『ゲノム解析による小児未診断疾患の分子診断-原因が特定されていない病気の治療とフォロー』では、未診断疾患をゲノム解析により診断する全国的な取り組み、IRUD(アイラッド)の概要と対象者の選定基準について述べました。拠点病院に設置された診断委員会でエントリーシートを拝見し、ゲノム解析により診断がつく可能性が高いと考えられる場合、その患者さんからは2ml程度の血液を検体としてご提供いただきます。
わずか2mlの血液のなかには、膨大な量の遺伝子が含まれており、「次世代シークエンサー」と呼ばれる最先端機器を用いることで、遺伝子の塩基配列をすべて読み出すことができます。
また、患者さんだけでなく、そのご両親にも少量の血液をご提供いただくことが多々あります。というのも、私たち一人ひとりのゲノム(全遺伝情報)は個々人で少しずつ異なっているため、患者さんの血液から変異のある遺伝子をみつけたとしても、それが病気の原因になっているとは限らないからです。
ご両親からも検体をいただく理由は、患者さんの血液中からみつかる数多の「違い」のなかから、病気の原因でないものを把握し、病気と関連があると考えられるものを抜き出すためです。
ただし、遺伝子変異を原因とする病気のなかには、血友病や筋ジストロフィー症など、既にデータベースがしっかりと作られており、患者さんの検体のみでほとんどの診断をつけられる病気もあります。
分子診断により原因遺伝子を特定することができ、さらにその遺伝子変異を原因とする病気の治療法が確立している場合、治療法が変わり患者さんの状態が改善することもあります。ここでは、私が実際に経験した母斑という皮膚症状と脳腫瘍(退形成性星細胞腫)とを併せ持つ患者さんの例をご紹介します。退形成性星細胞腫とは、既存の薬剤療法に反応を示さない難治性の脳腫瘍であり、予後も非常に悪い腫瘍として知られていました。
本プロジェクトに参加された患者さんも、生後わずか数か月であるにも関わらず、既に長くは生きられないと宣告を受けていました。
この患者さんのゲノム解析を行い、上述した手順で病気と関連性の高い遺伝子変異を探していったところ、皮膚にできるメラノーマの一種と同じ遺伝子変異が関連していることがわかりました。
そこで私たちは、当時アメリカで治験が行われていたメラノーマの未承認薬(V600 E変異特異的BRAF阻害薬/ベムラフェニブ)を個人輸入して投与したところ、脳腫瘍はきれいに消失しました。
※V600 E変異特異的BRAF阻害薬・ベムラフェニブはその後承認されたため、現在個人輸入することはできません。
脳腫瘍と皮膚の疾患では表現型が全く異なるため、従来の医療では関連性を疑うことはできませんでした。前項でご紹介した例は、分子診断により病因を特定できたことで、既存の他疾患の治療薬を用いることができた好例といえます。
ただし、このような薬の使い方は「適用外使用」と呼ばれます。適用外使用という言葉から、規則外のような悪い印象を受ける方もいらっしゃるかもしれません。
現在私たちは他疾患に対する既存薬のなかから、治療の確立されていない病気に有効な薬剤を探し、応用する「ドラッグリポジショニング(drug repositioning/または既存薬再開発)」にも力を注いでいます。
現在、日本では国立がんセンターなどの施設を中心とし、がんのゲノム医療の実装化に向けた取り組みが進められています。これまでのがん医療とは、胃や肝臓、脳など、がんを臓器ごとに捉えるものでした。
しかし、ゲノム医療が進展し、より多くのがんの分子診断が可能になれば、先述した脳腫瘍とメラノーマのように、表現型の異なるがん同士を遺伝子の特徴でグルーピングし、有効な治療を行なうことが可能になります。
分子診断をつけることは、新たな病気のグルーピングを考えることであり、これが今後のがん治療の主流になっていくものと考えられています。
ゲノム解析は、がん以外の疾患の治療改善にも役立つことがあります。
IRUDに参加された患者さんのなかには、既存薬を複数回変えても重いてんかん発作が止まらずエントリーされた難治性てんかんの患者さんもいます。この患者さんのゲノム解析を行ったところ、細胞の興奮を抑える役割を持つ遺伝子が機能してないことが判りました。
遺伝子にはNaチャンネル(Nav)と呼ばれるナトリウムを通すための穴が存在しており、Navが開くと細胞は興奮します。この患者さんの場合、Navを抑制する遺伝子が役割を果たしていなかったため、興奮状態が続き、発作が起こっていたのです。
主治医の方は長年てんかんを専門とされてきた医師としての勘から、Nav阻害剤(フェニトイン)を処方していました。
そこで、薬の血中濃度(血中フェニトイン濃度)の描出を4年半ほど行ったところ、患者さんが風邪などさまざまな理由から一時的に服薬を中断し、薬の血中濃度が下がったときに重いけいれん発作が起こっていたことが明らかになりました。
逆にいえば、どのようなときでもNav阻害剤だけは服用を中断せず、血中のフェニトイン濃度を一定に保つことができれば、重いけいれんを抑えられるということです。
このように、分子診断がつくことで、フォローアップの方法やその必要性を示すための理屈がわかり、患者さんの症状や生活の質が向上することもあります。
次世代シークエンサーを用いることで、数日のうちに遺伝子の塩基配列をすべて解読することができます。しかし、私たち一人ひとりの持つ2万以上の遺伝子のうち、人と異なる配列を持つ遺伝子の数は1,000以上にものぼります。この違いのある遺伝子のなかから病気と関連する遺伝子を特定するためには、以下のような地道な作業が必要です。
たとえば、原因不明の脱毛が起きている患者さんの血液から、人とは異なる遺伝子を複数発見したときには、その遺伝子の役割を調べるために、ノックアウトマウスと呼ばれる実験動物を用いることもあります。
具体的には、患者さんの遺伝子から病因となっていることが強く疑われる遺伝子を選び、遺伝子操作によりマウスの持つ同じ遺伝子の機能も消失させます。
もし、この操作によりマウスにも脱毛症状が起これば、その遺伝子の欠損が病気の原因になっていると特定できます。しかし、遺伝子異常により胎生致死(生まれてこないこと)に至ってしまったり、別の部位に想定外の異常が出てしまうことがよく起こります。
1,000以上もの違いのある遺伝子から、病因となっている1つの遺伝子を絞り込むためには、このような作業を何度も繰り返さなければなりません。そのため、解析をはじめてから結果を報告するまでには、数か月以上の期間を要することもあるのです。
また、分子診断を行なう医師には、(1)生物学の知識、(2)病気に関する知識、(3)遺伝に関する知識を、ある程度の水準で兼ね揃えていることが求められます。しかし、このような人材は日本中を探してもなお不足しているのが現状です。
現時点では、小児科医が自分の本来の仕事の合間を縫いながら上記の作業を行っていることが多く、小児未診断疾患の診断事業を拡大していくためには人材の育成も不可欠であると感じています。
未診断疾患の診断のためには、海外とのデータ共有を積極的に行っていくことも重要であると考えます。遺伝子変異による疾患のなかには教科書に載っていない病気も多く、日本国内だけでは同じ症状を持つ患者さんがみつからないことも多々あります。
その病気は、世界中で1人だけしか発症していない病気という可能性もありますが、確率として2人目の患者さんが世界のどこかにいる可能性もあります。世界の総人口と人間1人が持つ遺伝子の数を用いた計算では、まれな突然変異でも、この世の中には2人以上同じ遺伝子変異を持つ人がいるという結果が出ています。これは人間の個体数が多い(人口が多い)からこそ得られる解です。
また、私たち人間は、遺伝子変異の情報を記載できる「医学」というシステムを持っています。海外とのデータ共有によって、同じ遺伝子変異と病気を持つ人がみつかれば、その病因の特定は現在の何倍も容易になるでしょう。
ここ東北大学病院は東北地方のIRUD拠点病院です。引き続き、一人でも多くの未診断疾患患者さんの原因を特定し、診断をつける役割を果たしていきたいと考えています。
記事1『ゲノム解析による小児未診断疾患の分子診断-原因が特定されていない病気の治療とフォロー』では、知的な障害の約7割は現時点では原因がわかっていないとお話しました。しかし、その患者さんの状態をみて「知的な障害」と一括りの診断をつけるのではなく、分子診断により「◯◯が原因の知的な障害」と明示できれば、将来その遺伝子変異に対する薬が開発されたときに、すぐに治療に進むことができます。
現在、世界ではさまざまな製薬会社が、遺伝子の機能を活性化、あるいは抑制するための治療薬の開発を進めています。ですから、現時点では治療法がない病気でも、分子診断により原因を特定しておくことは、患者さんが生きていく上での希望になるものと確信しています。
ゲノム解析による分子診断は、今すぐにではないかもしれませんが、患者さんに役に立つ診断だと考えています。ご関心を持たれた方は、ぜひ以下のIRUDのWEBサイトもご参照ください。
<未診断疾患イニシアチブ IRUD 患者さん・ご家族の方向けWEBサイト>
https://www.irud.jp/general.html(外部サイトへ移動します。)
宮城県立こども病院 院長、東北大学大学院医学系研究科 小児病態学分野(小児科) 教授
宮城県立こども病院 院長、東北大学大学院医学系研究科 小児病態学分野(小児科) 教授
日本小児科学会 小児科専門医・小児科指導医日本人類遺伝学会 臨床遺伝専門医・臨床遺伝指導医
1982年に東北大学医学部を卒業し、現在は同大学にて小児科教授を務めている。AMED事業である、小児未診断疾患イニシアチブ(IRUD-P)東北ブロック研究分担者。次世代シークエンサーを用いた分子診断を行い、「お子さんとご家族のためになる診断」を目指し、先天性疾患の原因解明と治療改善、適切なフォローアップ方法の提示に力を注いでいる。
東北メディカル・メガバンク副機構長・コホート事業部長として、15万人の大規模コホートの運営、ゲノム解析を実施している。
呉 繁夫 先生の所属医療機関
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