回り道をおそれないで

DOCTOR’S
STORIES

回り道をおそれないで

産婦人科医から呼吸器内科医へキャリアチェンジ、多くのことに挑み続けてきた杉山温人先生のストーリー

国立国際医療研究センター病院 院長
杉山 温人 先生

医師になった理由

担任の教師にすすめられて医師を目指す

1970年代は、原子力が大きく注目されていた時代です。その影響を受け、私は高校2年生まで原子力物理学者を目指していましたが、高校3年生のとき、「医学部を受験してみたらどうか」と担任の教師にすすめられたことをきっかけに医師になることを決意しました。

また、私の弟はインフルエンザワクチン接種の影響で、脳性まひの後遺症があります。医療とかかわりが深い弟がいて、医療が身近な環境で育ったことが、医師になる決意をより強いものにしてくれたのではないかと今なら思えます。

産婦人科医から呼吸器内科医にキャリアチェンジ

祝福の声が飛び交う産婦人科から、呼吸器内科へ

東京大学医学部を卒業した私は、産婦人科医の道を選びました。理由は、診療科のなかでも「おめでとう」を患者さんと喜び合うことができると憧れを抱いていたためです。

しかし産科研修医として働いていた頃に医療トラブルに巻き込まれ、キャリアチェンジを決心しました。そのトラブルから「重篤な状況にある患者さんを救いたい」という気持ちが芽生え、慢性疾患や難病を抱えていたり、終末期*を迎えていたりする患者さんが多い呼吸器内科医に転向しました。

終末期…一般的には老衰・病気・障害の進行により死に至ることを回避する方法がなく、死期が近い時期のこと

呼吸器内科医としての経験を積む

都立駒込病院で呼吸器内科医としての第一歩を踏み出す

産婦人科医からキャリアチェンジをした私を快く受け入れてくれたのは、都立駒込病院のアレルギー膠原病科(現:膠原病科)でした。そこで、恩師である猪熊茂子先生と出会いました。喘息などの呼吸器疾患やリウマチを得意としている猪熊先生のもとで、約2年間内科疾患の勉学に励んだり、診療にあたったりなどして、呼吸器内科医としての第一歩を踏み出しました。

東京大学医学部附属病院でさらに呼吸器内科の研究を重ねる

その後、日本のアレルギーとリウマチ・膠原病の診療を大きくリードしてきた、東京大学医学部附属病院 物理療法内科(以下、物療内科)へ入局しました。物療内科では、診療や研究に打ち込む生活を送りました。

物療内科では2人の恩師に出会いました。当時の物療内科の教授で、多様なことにチャレンジするきっかけを与えてくれた宮本昭正先生と、研究の手ほどきをしてくれた須甲松信先生です。

物療内科に入局してから3年後、宮本先生から「留学してみないか」とお声がけいただき、留学を決断しました。

米国クレイトン大学に留学、充実した生活を送る

留学先として選んだのは、アレルギー疾患に長けているアメリカのクレイトン大学 アレルギー科です。そこでは約3年間、気管支喘息の研究を行いました。

留学では、研究だけでなく家族とも充実した時間を過ごすことができました。大学に行く前に息子を保育園に送り出し、日が暮れる前に迎えに行く。休みの日には国立公園に行ったり、家族で旅行をしたりなど、オン・オフの切り替えがはっきりした生活を送っていました。

医師になると、こうした生活を送ることが難しくなります。若手の医師には、チャンスがあれば、ぜひ留学してほしいと思っています。

国立国際医療研究センターとの出会い

紆余曲折の末、国立国際医療研究センター(NCGM)へ

1992年、現在院長を務める国立国際医療研究センター病院に赴任しました。その後は、東京大学に戻って研究に没頭したり、市中病院で診療に打ち込んだりと、国立国際医療研究センター病院から離れていた時期もありました。

しかし、何かの縁なのでしょうか。2004年に再び国立国際医療研究センター病院の呼吸器内科に戻ってくることとなり、2012年には呼吸器内科診療科長となりました。

NCGM国府台病院の経営改善に乗り出す

2018年、千葉県にある国立国際医療研究センター国府(こうの)台(だい)病院の院長に任命されました。私に課せられたミッションは、「国府台病院の赤字の原因を究明して改善すること」。

大変な役回りだと思いましたが、ちょうどその頃、国府台病院へのDPC導入が始まり、病棟集約、外科系診療科のてこ入れなどで少しずつ赤字が改善しました。

国府台病院の経営は改善できたものの、国立国際医療研究センター全体の経営状況を改めて精査すると、国立国際医療研究センター病院にも見過ごせないほどの赤字があることが判明しました。そこで、国府台病院の経営改善も一通り目途がついた2019年、国立国際医療研究センター病院の院長に就任することになりました。

国立国際医療研究センター病院の院長としての思い

縁の下の力持ちとして、現場の医師をバックアップすることが院長の仕事

私が考える院長像は、あくまでも縁の下の力持ちです。病院の花形は現場で働く医師であり、院長の仕事は彼らをバックアップしたり、活躍の場をセッティングしたりすることです。よりよい医療を安定して提供できる環境を維持していくために、健全な病院経営を行うことが、私が果たすべき仕事と考えております。

人を育てる方法は、チャレンジをさせること

私が国立国際医療研究センター病院の院長として働くことができるのも、これまでに出会った恩師のおかげです。

私は若手の頃に何をすればよいかわからない時期に「この仕事やってみなよ」、「留学してみたら?」という恩師の言葉があったので、多様な経験を積むことができ、そこから自分に適した分野が少しずつ見えてきました。

この経験から、医師に限らずどの職業においても、よき指導者である“メンター”を配置するべきだと考えています。そして、どんなことでもまずはチャレンジさせることで、人を育てることができると思っています。

回り道することをおそれないで

私の医師としての人生は、回り道の連続でしたが、決して後悔はしていません。むしろ、未来ある若者たちには、「回り道することをおそれないでほしい」と言いたいのです。

何が自分に適しているのかを頭のなかだけで考えても、経験を積んでいなければ答えを見つけることは難しいでしょう。だからこそ多様な経験を積み、自分の適している分野を見つけることが大切だと考えています。選択した仕事や診療科が自分に合わないと感じたら、キャリアチェンジをしてもよいと考えています。

そして与えられた場で自己研鑽を積み、最終的には積み重ねたものが花開くと確信しています。

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