重症筋無力症(MG)とは、筋力低下や疲れやすさなどが主な特徴とされている病気です。個人差はありますが、物が二重に見える(複視)、食べ物の飲み込みがうまくできない、話しづらいという症状などがみられ、小児期にも発症することがあります。
全国筋無力症友の会 理事、全国筋無力症友の会北海道支部 運営委員を務める仲山 真由美さんは、子どもの頃からさまざまな症状が現れ、16歳で小児重症筋無力症と診断されました。仲山さんに、小児重症筋無力症だと分かるまでの経緯や、治療を受けながら日々を送るうえでの工夫やアドバイスについて伺いました。
私が最初に異変を感じたのは、小学校1年生で授業中にテストを受けていたときのことでした。急に文字が2つに見えて、回答欄の枠がどこにあるのかもよく分からず、名前を書くことすら難しくなってしまったのです。自宅に帰って見え方がおかしかったことを母に説明し、眼科に連れて行ってもらいました。しかし、受診したときには症状がすでに治まっていて、検査をしても異常が見つかりませんでした。
小学校3~4年生頃からだんだんと現れ始めた症状は、体のだるさです。授業中に座っていられないこともあり、下校時にはランドセルが重く感じられて途中で休む必要がありました。ジュースをうまく飲み込むことができず、鼻から逆流してしまったこともあります。しかし、まさか病気だとは思わずそのまま過ごしていました。
高校に入った頃から、よくつまずくようになりました。さらに、手指の力を保つことができずバッグを持てなかったり、食事をしていると顎が疲れてしまうため、手で顎を押さえながら食べたりしていました。それでも私と家族は、元々体が弱いせいかもしれないというふうに思っていました。
ところが、高校2年生の時のことです。学校祭の体力測定コーナーで握力を測ってみるとほぼゼロで、肺活量も機械が故障したのかと思うほど低い数値しか出なかったのです。
帰宅して体力測定の結果を母に相談すると、やはり「何だか最近はおかしいよね」という話になり、かかりつけの小児科を受診しました。母はその時すでに、私の症状を家庭用の医学事典で調べて重症筋無力症という病気かもしれないと考えていたようです。小児科ではすぐに大学病院を紹介されました。
大学病院では症状から重症筋無力症が疑われ、入院をすすめられました。ただ、その時は病室に空きがなく、夏休みに入院することになりました。
小児科で相談してから入院予定の日まで1か月もありませんでしたが、入院を待っているうちに、あっという間に症状が重くなってしまいました。
その年の夏休みは、あらかじめ夏期講習を申し込んでいたので、受講してから入院するつもりでいました。しかし、夏休み初日のことです。ふだん利用しているスクールバスが運休だったので自転車で登校したところ、息切れが止まらなくなってしまいました。下校する時間になっても治まりません。なんとか、その日は自宅まで帰って来たものの、翌日からは起き上がることもできませんでした。
入院予定日までまだ数日ありましたが、入院すれば症状も治まるだろうと考え、残りの講習は休んで入院の日まで寝て過ごしました。
重症筋無力症は、この病気の症状が1つ以上あって、病原性自己抗体*が陽性であれば確定診断にいたります。
入院後の検査で、私は病原性自己抗体の検査の結果は陰性でしたが、症状やほかの検査の結果から小児重症筋無力症と診断されました。
*病原性自己抗体:重症筋無力症の発症に深く関与している自己抗体(自分の体に対する抗体)。抗アセチルコリン受容体(AChR)抗体、抗筋特異的受容体型チロシンキナーゼ(MuSK)抗体など。
確定診断の前に母は、小児重症筋無力症が大変な病気だという説明を主治医の先生から受けていたそうです。「以前のように通学を続けるのは難しいでしょう」と言われたようですが、「高校まではせめて卒業させたい」というのが家族の願いでした。治療が始まり、少しでも症状が治まって学校に通うことができたらと考えたそうです。
とはいえ、学校は自宅から少し遠いところにありました。バスを利用した通学も難しいと考えた母は、私の送迎のために、急遽、運転免許を取得してくれたのです。
私自身も、主治医の先生から「今までと同じ生活を続けることは難しいでしょう」と説明を受けました。しかし、私は小学校のときからさまざまな症状と付き合ってきています。そのため、先生の説明を聞いても「私はきっと大丈夫。治療を頑張ろう」と前向きに考えていました。
私が診断を受けたのは、1990年のことです。当時は治療の選択肢が今ほど多くはありませんでした。その当時、主治医の先生が選択肢として挙げた治療法はどれも試してみたものの、症状は軽快しませんでした。また、治療の副作用にも悩まされました。飲み薬を使った治療を続けましたが、コントロールが難しく、症状が落ち着くまで数年かかりました。
退院後は家族のサポートを受けながら、飲み薬で治療を続けました。朝は起き上がるのがつらいため、家族にベッドまで薬を持って来てもらいます。薬を服用し、動けるようになってから起き上がるという毎日でした。入浴も1人では難しいため、母と一緒に入り介助してもらいました。
高校の同級生には病気の詳しい説明はせず、「とても疲れやすい病気になった」とだけ伝えました。病気について詳しく説明してもピンとこないのではないかと思ったためです。また、重症筋無力症の症状の中には声量を保てない、ろれつが回らなくなるといった症状があります。私も声がほとんど出なかったため、友人とのコミュニケーションは困難でした。
こうした状況のなか、自分は今後どうなるのだろうか、どう暮らしていけばよいのだろうかと不安を覚えていました。
先が見えないなかで、同じ病気を抱えるほかの人たちはどうしているのかを知りたいと思いました。母も私と同じ気持ちだったようです。心配した母は、難病や障害を抱える方を支援する団体“一般財団法人 北海道難病連(旧 北海道難病団体連絡協議会)”に相談しました。そこで“一般社団法人 全国筋無力症友の会”という患者会の存在を知ったのです。
患者会では、発病して何十年も経過している患者さんのお話を聞くことができました。何年も寝たきりだった方や人工呼吸器をつけていたという方から、今は症状が改善され普通にここまで歩いて来たと聞いて、とても励みになりました。「焦らず10年は我慢しよう。きっと大丈夫だよ」という言葉をかけてもらい、そのときまだ16歳だったこともあり、希望の光が見えました。
私が診断を受けた1990年当時は、インターネットも携帯電話も一般に普及しておらず、現在のようにインターネットで病気の情報を得ることは難しい時代でした。
退院後、自宅にあった家庭用の医学事典で重症筋無力症について調べてみました。すると、その事典に“数年以内に死亡”というような記述があるのを見つけたのです。驚いて母に伝えると、結婚したときに買った本だから古い情報だろうと言われました。そう聞いた私は「現在は医学も進歩しているのだから」と、無理やり気持ちを切り替えていました。
一方、患者会から定期的に送られてくる会報には、最新の情報や患者さんの暮らしぶりについて書かれていて、とても助けられました。
患者会では、年に数回は会員同士で集まる機会があり、直接ほかの患者さんのお話を聞くことができます。会員の皆さんのお話を聞くうちに、症状をコントロールしながら上手に付き合っていくことが大切だと理解することができました。生活を送るなかでさまざまな症状が現れて不安になったときも、共感してくれる方がいて、とても気持ちが楽になりました。医師には言いづらいような話題も、患者会に分かってくれる人がいればよいと思えましたし、患者会の皆さんにはとても救われました。
さらに、近年ではインターネットの普及に伴って、ほかの地域に住んでいる方とも気軽に交流ができるようになってきています。
治療については、これまでは年に数回入院して点滴治療を受けていました。最近、入院しなくても外来受診で受けられる点滴治療に変更したところです。私の場合、歩くのもやっとというくらいに症状が悪化してから入院での点滴治療を受けていたのですが、その状態になってからでは病院に行くのが大変なので、もっと症状が軽い段階で治療を受けられるとよいなと思っています。
長時間歩き続けることが難しいので、基本的には車で移動しています。外出時には転倒してけがをしないよう足に装具をつけ、杖を使います。公共交通機関で移動する場合は、エレベーターやエスカレーターを利用したり、ベンチに座って休んだりしつつ、なるべく楽に移動できるよう工夫しています。
食事のときは、首を安定させるためにコルセットを巻いて固定したり、箸を使うと疲れるためスプーンやフォークを使って食べたりしています。そのほか、疲れたときに寄りかかれるよう、自宅では背もたれ付きの椅子を多く使っています。
体が疲れやすくだるさがあり、一日中起きていられないような状態だと、家事をこなすのも困難になります。以前は、ホームヘルプサービスを利用していたことがありました。コロナ禍では、夫が在宅勤務となったので、炊事や掃除などの家事を手伝ってくれました。最近、またオフィス勤務に戻ったためホームヘルプサービスの利用を再開予定で、しばらくは妹が家事を手伝いに来てくれています。
私は、ハンドメイドのアクセサリー作家として活動しています。細かい作業をするのはとても大変なことですが、1日10分でもよいから続けようと思い頑張っています。
SNS上で同病の方との交流もあり、私が作家活動をしていることは患者さんの励みにもなっているようです。「励みになりました」と伝えてくださる方もいて、その言葉により私自身も頑張れると感じています。
また現在、一般社団法人 全国筋無力症友の会北海道支部の運営委員を務め、会報の印刷や発送作業、相談会の実施、電話やメールでご相談に応じるといった患者会での活動にも取り組んでいます。
病気と付き合いながら泣いて暮らすのではなく、工夫すれば楽しい経験もできるということをほかの患者さんにも伝え、励ませるような存在でありたいと思います。今後も、こうした活動を続けていきたいと考えています。
重症筋無力症ではないかと疑う症状がある方は、できるだけ早く脳神経内科や神経内科の専門の先生に診てもらうことをおすすめします。近年では、私が診断を受けた1990年当時と比べて治療の選択肢も増えています。うまく病気と付き合っていけば、大きな支障なく日々の生活を送ることも可能だといわれていますので、悲観せずに過ごしていただきたいと思います。
私は診断を受けたとき、家族と一緒に決めたことがあります。それは「できないことを数えるより、今できることに目を向けて過ごしていこう」ということです。
病気になると、できないことやつらい症状ばかりにとらわれてしまいがちです。私自身も最初はそうで、当時の日記を見ると愚痴や悩みを書いてばかりでした。それでもある時から、達成できたことや楽しかったことで日記を終わらせようと心がけるようになったのです。その日の症状も書きますが「10分、手芸の作業を進められた」「コンビニに立ち寄れた」といった“今日のよかったこと”で締めくくることで「明日も頑張ろう」と思えるようになりました。今もずっと続けている習慣です。
重症筋無力症の患者さんで、症状に不安を抱えている方がいらっしゃいましたら、患者会の存在をご紹介いただければと思います。「こういう会もあるので連絡してみたら」と軽く触れてくださるだけでも構いません。不安な患者さんを患者会につなげていただければ、何かお手伝いできることがあるのではないかと考えています。ぜひ、一言お伝えいただければ幸いです。
【患者会のWEBサイトはこちら】
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