京王よみうりランド駅を降りて、小高い丘を上ると、緑に囲まれた病院にたどり着きます。広々とした空間、随所に飾られる美しい生花、窓の外には四季折々の景色。
医療法人社団 慶成会は、2005年によみうりランド慶友病院を開設し、病院でありながらも、医療的管理を最優先にせず、第一に患者様の生活・人生を考え、心穏やかに最晩年を過ごせる空間とサービス提供体制を構築しています。理事長の大塚宣夫先生は、「自分の親を安心して預けられる病院をつくりたい」という思いで、病院の経営に取り組まれてきました。
*詳しくは慢性期.comのページをご覧ください。
医師になって8年目の頃、高校時代の友人から電話があり、相談を受けました。
「祖母が脳卒中で寝たきりになり、家で介護していたが、10日ほど前から夜間せん妄が加わって、家族で介護をするのも限界だ。どこかに預かってもらえる病院はないか」と。
受け入れ先を探す段階で、当時、世の中に老人病院というものがあることを初めて知ります。ある病院を訪ねてみたところ、狭い空間にお年寄りが寝かされており、必要と思われるケアは行き届いていない状態を目の当たりにしました。さらに驚いたのは、そのような場所にもかかわらず、入院を希望する待機者が大勢いたことです。「半年待たなければ入院はできない」と言われました。このとき、私は、高齢者を介護・ケアする環境に対する社会的なニーズは高いにもかかわらず、その受け皿が整っていないことを痛感しました。
この経験から、自身の人生を考えるようになりました。
当時、自身は32歳、両親はすでに70歳を超えていました。「あと10年もしないうちに私にも友人と同じ状況が訪れるかもしれない。そのとき、両親をあのような場所には預けられない」と強く思ったのです。
同じ時期、たまたま出席した講演会で「これから、日本は大変な勢いで高齢者が増えていく。そして寝たきりや認知症の介護をめぐる問題は社会に重くのしかかってくるであろう」との話を聞きました。この2つの出来事が重なり、「親を安心して預けられる病院をつくろう」と心に決めました。
「親を安心して預けられる病院をつくりたい」
そう決めてから、まず病院づくりの元手として1,000万円を貯めようと思い、行動を開始しました。月に20日以上の精神病院での当直も含め、大部分の時間をアルバイトに当てる生活にしました。目まぐるしい毎日のなかで、預金通帳を眺めることが、限られた楽しみのひとつでしたね。
2年で目標の1,000万円に到達。何かと縁があり地価も安かった東京の外れの青梅の地で、土地探しを始めました。土地探しの途中で偶然に出会った地元の農協の組合長による全面的な支援を得て、1980年に青梅慶友病院を開設することができました。
147床でスタートした青梅慶友病院は、現在、736床で運営しています(2019年5月時点)。さらに、2005年には、よみうりランド慶友病院の開設に至りました。
両病院では、これまでにたくさんの方をお預かりしてきました。「自分の親を安心して預けられる病院をつくる」という思いは今も変わっていません。私たちの病院が、大切な親族を預けられる、あるいは人生の終末期を過ごしたいと思える場所になっているのならば、それほど嬉しいことはありません。
大塚 宣夫 先生の所属医療機関