2017年4月、聖路加国際大学に医学部から独立した専門職大学院公衆衛生学研究科(通称:公衆衛生大学院)が開設されました。聖路加国際大学学長の福井次矢先生は、今から遡ること30年以上前、臨床医としてアメリカに留学した際に、日本に公衆衛生大学院を作ることを決意されたとおっしゃいます。
「公衆衛生学の基礎知識を習得することが、臨床医の素地をより重厚なものにする」と語る福井先生に、疫学や統計学を網羅的に学ぶことで得られる新たな視野やスキルについてお話しいただきました。
1980年から1984年まで、私は厚生省(現・厚生労働省)によるプライマリ・ケアの指導医養成プログラムの第一期メンバーとして、アメリカへと留学しました。1984年に日本へと帰国する飛行機の中で、私は次の4つの決意事項をメモに綴り、それから30年余の医師としての人生をこの目標の実現のために捧げてきました。
2017年4月1日、私が学長を務める聖路加国際大学は新たに公衆衛生大学院を設置し、第一期入学生を迎えました。本研究科は、日本において初めて創設した京都大学医学部の公衆衛生専門大学院から数えると5つ目の公衆衛生大学院となります。
この記事では、私が日本に公衆衛生大学院を創設するに至った背景と、公衆衛生学を学ぶことの重要性についてお話しします。
前項でも述べたように、プライマリ・ケアの指導医を養成するスキルを身につける目的で渡米した私は、クリニカル・フェローとしてアメリカの病院で働き始めました。その際、私は日本の医師とアメリカの医師との能力の差を目の当たりにし、大きな衝撃を受けたのです。
彼らは我々と同じ30歳を過ぎたばかりの臨床医だというのに、既に何本もの論文を世界的権威のある医学雑誌に発表していました。違いは論文を書くスキルだけではありません。彼らは論文を読む力や理解力、エビデンスを作る力に長けており、医師としての重厚な基盤を持っていました。
私たちの間には何か決定的な違いがあると感じたものの、それが生まれ持った才能の差なのか、はたまた教育により生じた差なのかわからず、私はアメリカの仲間たちに聞いて回りました。すると皆口を揃えたかのように、MDだけでなくMPH(Masters of Public Health:公衆衛生博士号)を持っているというのです。
その時までMPHという学位の存在すら知らなかった私は、アメリカの医師たちのバックグラウンドを築いているものは公衆衛生学であると確信し、ハーバード大学公衆衛生大学院への入学を決心しました。
公衆衛生学とは、ある集団の健康増進や地域単位の疾病予防などを課題とした学問分野であり、主に統計学や疫学、行動科学や医療政策管理学、環境医学などから成り立ちます。
たとえば統計学や疫学の基礎知識は、真に科学的な手法を用いて臨床研究を行うことや、生物医学のみでは明らかにできないエビデンスを作ることに有用です。
行動科学は臨床研究にも臨床の現場においても役立ちます。臨床研究を行う際には、研究対象とすべき人を、誤ったバイアスをかけることなく正しく選択するための助けとなります。
臨床現場では患者さんに行動変容を求めることが多々あるため、ダイレクトに提供する医療の質の向上に直結します。
上述した細かな区分に分かれた学問の一部を、書籍などから独学で勉強することは可能でしょう。しかし、幅広い公衆衛生学のある部分を“つまみ食い”のように知ることと、網羅的に学び自らの骨肉とすることは、全く異なります。
ハーバード大学で丸1年勉強し、医師としての分厚い素地を築くために、公衆衛生大学院の存在は極めて重要であるという実感が得られたからこそ、私は日本での公衆衛生大学院創設に心血を注ぐことができたのです。
聖路加病院で医師としての第一歩を踏み出した1976年、私はとある印象的な言葉に出会いました。それは、日野原重明先生(現・聖路加国際病院名誉院長)がご自身の留学時代を振り返って口にされた、「毎日が勉強で日々身長が伸びる思いがした」という言葉です。
その当時は感触すら掴めなかった「勉強をしながら背が伸びていくような感覚」を実際に体験することになったのは、それから数年後の留学時代も後半のことです。
1980年に渡米した私は、最初の1年間を実験心臓病学のリサーチフェローとしてコロンビア大学で過ごし、その後の3年間は内科クリニカル・フェローとしてケンブリッジ病院で過ごしました。
ハーバード大学公衆衛生大学院の学生として過ごしたのは、この留学期間の最後の1年です。
恩師の深い理解と手厚い協力のおかげで、私は臨床の職務を週3回・夜間のみに減らしてもらうことができ、平日は朝から夕まで勉強漬け、土日も1日中ハーバード大学の図書館に籠もり読めるだけの論文を読む時間を得られました。毎日が新しい発見との出会いで彩られ、背が伸びていくような確たる手応えを実感しながら過ごした1年間は、私の人生のなかでも最も幸福な時間であったように思われます。
アメリカの大学教育は日本の大学教育に比べ大変厳しく、レポート執筆や実習に追われる日々でもありましたが、のめり込むように勉強し、それを自身の骨肉として吸収できたことで、自身の土台は何層にも分厚くなったように感じています。
聖路加国際病院公衆衛生大学院は、この春第一期入学生を迎えたばかりです。志を持って入学された学生の方々にも「身長の伸びるような思い」を経験していただけるよう、充実した学びの場を提供していきたいと考えています。
聖路加国際大学公衆衛生大学院は、実務経験のある社会人の方を対象とした大学院です。
(詳しくは、記事2『世界で能力を発揮できる人材育成-聖路加国際大学公衆衛生大学院の特色と今後の医学教育』をご覧ください。)
既に何らかの専門を持つ大人がプラスアルファで公衆衛生学を学ぶことで、その人の視野や選択肢は“人生が変わった”と感じるほどに広がります。
このように述べるのは、私自身が1年間の大学院生活を経たことで、人生が変わったと感じているからにほかなりません。
アメリカへ渡る前、私は“1人の人をみる臨床医になるのだ”と考えていました。ここでいう「1人の人をみる」とは、体を臓器や組織などに細分化してみるということです。このような視点が要求される学問分野の最たる例は、遺伝子レベルで物事を考える分子生物学や細胞生物学でしょう。病気の解明や治療の確立のためには、体を細分化し、突き詰つめていく視点は不可欠です。
学生時代には、おそらく95%以上の時間を体を細分化する学問に費やしており、「集団という視点から人の健康や疾病を捉える」という教育はほとんど受けてこなかったと感じます。アメリカの医学教育も割合は違うものの同様であり、それゆえに優秀な医師はMDのほかにMPHを取得していたのだと考えます。
日本の医学教育では受けてこなかった「集団で捉える」視点の教育をアメリカで受けられた私は、自らの目が開いたような感覚を覚えました。医学には集団で観察しなければ解明できないことも沢山あります。もちろんこれは、医学に限った話ではありません。
目の前の1人の人を見つめながらも、その向こうにいる沢山の人に思いを馳せること。見たこともない、数値でしか表されない無数の人たちを自己の現実として捉えるための想像力。このスキルを習得することで、たとえば製薬会社における治験の主導、メディアでの正しい情報発信、世界の保健衛生の向上など、多様な場面においてリーダーシップを発揮することが可能になります。実際に私が創設に関わった京都大学医学部の公衆衛生大学院は、厚生労働省の技官や評価機関の職員など、多彩な人材を輩出しています。
聖路加国際大学では、従来の公衆衛生大学院以上に門戸と出口を広げられるよう、取得できる単位数などに工夫を凝らしています。記事2『世界で能力を発揮できる人材育成-聖路加国際大学公衆衛生大学院の特色と今後の医学教育』では、カリキュラムや講義の特徴など、本研究科ならではの特色についてお話しします。
聖路加国際病院 院長
日本内科学会 会員日本医学教育学会 会員
1976年に京都大学医学部卒業した後、聖路加国際病院で研修。1980年米国コロンビア大学聖ルカ医療センターリサートフェロー、1981年から3年間ボストンのケンブリッジ病院クリニカル・フェロー。ハーバード大学公衆衛生大学院修士課程修了。帰国後は日本の総合診療医やEBMの普及に尽力すると同時に教育者として活躍。京都大学にて教授を務めていた2000年には、日本初となる公衆衛生大学院の創設を主導した。
現在は聖路加国際病院院長と聖路加国際大学学長を兼任し、2017年4月にはわが国で5番目となる公衆衛生大学院を開設。世界で活躍できる人材を育てるために力を注ぎ続けている。
福井 次矢 先生の所属医療機関