地震大国といわれて久しい日本では、いつ地震が発生しても不思議はありません。そして日本の地震研究は世界でも有数の実績を誇ります。そのため世界各国の研究者は、大規模な地震は将来必ず発生するという前提のもと地震や災害対策について日本に学びに来ています。
2011年3月11日に発生した東日本大震災を経験した菊地臣一先生は、このときの経験から医療・行政ともに災害を意識した対策を講じる必要があると考えていらっしゃいます。
本記事では菊地先生が考える対応策について伺いました。
日本では地震や津波、火災などの災害が単体で発生した場合の政府や関係各所でガイドライン作成をはじめとする対策は講じられています。しかし地震と津波、地震と火事のように複数の災害を想定した対策は考えられていませんでした。
災害による被害を最小限に食い止めるため、今後は単独災害だけでなく複合災害発生時にはどのような対応をとったらよいのかについて考える必要があるといえるでしょう。
戦後発生した震災の多くは地方で発生しました。人口の局地的な集中が生じている日本では今後、都市を想定した対策を取る必要があると考えています。現に南海トラフ地震や東海大地震などでは、都市部への甚大な被害が想定されています。
東日本大震災と同規模の災害が都市圏で発生した場合、これまでと比べ物にならない規模の被害が発生するでしょう。
また、東京や大阪などの大都市圏では、大学病院や大病院など複数の医療機関がひしめき合っている点にも目を向ける必要があります。先の震災の場合、福島県内では福島県立医科大学が唯一の大学病院として中心となり各種対策を講じましたが、人口の集中している都市部で同規模の災害が発生した場合、1か所の自治体の対応を1つの大学だけで対応するのは現実的な解決策ではありません。
そのため平時から、各医療機関が連携してどの機関がどの地域を受け持つかなど、医療機関や行政がそれぞれの災害時の役割について話し合う必要があると考えています。
コスト削減の視点から、薬剤をはじめとする物資は必要となったときに必要な量だけ作製(発注)するジャストインシステムが主流となって久しいです。しかし、余分な在庫を置かないこのシステムが持つ緊急時に必要な物資が不足するという弱点が、今回の震災により露呈しました。
このことを受け、災害時を想定した医薬品の備蓄が求められるようになりましたが、どの医薬品をどれくらい備蓄するか、保管場所や機関、費用は誰が負担するのかなど問題は山積みです。
先ほど都市型災害を想定する必要があるとお伝えしましたが、特に人口密集地かつ土地の少ない都市にある医療機関では、この問題を皆さんが想像する以上に深刻な問題として捉えています。
福島県内における健康問題は放射能が原因だと曲解をされている方もいらっしゃいますが、現段階では放射能は健康に悪影響を与えていないことが確認されています。むしろ今でも避難所生活を送るなど、これまでと全く異なる環境での生活を強いられていることによるストレスのほうが健康に悪影響を与えていると考えられます。
福島県は生活習慣病の指標は全国最下位クラスになりました。避難所や仮設住宅では一人暮らしの高齢者が多いです。慣れない環境で生活することのストレスや、動かない生活による運動量の減少により、腰痛やうつ病などの不調を訴える方が増加しました。今後県内の高齢化が進めば、がん罹患率の上昇も考えられます。
放射能に対する誤解を解いて正しい知識を広めるとともに、生活習慣病などの健康問題に対する意識を改めてもらうためには、粘り強い対話によって震災で受けた傷を癒やすしかないと考えています。
平時における日本の医療は、一次医療・二次医療・三次医療やプライマリーケア、高度先進医療などに細分化されていますが、福島県は震災と放射能の問題により人口・医療ともに空白のエリアができました。このエリアでは、先に挙げたような医療の区分は他の地域ほど意味を持ちません。
このことはおそらく、今後人類が経験するであろう大都市集中・少子高齢化社会で、どのように医療・保健・介護・福祉体制を整えるのかという壮大な試みであるとも捉えることができます。
福島県立医科大学では、福島県とともに、原子力災害に見舞われた双葉地域における医療の中核的存在としてプライマリーケアから救急医療の担い手となることを決めました。
県内に医療機関がないから戻れないのであれば病院を作り、自分で来院できなければ自分たちが患者さんのもとへと向かう攻めの医療を展開します。介護が必要であれば行政と連携して介護士や必要な制度も紹介します。
つまり、病院機能のあるところに患者さんに来ていただくのではなく、患者さんは自宅にいながらにして必要な医療や行政サービスを提供できるようにするということです。
日本では今度少子高齢化が確実に進みます。そのなかで新しい医療のモデルケースをつくり将来につなげることができれば、福島の悲劇を福島の奇跡に変えられるのではないかと考えています。