未来あるこどもたちの医師であり続けたい

DOCTOR’S
STORIES

未来あるこどもたちの医師であり続けたい

研修医時代に感じた無力感を原動力に変え、小さな命を守る寺井 勝先生のストーリー

千葉市立海浜病院 小児科 、千葉市病院 前事業管理者
寺井 勝 先生

一つのテレビドラマから、医師を志した

親族に医師がいなかったこともあり、私はもともと医師を目指していたわけではありません。医師を目指すきっかけとなったのは、医師にスポットを当てたテレビドラマを見たことでした。そのテレビドラマを見て不思議と感動し、「将来はたくさんの患者さんの役に立てる医師になりたい」と、医師に憧れを抱いたことを今でもよく覚えています。

当時は、ちょうど大学受験を考え始める時期。将来の夢が定まっていなかった私にとって、何のために大学に進学したいかと思い悩んでいたタイミングの出来事でした。テレビドラマではありますが、これこそが「医師になるために勉強したい」と医学部に進学するきっかけ、さらには医師になるきっかけになった大きな転機でした。

未来あるこどもたちを1人でも多く救いたい

医学生の私が小児科医を選択したのは、生まれたばかりの小さなこどもたちを、1人でも多く救いたいという強い思いがあったからです。医学生であった1970年代当時は、医療の進歩が十分でなかったこともあり、小さく生まれたために呼吸が十分にできないこどもたちを救うことは難しかったのです。さらに、成熟児として生まれたこどもたちの中で救えなかった命も多く、こどもたちの医師になることを志しました。生まれつきの心臓や肺の障がいに向き合い、苦労していた従姉や従弟を幼少期から見てきた記憶が、私の背中を押してくれたようにも思います。

相談しやすい医師、そしてこどもたちの成長をケアできる医師であること

私が日々大切にしていることは、こどもたちやご家族が相談しやすい医師であること、そして一人ひとりの患者さんの成長を見守っていくことです。

病院にいるこどもたちは、幼い頃から病気を抱えながら、こどもたちなりに不安な気持ちで過ごしています。そのようなこどもたちに安心してもらえるよう、こどもたちやご家族と少しでも時間をかけて向き合うことを大切にしてきました。

病気によっては、生まれてから成人するまで、さらには高齢になるまで、小児科医が関わり続けることがあります。障がいを持ったこどもたちが、やがて学校に通うようになり、社会で働いたり結婚や出産を迎えたり、それらのライフイベントを見守ることができるのは医師としての喜びでもあります。

救えなかった無力感こそが医師としての原動力

私の父は幼い頃に両親を亡くし、高校卒業と同時に働き始めました。私が背中を見続けていた仕事一筋の父が、33年前にがんで亡くなったのです。当時は、告知することが当たり前ではなかった時代です。闘病生活に入って1年が経った時期、私から転移がんであったこと、それから「残された時間は限られているから、出来ることをしてほしい」ということを父に伝えました。実は、告知する勇気を持つのに1年かかったというのが正直なところです。幸い、父は病状を冷静に受けとめ、がんと向き合ってくれました。すでに医師であった私は、自分の親が亡くなることに初めて立ち会い、親が病気と向き合う背中を見て、“自分もその時が来ればこのように死と向き合える”と父から勇気づけられたことを覚えています。

私が医師になった当時の小児病棟では、心臓病や白血病のこどもたちを助けることが難しい時代でした。臨終に際して、泣き崩れてしまうご家族にも多く立ち会いました。物心ついたばかりの幼児や学童は、死と向き合う恐怖、それ以前に命が絶えることの意味さえ分からずに病気と闘っていたことでしょう。その一方、こどもに先立たれる親の苦しみ、悲しみをわたしは知りません。おそらく、堪え難い日々を送っているのでしょう。「こどもが先立つこと、それは親が先立つこととは全く違うのだ」と、父の臨終に向き合うことで、小児病棟で起きている“こどもが先立つ”ことの壮絶さを改めて感じました。

たくさんの尊敬する恩師からの教えで、明確なビジョンを描くようになった

私は、いろいろな経験があって初めて、自らが目指す医療に対するビジョンが明確になるのではないかと考えています。

私が出会った多くの恩師は、人間的にとても魅力的な方々でした。なかでも、視野の広い恩師からは学ぶことがたくさんありました。恩師の教えや指導があったおかげで、自らの目指す医療の姿や形が次第に見えてきたように思います。

4年前に自治体病院である千葉市立海浜病院の院長になってから、“地域のこどもたちから高齢の方にまで求められる医療を提供する”というビジョンを掲げています。先進国でも類を見ない少子超高齢社会の日本は、この先急激な人口減少を迎えることでしょう。このような少子化、および超高齢化時代を生き抜いている小さなこどもたち、そして病を抱えた高齢の方が癒される、“全ての年齢の患者さんをケアできるジェネラルホスピタル”を創っていきたいのです。そのために必要な人材であるホスピタリスト(総合医)の育成も心掛けていきたいと考えています。

もちろん、すぐに実行できることではありませんが、ジェネラルホスピタルの構築、それは私の医師人生の集大成と考えています。

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