インタビュー

“誰もが暮らしやすい社会の実現を願って”――重症筋無力症(MG)との「とほほ」な共存生活を「ハッピー」に

“誰もが暮らしやすい社会の実現を願って”――重症筋無力症(MG)との「とほほ」な共存生活を「ハッピー」に
メディカルノート編集部  [取材]

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重症筋無力症(MG)とは、免疫の異常によって筋力が低下し疲れやすくなる症状が起こる難病です。また、見た目は健康な人とあまり変わらないため、周囲から理解されにくい病気です。重症筋無力症の患者さん、わたなべすがこ(渡部 寿賀子)さんは『脱力系コミックエッセイ 重症筋無力症-MG-とほほ日記』(三輪書店)を出版され、この病気を多くの人にイラストで分かりやすく伝えていらっしゃいます。わたなべさんに、重症筋無力症の治療を継続しながら社会生活を送るうえでの問題点や工夫、今後の展望についてお話を伺いました。

私が最初に体の異変に気付いたのは2003年の春、29歳の時でした。目、口、さらに首や手指、両腕、両足など、全身に及ぶ変化が、約2週間で次々と現れました。症状の現れ方はかなり個人差がありますが、私の場合は、症状が短期間で全身に及んだのです。

目の症状

まず気付いたのは目の異変です。よく休んだ後の朝は目が開くのですが、夕方になると瞼が下がったり、明るい光を見ると眩しくて目を開けていられなかったりして、眼球を動かすのもつらくなりました。友人から、「左右の眼球の位置がずれていて、目の焦点が合っていないよ」と指摘されたのが、自分の体の異常を自覚した最初の出来事です。

口の症状

まもなく顎を動かしにくいという症状が現れ、食べ物を咀嚼(そしゃく)したり、飲み込んだりすることが難しくなりました。話しているうちに、ろれつが回らなくなるようにもなりました。

全身の症状

普段使っているかばんや鍋がものすごく重く感じられ、布団を押し入れに上げたり階段を登ったりするなど、腕や太ももの上げ下げをするような日常の動作が次第につらくなっていきました。自分の頭が鉛のように重く、体幹の力も入らなくて背中を起こしていることができないのです。通常の疲れやだるさとも違う、異様な全身の重さや倦怠感を感じていました。

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重症筋無力症(MG)の主な症状 (イラスト:わたなべすがこ)

職場の看護師さんにすすめられ病院を受診

当時、私は高齢者施設に介護職員として勤務していました。ある夜勤明けのこと、顔の筋力もなくなって表情が変わっていた私の顔を勤務先の看護師さんがひと目見て、隣接する町立病院で検査することをすすめてくれました。

3つ目の病院で重症筋無力症を疑われる

最初の病院では脳の画像検査を行いましたが、異常は認められませんでした。すぐに別の個人病院へ紹介状を書いてくださって翌日に受診しましたが、そこでも原因が分からず、違う病名を疑われていたようです。しかし、その病院の先生が入院施設のある大きな病院へ紹介状を書いてくださって、3つ目の病院ではすぐに重症筋無力症(MG)が疑われました。翌々日には精密検査のため入院することになりました。

重症筋無力症(MG)の検査

重症筋無力症、以下“MG”と省略しますが、MGは免疫の異常によって発症する病気で、自己抗体*と呼ばれる抗体が発症に深く関わっています。自分の体の一部である末梢神経と筋肉のつなぎ目(神経筋接合部)の“受容体”というところを阻害する抗体ができてしまって、力が入りにくくなる病気だというわけです。こうした抗体が見つからないMG患者もいるのですが、自己抗体の有無を調べる検査の結果、私の場合は抗アセチルコリン受容体抗体(抗AChR抗体)という自己抗体を持っていることが分かりました。そのほか、筋電図という検査をはじめさまざまな検査を受けて、重症筋無力症:MGと診断されました。また、MGの合併症としてみられる胸腺腫*も見つかり、摘出手術を受けることになりました。

*自己抗体:何らかの原因により自分の細胞を外敵と認識し、攻撃してしまう抗体のこと。通常の抗体は、体外から侵入する細菌やウイルスなどの外敵を攻撃して身を守るはたらきがあるタンパク質。

*胸腺腫:胸腺は胸骨の裏にある組織で、免疫と関係のある役割を担っている。思春期でもっとも大きくなり、成人後は年齢とともに萎縮して脂肪組織と置き換わるが、MG患者の胸腺に腫瘍(しゅよう)などの異常がみられることがある。胸腺腫は胸腺の上皮細胞から発生する腫瘍で、MGなどの自己免疫疾患に関連している場合があり、症状から病気が見つかることもしばしばある。

当時、30歳目前という、多くの人が病気にかかるような年齢ではない若いうちに、聞いたことのないまれで難しい病気と診断されたことも驚きでしたが、何よりつらく感じたのは、「何でこんな時に」というタイミングの悪さでした。私がMGと診断される数か月前に実家の父が肺がんと分かり、闘病中だったのです。家族で力を合わせてサポートしていかなければならないタイミングで、よりによって自分まで病気になったことが何よりショックでした。それまでの私は介護の仕事をしていたのに、自分の親に対しては何もできないどころか悲しませるだけだと、親不孝な自分の不甲斐なさにいたたまれない気持ちでした。

父とは、お互いに病を抱えた中でかけがえのないやり取りができましたが、心配をかけたまま見送りました。

また、MG患者は男性よりも女性のほうが多く、20歳代~40歳代くらいで発症する*ケースが圧倒的に多い病気でした。30歳前後といえば、まだこれから仕事の経験を積んだり、結婚・出産・子育てなどを経験したりする世代です。病気との生活が長くなるにつれ、同世代の友人や多くの人が人生のステップを重ねている中で、自分だけがどこにも進めず、出口の見えないトンネルに取り残されたような思いでした。

*2018年の全国疫学調査では、発症年齢のピークが男女共に60歳前後に変化しています。

最初の自覚症状から診断がつくまでの期間が約3週間と早かったことは、運がよかったと思います。私の場合は、しかるべきところに次々と紹介していただけたおかげで、早期の診断につながりました。

なかなか診断につながらないケースも

人によっては、診断に至るまで長くかかるケースもあると聞きます。MGは全身に症状が現れる“全身型”のほか、目だけに症状が限られる“眼筋型”もあり、目の病気を疑って眼科を受診する患者さんも多くいますし、脳や内臓の病気でもなく、通常の血液検査などでは異常がみられないため、病気を精神的なものと診断されてしまうケースもあると聞きます。

症状を悪化させず早期発見・早期治療につなげるためにも、眼科と脳神経内科の先生が密に連携したり、各診療科の先生方に専門外の病気のことも知っていただいたりして、適切な診療科を速やかに紹介していただけるようになることを願っています。

命に関わることもある“クリーゼ”

私は、発症して3年目に、MGでもっとも危険な状態にまで症状が悪化してしまい、呼吸ができなくなる“クリーゼ”という状態に陥りました。全身や喉の力も弱りすぎて薬を飲み込むこともできなくなり、救急搬送されたのです。人工呼吸器を気管挿管し、数週間寝たきりで過ごすこととなりました。

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2005年当時、わたなべさんが入院中に描かれたイラスト
(三輪書店『脱力系コミックエッセイ 重症筋無力症-MG-とほほ日記』p132)
「人工呼吸器を挿管して寝たまま、腕の力もない状態で筆談していました。シーツのしわが背中にあたるだけで“痛い”と感じていたので、必死の訴えでした」

現在は、人工呼吸器の使用や、自己抗体を取り除くような急性期の治療など、免疫調整療法が普及したことで、昔に比べMGの患者さんで命を落とす方やクリーゼに陥る方は減少したといわれています。それでも、自分の体の調子が落ちていると感じて不安なときなどは、遠慮なく速やかに医師に相談することが大切だと思います。

MGは、症状に日内変動(1日の中でも症状が変動すること)があるため、周囲にも医療従事者にも症状を伝えにくい面があります。一般的に、朝は症状が軽く夕方になると症状が悪化する傾向があるのです。

周囲の方々には説明しても、誰にでもよくある疲労と捉えられることもあって、説明するのをやめてしまうこともあるかもしれませんが、我慢して無理を続けても、症状を悪化させてしまっては生きていけません。特に医師の診察を受ける時には、たとえば、症状の変化についてメモをしておくとか、今の時代ならスマートフォンで具合が悪い時の状態を録画しておくことも、1つの手かもしれません。そうした準備をして、受診時に分かりやすく説明できるような工夫をするとよいと思います。

重症筋無力症(MG)に関する情報量の少なさ

苦労した点の1つは、MGが希少疾患のため、情報が少ないことでした。姉や友人がインターネットで調べて、この病気についての情報や、患者同士が交流できる患者会があることなどを教えてくれたものの、地方に1人で住んでいて車の運転もできなくなっていたので、患者会に参加することもすぐにはできませんでした。最初の入退院から間もなく“一般社団法人 全国筋無力症友の会”に入会しましたが、会に参加するために出かけることもできませんでした。実際に同じ病気の人と顔を合わせるまでは、「私と同じような症状で苦しんでいる人が私のほかに本当にいるのだろうか?」と疑問に思うくらいでした。

周囲に見えづらい重症筋無力症(MG)の症状

MGについて理解している親しい友人は、買い物や通院など日常生活で困っていることを助けてくれました。しかし、何も知らない通りすがりの人からすれば私は元気な若者に見えるので、たとえば、公共交通機関などで優先席に座ることもはばかられます。私自身、吊り革につかまるために腕を上げ続けたり、揺れる電車の中で立っていることがきつかったりするのですが、高齢者や妊婦さんなどが立っていたら、元気そうに見える自分が座っていられないと考えていました。見た目から理解されにくい点が、社会に出て行くことの妨げになっていたようにも思います。

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一見、健常者に見えるのが困り事でもある
(三輪書店『脱力系コミックエッセイ 重症筋無力症-MG-とほほ日記』p36)

病気によって生じた身体的・経済的・精神的困難

私の場合は、自分の発症と同時期に父も病気で他界し、実家に頼ることもできませんでしたし、独身なので自ら働いて収入を得る必要がありましたが、それまでの体力を使う仕事は続けられず、解雇されることになりました。病気になって失うのは体の自由だけではなくて、経済的な損失や精神的なダメージも受けるのですよね。これからの人生はどうなってしまうのかという不安でいっぱいの30歳代でした。

MGのように希少で、発症機序が不明な長期慢性疾患の場合、お薬や手術など、何らかの治療を受けられることは幸いなことだと思います。まして、かつてはMG患者の多くが命を落としていたわけですから、患者も家族も藁にもすがる思いで治療を受けてきたと思います。私も藁にもすがる思いはありましたが、薬の副作用に関して、特にほかの病気を併発するリスクが高まることは不安でした。

MGは免疫機能が誤作動を起こして自分の体の一部を攻撃している病気のため、免疫をあえて抑制する治療を行います。すると当然、感染症にかかりやすくなったり重症化するリスクが高まったり、骨などへの影響や、胸腺腫以外のほかのがんなどにかかるリスクも上がります。数年前までは免疫抑制剤に関する妊産婦への安全性も確認されていなかったので、妊娠・出産を避けなければならないという問題もありました。

そんなわけで、私は最初の2〜3年は、手術以外の服薬治療などを躊躇してギリギリまで我慢してしまったのですが、もっと早く適切な治療を受けていれば、クリーゼにまで至らなかったのでは?という思いもあります。現在は、発症初期段階で急性期の治療を集中的に行うことで、長期的には服薬量が少なくて済んだり、生活への影響も抑えられるようになったりしているので、患者も勉強して正しい知識を持つことや、医療者を信頼すること、主治医の先生とよく相談することが大切だと思います。

MGのような病気は、まだまだ世の中に知られていないため、就労や就学、社会活動のしづらさにつながっていると思います。たとえば、買い物で荷物が持てないとか、通院や通勤に伴う移動なども困難を伴います。外食1つするにしても、背もたれのある椅子があるかどうかを確認したり、口や喉の症状がある場合は人と同じ食事を取ったりすることも大変です。今まで普通にできていた会食や行楽などの人付き合いが、思うようにできなくなってしまいました。

また、病を得て特に感じたのは、「世の中は、元気な青壮年を中心にできている」ということです。駅や道路、商店街、学校や会社、どこをとっても、高度経済成長期に作られた構造のまま、働き盛りのお父さんや若者に合わせて作られているのですよね。小さな子どもを連れた人や、お年寄り、病気や障害がある人などのことは考えられていなかったのだと、自分が体力のない立場になって痛感しました。社会の物差しと、自分の物差しが、完全に合わなくなってしまった、と感じてきました。

発症以来、社会の物差しには自分を合わせられなくなりましたが、自宅については、筋力が弱くても暮らしやすいように整えてきました。発病前までは畳の生活でしたが、低い所から立ち上がることが大変なので、テーブルとベッドを入れて、洋式の生活に変え、肘かけとヘッドレストの付いた椅子に座っています。よく使う道具は腕を上げなくてよい位置へ移動させ、食器や調理器具も軽い物に入れ替えました。食事も満足にできない時期もありましたが、噛んだり飲んだりしやすい食べ物を準備するなどの工夫をしてきましたし、手荷物を減らすためにリュクサックで外出するなど、体への負担をできるだけ小さくするようにしています。

テクノロジーの発達もありがたいことです。タブレットやスマートフォンで、外出ができなくても調べ物や買い物ができたり、意思疎通が図れたり、筆が持てなくても絵を描けるのは助かります。社会的弱者が便利なツールをもっと活用できるようになるといいですよね。

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筋力が弱くても、衣食住の工夫をこらして疲れを軽減 (イラスト:わたなべすがこ)

患者会のつながりは心強いものです。MGの治療に関することだけでなく、近年では新型コロナウイルス感染症の問題で、予防接種のことや、不測の事態が起こったときはどうしたらよいのかといったことなど、同じMGの患者さんの話は参考になりました。同じ病気でも、症状の現れ方や、発症した時代、年齢、受けた治療、家族構成、仕事や暮らし方など、背景もそれぞれに違いますが、似たような症状や経験を持ち、手に取るように相手の言っていることが分かるという面もあります。お互いに理解し安心できる仲間がいることは、とてもありがたいことだと思います。

現在の私は、通院治療を続けながら、研究機関の広報スタッフとして働いています。少しずつ長く働けるようになって、今はフルタイム勤務ですが、コロナ禍以降は週に1〜2日出勤する以外はほぼ在宅勤務です。母との2人暮らしで、買い物や夕食の支度など、母に支えてもらっています。現在の職場に勤務して12年になりますが、その間、胸腺腫の再発・再再発に加え、腎臓にできた腫瘍の手術と、婦人科系の治療を受けてきたものの、MGの症状自体は服薬治療でコントロールさせつつ、おおむね安定しています。

ただ、現在は母と私で何とか生活できていますが、母に介護が必要になった場合や、家事も仕事も全部こなさなければならなくなったら、私は今のように働く体力はとてもないので、いつまでこの生活を続けられるのだろうと思っています。私は30歳でいったん仕事も失いましたし、不安定な雇用で働いてきたので、自分が高齢になった時の資金もない、といった問題があります。私の世代は、健康であってもそうした問題を抱えている人が多くいますが、やはり今の日本は「健康で定年まで働き続けられる夫と妻と元気な子ども」でなければ生活できないような制度設計なので、心配は尽きません。

MGを取り巻くさまざまな問題はまだありますが、以前と比べ少しずつ改善されてきていることもあります。

近年、SDGs(持続可能な開発目標)が国連サミットで採択されて、目標の1つに“誰一人取り残さない社会の実現”というのがありますよね。日本でも、“働き方改革”とか、“ダイバーシティ・インクルージョン*”が謳われるようになって、多様性や包括性を持つことに注目が集まってきています。

また、コロナ禍は病気や障害を持つ者にとっても大変でしたが、これを機に、“誰でも病気にかかる可能性がある”という意識や、“具合が悪かったら休もう”という意識が社会に芽生えたことは、よかったと感じています。

*ダイバーシティ・インクルージョン:多様性を受け入れ、企業の活力とする考え方。

しかし、日本における難病患者の就労はまだ厳しい状況にあると感じています。障害者雇用促進法で障害者の雇用は義務づけられていますが、日本の法律では“身体障害、知的障害又は精神障害があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者”が障害者と定義されており、“難病患者=障害者”ではありません。難病の症状や程度によって障害者手帳を取得できる場合もありますが、MG患者というだけでは障害者雇用促進法の枠から外れるため、健康な人と同じ土俵で就職活動や就労をしなければならなかったり、病気のことを正直に伝えても雇用に至らなかったりするケースや、職場の理解がなかなか得られないといった問題があります。

MG患者に限らず、何らかの病気を持っていても、在宅勤務や時差通勤などの工夫を取り入れれば、十分に就労が可能な患者もいます。今後、行政や社会にはこういった点にも目を向けていただきたいと願っています。

私はMGを発病する以前から、身の周りのできごとを絵や文で表現していました。見た目で分かりにくく、話すことも大変なこの病気をどう説明しようか?と思っていた矢先、友人が「“せっかく”あなたみたいな人が病気になったのだから、絵に描けばいいじゃない」とすすめてくれたのです。なるほどと納得した私はすぐさま簡単な文とイラストで漫画のようなものを描き、コピーして友人たちに配ることにしました。これが周囲の理解を得る一助となりました。友人が縁をつないでくれたことにより、これまで描いてきたものが2007年に『重症筋無力症とほほ日記*として出版され、2019年に改訂版を出版していただきました。

MG患者はもちろん、多くの方に活用していただきたいですし、私自身、職場などでも病気について理解してもらうきっかけになって、自分を助けてくれています。周囲の理解を得るには、“積み重ねによる信頼関係の構築”しかないと思います。真面目に働き、正直に自分のことを話す。付き合いを深め理解してもらうことが大切だと考えています。

*2007年に『I'm MG~重症筋無力症とほほ日記~』を初版として出版。2019年に改題して一部内容を改訂した『脱力系コミックエッセイ 重症筋無力症-MG-とほほ日記【改訂版】』を出版。

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『脱力系コミックエッセイ 重症筋無力症-MG-とほほ日記【改訂版】』三輪書店

私は、自分の経験したことを、できるだけオープンに伝えていくことが大切だと考えています。出版をきっかけに、製薬会社の方や福祉系大学の学生さんなどの前で話す機会を得ましたが、患者以外の方にお話を聞いていただくことは貴重な機会です。イラストは視覚的な理解を助けるものだと思うので、今後も、見えない病気を“見える化”して伝えていきたいと思います。

病を得て、それ以前にできていたことができなくなり、失ったものも多々あります。しかし、元気なときには見えていなかったことが見えるようになり、新たな発見もありました。多くの“人の情け”に触れ、得られたこともたくさんありますし、病気を発症してなお失われなかったものもあります。それは自分自身の誇りとして今後も大事にしていきたいです。

机に向かう時は、ヘッドレスト・アームレスト付の椅子で姿勢を安定させている

MGとよく似た症状がある方は、できるだけ早く医療機関を受診してほしいです。MGは脳神経内科の領域になりますが、1つの医療機関で診断がつかなくても、紹介状を書いていただいて、しかるべきところで精密検査を受けてください。もし、MGと診断されたら、患者会もありますし、同じ病気の仲間がいますので、遠慮なく相談してください。

いつもお世話になっていることにお礼を申し上げたいです。ありがとうございます。

これは、医療従事者の方に限らずの話ですが、MGのような長期慢性疾患患者の多くは、退院がゴールではなく、退院からが病気との付き合いの本番のようなもので、長期にわたる治療の継続が必要です。その病気とともに生きていかなければなりません。病気とともに社会生活を送るにはどうしたらよいかということを、一緒に考えていただけたら幸いです。

また、お薬を開発する方々には、嚥下障害(えんげしょうがい)のある患者にとって経口薬の服用は大変なことなので、飲み込みやすい薬が開発されることを願っています。

私よりも元気な高齢の方はたくさんいらっしゃるので語弊があるかもしれませんが、私は、MGの症状は、高齢者が持っている特徴と似ているのではないかと考えています。たとえば、年齢を重ねるとともに筋力も低下していくので、食べ物を噛んだり飲み込んだりしづらいとか、疲れやすくなるといったこと。また、今は若くて健康な方も、誰もが死ぬ前には何らかの病気になるわけですし、誰かの助けが必要になります。そう考えると、私のような患者は超高齢化社会の先駆けのようなもので、この病気を経験して得た知恵を皆さんにお伝えするお役目があるのでは?といった思いがあります。

私は、クリーゼという状態に陥り人工呼吸器を気管挿管されていたとき、声も出せず、寝返りを打つことすらできずに天井を見つめている日々で、これは生き地獄だと思いました。その一方で、自分がエネルギーを持った重い存在であることを感じ、「人間は生きているだけで奇跡であり、存在しているだけで周囲に影響を与えている」と強く感じました。これは非常に貴重な経験でした。

人の役に立つことは、生きていくうえでの支えになります。しかし、間違えてはいけないのは“役に立つこと”だけが人間の存在意義や価値ではないということです。

病気になることは誰にでも起こり得ることです。今、元気な方々には力を貸していただきたいですし、体力のない人は、知恵や経験を共有することができるのではないか、と考えます。誰もが暮らしやすい、皆で助け合える社会になることを心から願っています。

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