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インタビュー

公開日 : 2016 年 07 月 15 日
更新日 : 2017 年 05 月 08 日

「病院」はかくあるべきか。真の地域医療を実現した横須賀市立うわまち病院

明治・大正・昭和・平成と100年以上の歴史を持つ横須賀市立うわまち病院は、平成に入ってから市立病院へと体制を変化させ、新たなスタートを切りました。今回は、管理者を務める沼田裕一先生に、横須賀市立うわまち病院が歩んできた歴史、そして担う機能についてお話を伺いました。

横須賀市立うわまち病院の歩み

横須賀市立うわまち病院は、2002年に前身の国立横須賀病院を国から市へ移譲されることで生まれました。国立病院時代、それより更に前の時代を入れると当院の歴史は100年を超えます。

この100年の間に病院の役割や機能は大きな変遷を遂げてきました。明治以降、日本における一般医療は民間が行うことが基本になり、国立病院は特殊な役割を担う位置づけでした。このような時代背景の中、当院は横須賀衛戍(えいじゅ)病院(陸軍の駐屯地の病院)として開院したのです。戦争が終結し病院が不足した1945年には、外地引揚者専用の病院として機能しました。こうした歴史を歩んできた当院が一般診療を開始したのは1946年のことでした。

戦後、日本中の国立病院が一般診療を開始したのですが、その後1980年代に国立病院統廃合が進められ、国立横須賀病院も対象となりました。横須賀市は300床を超える地域の基幹病院を廃院にするわけにはいかないので、厚生労働省、神奈川県、地域医療振興協会と協力して病院を存続すべく、4者で横須賀市への移譲を成功させました。これが、現在の横須賀市立うわまち病院のはじまりです。

沼田裕一先生の管理者就任と、新たな改革

移譲が行われた2001年10月当時、私は熊本赤十字病院に勤務していましたが、当時の地域医療振興協会の理事長から命をうけ管理者に就任しました。移譲はすでに順調に稼働している病院を引き継ぐにあたり、最も懸念されることは医療事故でした。つまり、システムを大きく変えては混乱してしまいます。これを避けるため、管理者としては斬新な方針を打ち立てることもできず約6割の国立病院からの引き継ぎ職員と、新しく採用した職員に、できるだけ国立病院時代のシステムを受け継ぎ、新病院のシステム作りに生かすという極めて地味な仕事をしました。病院開設過渡期の1ヶ月を無事、事故なく運営できたところで、少しずつ改革を始めました。

まず横須賀市内は、まだ救急車の受入れに困難がある時期でした。次に気になったのは、電子カルテやオーダリングシステムなど病院システムのデジタル化が遅れていたことです。救急車の受入れについては、救急専門医の資格と経験を持つ医師を招き、より多くの台数を受け入れできる体制を作りました。また最も重要な受け入れにあたって敷居を低く間口を広くすることを徹底しました。たらい回しを防ぐために、満床だから断るのではなく、まず、患者さんを診察し、入院できなければ転送しようという方針で臨みました。初期には転送時にベッドが無いのに受け入れるな、と文句を言う救急患者さんもいましたが、そのうちそのような理解のない発言は消えて行きました。

もうひとつの医療情報のデジタル化については、当初は予算の関係もあり、医療情報のデジタル化で効率の良い部分だけをデジタル化するオーダリングシステムを導入しました。予想外の効果があったのは、オーダリングシステム導入にあたって、導入プロセスで、職員が専門や部署の垣根を越えて導入に協力し、高い能力で効率的なシステムを作ることができたことと、なにより、皆が仲良くなり良好なコミュニケーションをとることができたことでした。病院開設時何も新しくすることができなかった病院に開設後半年でオーダリングを導入することができました。

オーダリング時に知った職員の能力の高さから、その一年後には厚生労働省の最後の補助金を利用し、地域の病院に先駆けて電子カルテを導入しました。