2016年12月に行われた経済財政諮問会議では、医薬品や医療機器に対する「費用対効果評価」の本格的導入を、国として加速して進めていくとする意向が示されました。そのため、厚生労働省などの関係団体では、2018年度内の本格的導入に向け、現在分析と検討を重ねています。費用対効果評価の導入にあたっては、評価対象からの除外や考慮が必要な医療技術の抽出も不可欠です。なぜなら、「費用対効果が悪い」という分析結果のみにより、その医療技術の価値や価格が引き下げられてしまうと、企業が製造を続けられなくなる可能性や、私たち国民が本当に必要な医薬品・医療機器にアクセスできなくなる危険性も生じ得るからです。費用対効果評価の本格的導入にあたり考慮が必要な要素や、ICER(増分費用効果比)のみでは測ることができない費用等の再評価について、厚生労働省保険局医療課・企画官の眞鍋馨先生にご解説いただきました。
費用対効果評価を専門に行なう組織は、製造元の企業と再分析を行なう第三者グループによって示されたICERなどの分析結果を踏まえ、専門的見地からアプレイザル(総合的評価)を行います。
アプレイザルにおいて考慮される要素は、各国ごとに異なります。たとえば、既に費用対効果評価を導入しているイギリスでは、疾患の重症度や致死的な疾患の延命治療、小児の疾患などを配慮すべき要素として打ち出しています。これにより、当初の分析結果では費用対効果が悪いと判断された小児骨肉腫に対する抗がん剤のミファムルチド*は薬価を引き下げることとなりました。この事例について、より詳しくご解説します。
*日本では未承認(2023年11月現在)
イギリスの評価機関NICEでは、1QOLYあたり20,000~30,000ポンドを推奨とする基準としています。ミファムルチドは1QOLYあたり56,700ポンドと、アクセプタブルの範囲から大きく逸脱していました。
そこで、アプレイザルの際に小児の疾患に対する治療薬であることを考慮し、長期的予後を重視した分析をとることで、1QOLYあたりの費用を36,000ポンドにまで引き下げることに成功しました。
アクセプタブルの数値をみると、ミファムルチドは依然として高額な医薬品といえます。しかし、NICEは以下の点を考慮し、本品を推奨すると結論づけています。
アプレイザルとは、費用対効果評価により算出したICERのみでは十分に評価しきれない部分を再評価するためのプロセスということができます。
日本では、非公開の費用対効果専門組織がアプレイザルを行い、その後この結果受けて、中央社会保険医療協議会(中医協)が、価格調整に向けて作業を進めます。
日本の場合、薬価などの診療報酬は、既存のルールに従って専門的な検討を重ね、最終的には中央社会保険医療協議会(中医協)の了解を得て決まります。
費用対効果評価の結果を反映した価格調整は、既存のルールによる価格算定の後、つまり通常の価格改定の最後に反映される見込みです。
たとえば、従来の通常薬価改定による算定価格では「費用対効果が悪い」と出た場合に、価格を引き下げる判断をすることとなることが想定されます。
冒頭で、費用対効果評価が悪いと出た医療技術でも、社会的、倫理的に考慮すべき要素がある場合には、費用対効果評価の結果がアクセプタブルであるという範囲に収めることもあり得るということをお話ししました。
しかし、アクセプタブルの範囲に収める目的で価格を過度に引き下げてしまうと、その医薬品や医療機器等は製造されなくなってしまい、国民が必要な医療技術にアクセスできなくなってしまう危険性があります。したがって、費用対効果評価の本格的な導入にあたっては、企業サイドの意見も丁寧にヒアリングし、バランスをみながら新たなルールを作っていく必要があるといえます。
たとえば、本記事で例として挙げてきたイギリスは、費用対効果評価を厳格に適用しており、費用対効果が悪く推奨しないという結果が出た品目については、公的な医療保障の対象から外されることとなります。過去には、イギリスの費用対効果評価機関であるNICEが、軽度アルツハイマー型認知症に対するドネペジル塩酸塩(アルツハイマー型認知症治療薬)の使用を推奨しないと示し、事実上、医療現場でドネペジル塩酸塩を処方できなくなるという事態も起こりました。
試行的導入では、あくまで既に保険収載されている医薬品、医療機器の価格調整に活用する目的で費用対効果評価を導入するため、評価結果により保険償還の可否を決定することはありません。しかしながら、薬価、材料価格の引き下げは、企業にとっては死活問題ともなりかねず、上記のような事態への発展を防ぐためには、企業の意見も反映させたバランスのよい価格調整が不可欠であるといえます。
費用対効果評価の本格的な導入後も、ICERについては、先述した社会的、倫理的観点から考慮すべき要素も勘案しなければなりません。ただし、これまでの議論のなかで、事務局からはICER による分析の特性を踏まえて、以下に掲げる6つの要素については何らかの考慮が必要であるとお示ししたところです。
一方で、議論をしていただいている費用対効果評価専門部会では、6の「小児の疾患を対象とする治療」は、成人の疾患と比して市場規模が小さい傾向にあるため、そもそも費用対効果評価の対象から除外すべきではないかという意見がありました。
また、2の「公的医療の立場からの分析には含まれない追加的な費用」とは、介護にかかる費用や生産性の損失など、公的医療費以外に考慮すべき費用があるケースを指します。
3の「長期にわたり重症の状態が続く疾患での延命治療」とは、QoLが著しく低く出てしまう疾患に対する治療を指し、寝たきりの状態が続く延命治療などがこれに該当します。
3の要素について理解を深めるために、ICERの計算式をもう一度みてみましょう。
「長期にわたり重症の状態が続く」場合のQoLスコアは、おそらくそう高くはないでしょう。すると、分母が小さくなってしまうため、必然的にICERは大きくなってしまいます。しかし、疾患の種類や重症度によっては、QoLスコアが低い状態でしか生きられないこともあり、左記のようなケースを「費用対効果が悪い」と評価してしまうことは、延命治療の価値を不適切に低く評価してしまうことにもつながりかねません。このような理由から、生存年数の延伸を目的とした治療には、考慮が必要といえます。
4のイノベーションは、直近の費用対効果評価専門部会でも議論がなされた項目です。イノベーションを費用対効果評価の対象外としてしまうと、画期性性や新規性に富む医薬品や医療機器の開発が阻害されてしまう可能性があります。また、現在の薬価や材料価格算定ルールのなかにもイノベーションの評価が要素として入っており、二重評価になる可能性があることも指摘されています。
このように、従来の日本には馴染みのない評価方法を導入する際には、懸念点を抽出し、検討を繰り返し行っていくことが重要です。
現在実施されている費用対効果評価の試行的導入は、企業からの協力も得て進んでいます。記事1『費用対効果評価の導入にあたって-画期的だが高額な医療技術の価格調整』でも述べたように、2016年12月の経済財政諮問会議において、薬価の毎年改定とともに費用対効果評価の早期本格的導入が、政府全体の意向として示されたため、私たちは施行的導入の実施と並行して本格的導入開始のための作業を行っているところです。
政府が費用対効果評価の本格的な導入時期を早期化するよう示した理由は、画期的な新規医療技術をどんどん開発していけるような国として、日本を発展させていくためです。私たちは、製薬産業、医療機器産業を成長産業であると考えています。研究開発を行える環境を整えると同時に、新薬や新規機器を正しく評価できる体制を作り、産業構造を変える一つの仕組みにしていきたいと考えています。