認知機能の病気は、70歳代以降で発症するケースが多いと考えられています。しかし、その前段階である認知機能の低下自体はそれよりもずっと前の40歳代から始まっており、徐々に症状が進行していきます。まずはこのことを知っておいていただきたいと思います。
そもそもなぜ認知機能が低下するのかというと、基本的には加齢、すなわち脳の老化(エイジング)が最大の要因です。40歳代~60歳代の中年期は、代謝低下による体重増加、髪の毛の減少、白髪の割合の増加などといった“老化”が少しずつ起こり始める時期です。脳は体を構成する臓器の1つですから、上記のような肉体の“老化”が見られたとき、脳も一緒に“老化”していると考えられます。これに伴い、認知機能の低下も始まる可能性があるといえます。
また、生活習慣の乱れから起こる高血圧や糖尿病、脂質異常症なども認知機能低下のリスク要因として知られています。このような生活習慣病は40歳代以降に多い病気ですが、すぐ生活に支障が出るような異常は現れないので気付きにくいのが実情です。しかし、その状態を放置すると肉体へのダメージが累積していき、やがて脳にも影響が及んで、認知機能の低下を招く可能性があります。だからこそ、40歳代から認知機能低下対策を始めることが重要なのです。
上述のとおり、自分で認知機能低下の始まりに気付くことは難しいのですが、日常生活での行動を振り返ってみると、自覚できるようなエピソードが見つかる可能性があります。
など
上記のような経験がある場合は、認知機能が低下し始めているかもしれません。特に40歳代~50歳代の場合、仕事に関するエピソードが気付きのきっかけになることが多いため、過去をじっくりと思い返してみるとよいでしょう。
前項に挙げたようなエピソードは、認知機能が正常な方にもみられることがあります。では、単純に物忘れが多い人と、認知機能が低下している人は何が違うのでしょうか。
両者の違いを区別する重要なポイントは“過去の自分と比較した変化”です。病気の前触れである認知機能低下には“どんどん悪くなる”という特徴があるので、若い頃に比べて物忘れの頻度や程度に変化がある場合は、認知機能低下の可能性を疑います。これに対して、昔からの変化がなければ、生理的な物忘れである可能性のほうが高いと考えます。
認知機能低下対策を早期から行うには、まず今の自分の状態を自分自身で知ることから始めましょう。下記のチェックリストは、ごく初期の認知機能の変化に気付くために作られたものです。自分が20歳~30歳代の頃と今を比べてどのような変化があるか、該当するものにチェックを入れてみてください。
【主観的認知機能低下チェックリスト】
出典: SCDチェックリスト(監修:アルツクリニック東京 院長/順天堂大学医学部名誉教授 新井 平伊先生)https://40ninchi-risk.org/check/selfcheck-2/
チェック項目が1つ以上ある場合、今から生活習慣の見直しを始めることをおすすめします。
第一に、認知機能を低下させるリスク因子である高血圧、糖尿病、肥満、脂質異常症などを改善・予防しましょう。そのためには運動習慣を取り入れる、喫煙者は禁煙する、睡眠をしっかり取る、食事内容を見直す、といった対策が必要になります。
2019年、世界保健機関(WHO)は認知機能低下リスクを低減する方法の1つとして、「健康的な食事パターン(地中海食*など)」を提唱しました。ただし、海外と食文化が異なり地中海食を日常生活に取り入れることが難しい日本では地中海食に準拠し、主食・主菜・副菜などから成る栄養バランスのよい日本型食生活**が、認知機能低下リスクを減らす健康食として推奨されています。
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*地中海食:穀類、野菜・果物類、乳製品、魚介類、オリーブオイルなどを中心にしたバランスのよい食生活で、肉類は少量の摂取とすることが特徴。
**日本型食生活:米飯を主食に、魚、肉、牛乳・乳製品、野菜、海藻、豆類、果物、茶などを使った多彩な副食を組み合わせる、栄養バランスに優れた食生活。
私の場合は、一人ひとりの患者さんの状態に応じた食事指導を行っています。たとえば腎機能が落ちてきている方は塩分を控える、筋肉が減ってきている方にはたんぱく質を多めに取る、高血糖や肥満の方は甘いお菓子やお酒を控えるなど、どちらかといえば体の状態を整えていただく目的でアドバイスをします。先述のとおり、肉体的な“老化”は脳の“老化”にも関連すると考えられるので、こうした対策が体の“老化”を抑え、ひいては認知機能低下に対する予防的なアプローチにつながるのではないかと思います。
認知機能の低下と食生活の観点で最近注目を集めているのが、“脳腸相関”と呼ばれる「脳と腸は神経経路やホルモンを介して密接に関連し、互いに影響を及ぼし合っている」という関連です。このような脳-腸間の双方向的なつながりは、腸内細菌も認知機能に影響を与えている可能性があると考えられています。さらに、医学雑誌の1つ『Lancet』に掲載されている論文の中には、パーキンソン病などの脳・神経疾患の発症にも腸内細菌叢*が関連しているという報告も出てきており**、脳と腸の関連は現在さまざまな分野の専門家から注目を集めています。
*腸内細菌叢:大腸に生息する細菌の集合体で、腸内フローラとも呼ばれる。
** John F Cryan et al:Lancet Neurol. 2020 Feb;19(2):179-194.
認知機能が低下している方と正常な方の腸内細菌叢はタイプが異なっており、前者の腸内細菌叢は後者に比べて常在菌(バクテロイデス)の割合が少ない傾向があることが明らかにされました。
なぜ腸内細菌が認知機能と関連するのかについても研究が進んでおり、腸内細菌が腸に入ってきた食物を代謝する際に生成する乳酸や酢酸などの代謝産物が、認知機能に関連していることが分かっています。
さらに2021年10月には、先述した日本型食生活のなかで、魚介類、キノコ類、大豆類、およびコーヒーを積極的に取り入れている方は、認知機能が良好な傾向にあるということを国立長寿医療研究センター もの忘れセンター副センター長 佐治 直樹先生らの研究チームが報告しています***。
食事の内容によって代謝産物は変化しますから、日本型食生活が腸内細菌の代謝産物に影響をもたらし、その代謝産物が認知機能の防止に関わっている可能性(食事-腸-脳相関)が示されたといえます。認知機能低下対策において、食事や腸内細菌は今後の新しい切り口になるかもしれません。
*** Saji N, et al:Nutrition. 2021 Oct;111524
【参考情報:最近の脳腸相関に着目した研究トピックス】
昨今の研究では、MCC1274というビフィズス菌を摂取することにより、認知機能の低下を予防・抑制する可能性が示唆されました。ビフィズス菌MCC1274は、世界で初めて単一の生菌体のみでヒト臨床試験での認知機能に対する有効性が報告されたビフィズス菌です****。
研究によると、認知機能が低下している方がビフィズス菌MCC1274を一定期間摂取し、その前後で認知機能を評価する神経心理学検査(RBANS)を行ったところ、対照群と比較して有意な認知機能(記憶力・空間認識力)の維持が認められました。このビフィズス菌が腸を介して脳にもたらす可能性について、さらなる解明が望まれています。
****PubMedと医中誌WEBより、ビフィズス菌と認知機能および記憶のキーワードを用いたランダム化比較試験の文献検索結果(ナレッジワイヤ社調べ)
“体の老化を防ぐ取り組み”を総合的に行うことで認知機能低下リスクを減らせると考えたとき、血圧コントロール、運動、食生活の見直しなどは総じてその取り組みの一種です。これらと同じく“腸内環境を整える”ことも、体の老化を防ぐ対策の1つといえます。
もちろん、腸内環境さえ整えればほかの対策が不要になるわけではありません。それでも、認知機能の低下リスクを抑えるために早期からできる対策として体の老化速度を緩やかにする工夫が必要と考えたとき、これまでいわれていた対策に加えて、腸内環境を整えたり、ビフィズス菌MCC1274を活用したりすることは、新たな選択肢になるのではないかと思います。
高齢になってからも健康な体で長生きするために、40歳代になったら脳腸相関を意識したライフスタイルを取り入れてみるとよいでしょう。
参考文献
医療法人社団彰耀会 メモリーケアクリニック湘南 理事長・院長、横浜市立大学医学部 臨床教授
日本精神神経学会 精神科専門医・精神科指導医
1996年横浜市立大学医学部卒業。2004年横浜市立大学大学院博士課程(精神医学専攻)修了。大学院在学中に東京都精神医学総合研究所(現東京都医学総合研究所)で神経病理学の研究を行い、2004年より2年間、米国ジャクソンビルのメイヨークリニックに研究留学。2006年医療法人積愛会 横浜舞岡病院を経て、2008年横浜南共済病院神経科部長に就任。2011年湘南いなほクリニック院長を経て、2022年4月より現職。湘南いなほクリニック在籍中は認知症の人の在宅医療を推進。日本認知症予防学会 神奈川県支部支部長、湘南健康大学代表、N-Pネットワーク研究会代表世話人、SHIGETAハウスプロジェクト副代表、一般社団法人日本音楽医療福祉協会副理事長、レビー小体型認知症研究会事務局長などを通じて、認知症に関する啓発活動・地域コミュニティの活性化に取り組んでいる。