人の役に立ちたい、その一心で歩んだ脳神経外科医の道

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人の役に立ちたい、その一心で歩んだ脳神経外科医の道

脳神経外科医の育成にも力を注ぐ廣田暢夫先生のストーリー

横須賀市立うわまち病院 第一脳神経外科 部長
廣田 暢夫 先生

子どもの頃から一直線に医師を目指した

人の役に立つ人生を歩みたい。小学生の頃から、漠然とそう思っていました。どんな仕事に就いたら自分の希望が叶えられるのか。さまざまな仕事を思い浮かべるなかで、もっとも分かりやすく人の役に立てる仕事は、治療によって病気の人を治す“お医者さん”ではないかと思うようになりました。
医師になれば、生涯にわたり人の役に立つことができる。そう思うようになってからは、他の仕事に心が揺れたことはありません。「医師になり人の役に立つ」と、ひたすら信じ続け、医師を目指したのです。
さらに、私自身が病気がちだったことも影響したと思います。幼い頃から喘息を患っていた私は、治療のための入院も2回程経験しています。子どもは入院を嫌がることも多いと思いますが、私は逆でした。入院が決まったときには、「これでやっと楽になれる」と、非常にほっとしたことを覚えています。また、幼い頃からアトピー性皮膚炎にもかかっており、薬などで治療しながら生活してきました。
このように病気で苦しんできたからこそ、同じように苦しむ人たちを助けたいという思いがいつの間にか芽生えたのでしょう。実際に医師になってからも、私自身が病気を抱えているからこそ、誰よりも患者さんの気持ちを理解することができると自負しています。

脳神経外科という厳しい世界で挑戦したい

医師の中でも脳神経外科医を選んだのは、より厳しい世界で挑戦したいと思ったからです。幼い頃から病気を患っていた私は、虚弱体質を自覚しており、体力にも自信がありませんでした。医学部を卒業し、専門分野を選択する際にも、外科などハードな世界で働くことは難しいと思っていました。たとえば、外科医として長時間にわたる手術には耐えられないのではないか、と不安を感じていたのです。そのため、当初は、できるだけ体力を使わずに治療に従事することができる専門分野を想定していました。
しかし、いざ自分の道を選ぶにあたり、「一度しかない人生を自身の病気によって制限されていいのか」という思いがわいてきました。そして、医師の中でも、仕事がハードであるといわれている外科医に挑戦したいと思うようになったのです。なかでも、もっとも興味があったのが脳神経外科医でした。大学で実習を積むなかで、脳神経の病気は、複雑で興味深いと思ったからです。
脳神経外科医が扱う症例は難しいものも少なくありません。手術が長時間にわたることもあります。体力面で不安がなかったわけではありません。しかし、最終的に、挑戦したい気持ちが勝り、脳神経外科医になることを選びました。

“10年間は何があってもやり抜く”覚悟を胸に

厳しい世界であることはわかっていたので、「10年やってダメだったら諦めよう」と思っていました。逆に、10年間は全力を尽くし、何があってもやり抜く。そう覚悟し、晴れて脳神経外科医になりました。
脳神経外科医になってからというもの、一貫して技術を磨くことを何よりも大切にしてきました。外科医は、いかに早く技術を習得するかが大切であると思っています。技術を磨くには経験が必要です。手術には大きなプレッシャーがかかりますが、とにかくたくさんの手術を経験し、研鑽を重ねてきました。
私は、特別優秀なわけではなかったと自覚しています。しかし、人一倍強い情熱だけは、誰にも負けなかったと自負しています。情熱だけを武器に、ただひたすら技術を磨いてきたことが、現在の自分をつくりあげました。結果として、他の医師に見劣りしない技量を身につけることができたと思っています。

とにかく一生懸命に患者さんに向き合う

脳神経外科医になってから、たくさんの患者さんに出会ってきました。手術が成功し、感謝されたときは、素直に嬉しいです。脳の手術は、うまくいかないと意識が回復しないこともありますし、手足の麻痺など後遺症が残ってしまうこともあります。意識が回復し、後遺症がない状態であると、ほっとします。このように、手術の結果が良好であるときは特に嬉しいです。思わず心の中でガッツポーズをとってしまうこともあるほど。
しかし、病気が進行し、どんなに治療が難しい状態だとしても、精一杯手を尽くすことが大切だと思っています。
医師5〜6年目のことです。40歳代くらいのくも膜下出血の男性の患者さんがいらっしゃいました。何とか助けたい一心で治療に手を尽くしましたが、病状は悪化し、最終的に亡くなってしまいました。患者さんの死後、1週間が過ぎた頃でした。奥様が私を訪ねていらっしゃったのです。そして、「一生懸命やってくれて、ありがとうございました」と感謝を伝えてくださいました。助けることができなかったにもかかわらずです。
そのときのことを今でも鮮明に覚えています。この出来事は、医師として精一杯患者さんに向き合うことが大切であると私に教えてくれました。今でも、どんなに難しい状況であったとしても、諦めることなく、できる限り治療に手を尽くすことを大切にしています。

10年目に訪れたカテーテル治療との出会い

「10年間は何があってもやり抜く」という自分との約束を守り、医師10年目を迎えたときのことです。ひとつのターニングポイントが訪れました。それが、カテーテル治療との出会いです。
1997年、船橋市立医療センターに在籍していた頃、カテーテル治療*が始まりました。80歳の脳底動脈瘤の患者さん。その方がカテーテル治療を受けられた翌日、普通に食事ができるまで回復している姿を見て、衝撃を受けました。患者さんへの負担が少ない治療法であることに驚くと同時に、「この治療は進歩する」と確信したのです。それは、カテーテル治療を本格的に学ぼうと決意した瞬間でもありました。
それからは、手術とともにカテーテル治療の鍛錬も重ねるようになります。カテーテル治療を学ぶ過程では、フランスへの留学も果たしました。当時の日本ではカテーテル治療の症例がまだ少なかったため、技術を磨きたい一心でフランスの病院に手紙を書き、自らチャンスをつかみました。大学の講師を辞め、脳神経の治療が進歩しているフランスへわたったのです。

留学先であるパスツール病院

1年半、フランスで研鑽を積み、カテーテル治療の技術を習得することができました。その後、指導医の資格も取得し、今ではカテーテル治療の指導にも努めています。

留学先の恩師であるTournade教授と共に
留学先の恩師であるTournade教授と共に
留学先のスタッフと共に
留学先のスタッフと共に

カテーテル治療:カテーテルという細い管を血管の中に誘導し、血管の内部から脳の病気を治療する方法

横須賀市立うわまち病院の医師へ

留学から帰国後は、現在、私が勤める横須賀市立うわまち病院へやってきました。しかし、この地にゆかりがあったわけではありません。ここは、公立の一般病院の医師として勤務することを希望し勤務先を探した結果、出会った病院でした。
公立の一般病院の医師として勤務したいと思うようになったのは、船橋市立医療センターという公的医療センターに勤めたことがきっかけです。同センターは、診療科や職種間の敷居が低く、協力体制が築かれているように思えました。患者さんのことを常に受け入れており、よい医療を提供する体制が築かれているように感じられたのです。加えて、スタッフの技術力が非常に高いと感じた点も特徴でした。同センターで働いたことをきっかけに、これが私の生きる道だと思った私は、フランスで修行した後に、公立の一般病院を探したのです。
また、救急疾患の治療に携わるため、救命救急センターのある病院を探していました。応募した当時、横須賀市立うわまち病院には救命救急センターはありませんでしたが、のちにセンターをつくる予定であること、救急車を多数受け入れていることを教えていただきました。自分の希望にあった病院であることが分かり、入職を決めたのです。

後進の育成にも力を注ぐ

横須賀市立うわまち病院へ入職後は、“断らない医療”をモットーに、さまざまな状態の患者さんを受け入れてきました。また、働きやすい環境づくりにも力を入れています。それは、後進の脳神経外科医には、長期のキャリアを築いてほしいという思いがあるからです。そのためには、できるだけ無理のない勤務体制を築き、安心して技術を磨くことができる環境をつくることが大切であると思っています。
近年は、後進の指導にも特に力を入れています。私にもメスを置くときが必ずやってきます。だからこそ、自分のもつ技術を伝えていかなければいけないと思っています。後進には、常に真摯に人の話を聞くとともに、自分なりの意見を持つよう指導しています。私自身、いつでも自分で考え、決めることを大切にしてきました。
このように指導していると、徐々に若手の医師が「自分はこう思うからこのようにやっていきたい」と自らの意見を伝えてくれるようになります。指導の結果、彼らを成長させることができる限りは、教育にも力を入れていきたいと思います。

「患者さんの役に立ちたい」それが何よりの原動力

私にとって、脳神経外科医は、決して楽な道ではありませんでした。それでもこの年まで続けてきたのは、「患者さんの役に立ちたい」という気持ちが薄れることがなかったからです。私にとっての原動力はそれだけです。
自分の技量が不要となったら、そのときは喜んでメスを置くつもりです。できる限りのことをやってきた自負があるので、悔いはありません。しかし、自分の技量で救える患者さんがいる限り、治療に全力を尽くしていくつもりです。さらに、長年培った技術を後進へ伝え、脳神経外科医の育成にも力を注いでいきます。

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