現在日本が抱えている課題のひとつに、増大する医療費の抑制が挙げられます。医療費が増える原因は多岐にわたりますが、そのひとつとして、技術革新により画期的かつ高額な新規医薬品や医療機器が用いられるようになったことが挙げられます。ニボルマブやソホスブビルなどの高額医薬品は、私たちの生命や健康の維持に大いに寄与しますが、同時に国家財政を圧迫するのではないかという懸念の声も上がっています。医療保険制度を維持しながら、有効な新規医薬品等を開発し続けられる環境を整備するために、現在わが国では、医薬品7品目と医療機器6品目を対象とし、「費用対効果評価」の施行的導入を実施しています。費用対効果の分析手順や日本における活用法について、厚生労働省保険局医療課・企画官の眞鍋馨先生にお伺いしました。
近年、医療技術は大きく進歩し、過去には救えなかった患者さんの救命や、QoL(生活の質)の大幅な改善も可能になりました。生命や健康にさまざまなメリットをもたらす新規医薬品、新規医療機器等の経済的評価は、その価値や有効性を正しく評価したうえで、適正に行われていかなければなりません。
しかし、その一方で高額な医薬品や医療機器等は、日本の課題である医療費増大にも寄与しており、医療保険財政への影響も懸念されています。
日本の医療保険制度を持続可能なものとするためには、医薬品や医療機器等の医療技術の経済的評価、いわゆる値付けに、経済的な観点からの新たな評価軸を組み入れる必要があると考えます。
既に公的医療保障制度を有する諸外国では、医薬品や医療機器等の価格調整や保険償還の可否を決定する際に、「費用対効果評価」を実施しています。
費用対効果評価とは、ある技術の効果と費用のバランスをみる経済評価のことを指し、この評価結果は、医療保険でカバーする技術の決定や、償還価格の設定などに活かすことができます。
現在、費用対効果評価を導入している国には、ヨーロッパではイギリスやフランス、アジアでは韓国などがあります。このうち、費用対効果評価を公的な医療保障制度による償還の可否の判断のために利用している国は少なく、大半は償還価格を設定するために利用しています。
日本でも、来たる2018年度内に費用対効果評価を本格的に導入すべく、2016年より合計13品目の医薬品、医療機器を対象とし、施行的に導入を開始しています。
まずは、費用対効果評価の施行的導入に至った背景についてお話しします。
高額な医薬品の医療保険財政に対する影響は、抗がん剤であるニボルマブが承認された2014年以降、大きく取り上げられるようになりました。しかし、高額な医療技術に対する問題意識は、ニボルマブの登場により初めて生じたというわけではありません。各方面で数年以上前から指摘がなされており、2012年5月には、薬価基準や材料価格基準を含む診療報酬を審議する中央社会保険医療協議会(中医協)に「費用対効果評価専門部会」が設置されました。
費用対効果評価部会設置以降の約5年間、1か月に1回ほどのペースで費用対効果評価の導入に向けた議論が丁寧になされてきました。2014年4月~12月には、具体例を用いた検討の方法等について議論が行われ、翌2015年1月~4月には具体例の分析結果等についての非公開議論が実施されました。その結果、2015年12月には診療報酬改定(2016年度)に合わせた費用対効果評価の施行的導入が決定し、昨年2016年4月、2年間の施行的導入がスタートしたのです。
現在進められている試行的導入の対象は医薬品と医療機器のみですが、平成28年度改定時には高額な医療機器を用いる医療技術も対象とすべきではないかという指摘がなされ、現在具体例の検討方法について議論が進められています。
また、昨年2016年12月には薬価制度の抜本改革に向けた基本方針が取りまとめられ、内閣府の経済財政諮問会議において、現在2年に1回行われている薬価改定をその間の年にも行なうこととされました。噛み砕いていうと、毎年薬価の改定を行なうということです。
上記基本方針でも、費用対効果評価の本格的な導入について触れられています。当初の計画では、現在実施されている2年間の施行的導入の結果を得たうえで、2018年度より本格的な導入について検討するというスケジュールが立てられていました。一方で、基本方針の本文中には、
「費用対効果評価を本格的に導入するため、専門的知見を踏まえるとともに、第三者的視点に立った組織・体制をはじめとするその実施のあり方を検討し、来年中に結論を得る。」
(薬価制度の抜本改革に向けた基本方針 平成28年12 月20日)
と、導入の加速化に向けたメッセージが示されています。これを受け、今年中に実施のあり方を取りまとめ、2018年度には費用対効果評価を制度化できるよう、現在精力的に準備を進めています。
費用対効果分析の手順 「中医協における費用対効果評価の動向」より 提供:眞鍋馨企画官
既存の医療技術をA、新たに開発されたものをBとします。費用対効果を分析する際には、Aに比べBの効果はどのくらい増加するのか、また、費用はどのくらい増加するのかを算出し、この比を算出します。増加した費用と効果の比をICER(アイサー)と呼びます。
定性的な表現になりますが、Aに比べBの効果はほとんど増加していないものの、費用は大きく増加している場合、「費用対効果が悪い」と評価します。一方、費用の増加程度は小さく、効果は大いに増加しているときには、「費用対効果がよい」と評価します。
費用対効果評価の結果、新たに開発されたBのなかには、既存のAよりも効果が高く、費用は安くなるものも存在します。このように、効果は大きく費用は安いという結果を、費用対効果評価の世界ではドミナントと評価します。
ドミナントは、医療機器における技術発展のひとつの特徴ともいえます。たとえば、かつて高額だったパソコンなどが、現在は各家庭で購入できる価格にまで引き下がり、性能は向上していることなどを考えていただくと、わかりやすいのではないでしょうか。特に医療機器の分野では、ドミナントになる場合が多く、この場合はICERを算出しないことが一般的です。
では、ICERを算出する際に分母となる「効果」とは、何を指標として測ればよいのでしょうか。これは、非常に難しい問題であるといえます。
たとえば、新薬を用いたことによる末期がん患者さんの生存年数延伸の程度と、腎移植により人工透析から離脱できた患者さんの「効果」を同じ尺度で測ることは是か非かという疑問が生じます。また、同じ病気が同程度に改善したとしても、効果の受け止め方は個人の価値観などによって変わるはずです。
このような効果を測るひとつの手段として、QALY(クオーリー、質調整生存年)という指標を用いる方法があります。
QALYとは、端的にいうと質(QoL)で調整した生存年です。完全に健康な状態のQoLを1とし、死亡を0とする「QoLスコア」を用い、その状態で1年間生存・生活する場合の価値を数値化するのです。
たとえば、週に3回の人工透析を1年間続けるとします。1回の人工透析には半日ほどの時間を要し、治療中は行動が制限されます。これまでの欧米の調査では、このような透析状態のQALYを0.5~0.6と回答する方が多くなっています。
数値は報告により前後します。
一方、腎臓移植を受けたことで人工透析から離脱できた場合、QALYは0.8といった数値にまで上昇することが多くなっています。この数値は複数の手法による調査をもとに、偏りがないかを吟味したうえで示されます。
なお、人工透析にかかる費用は年間500万円~600万円ほどと高額ですが、腎臓移植にかかる費用とその後内服する免疫抑制剤などをトータルした費用は200万円ほどと、人工透析に比べ安くなります。分母であるQALYは増加し、分子の費用は安くなるため、腎臓移植という医療技術は人工透析という技術に比べてドミナントという評価になるのです
このように、医療機器以外にもドミナントとなる医療技術は存在します。
先述したように、現時点で試行的に行われている費用対効果評価の対象は、医療機器と医薬品の2種類のみです。これらの製品にはそれぞれ製造元の企業が存在します。費用対効果評価の一連の流れのなかでは、まずこの企業にご自身が指定した品目の分析を行っていただきます。つづいて、第三者の公的機関による再分析を加え、企業から提出された分析データについて、更に公的な立場から評価します。この時点で、異なる立場から2段階の分析を加えているということになります。
費用対効果評価の流れ 「中医協における費用対効果評価の動向」より 提供:眞鍋馨企画官
次のステップでは、企業と第三者により分析された結果(ICER)が科学的に妥当かどうかを評価し、最後にICERの評価基準に照らして「倫理的、社会的影響に関する配慮を行なう」というプロセスを経たうえで、最終的な評価が行われ、その評価結果に基づいて価格調整を実施することが想定されます。
諸外国で、現在4段階目の倫理的、社会的影響に関する配慮を行っている理由は、「費用対効果が悪い」という理由で医療に関する品目の価格が引き下げられ、利益を望めないために企業による供給が止まってしまうことを回避するためです。この配慮を怠ると、患者さんが必要な医療技術にアクセスできなくなる事態にも陥りかねません。
(※アプレイザルの詳細は記事2『費用対効果評価のみでは測れない治療の再評価と考慮すべき6つの要素』をお読みください。)
費用対効果評価の試行的導入にあたっては、費用対効果評価による価格調整が適切ではないと考えられる品目を対象から外すため、以下2つの「除外要件」が設けられました。
ロ:未承認薬等検討会議を踏まえた開発要請等
指定難病に対する治療薬などは、倫理的、社会的影響等に鑑み、対象から除外しています。また、ロの未承認薬等検討会議を踏まえた開発要請等とは、社会的な要請があるため厚生労働省から企業に開発要請を行った品目のことを指しており、こちらも費用対効果評価の対象とすることは不適切であるといえます。
上記の要件に該当する品目を除外したうえで、さらに選定基準として以下の考え方に基づき、抽出要件が定められました。
【既収載品の選定基準の考え方】
革新性や有効性が大きいと認められた医薬品、医療機器のなかでも非常に高く、財政影響も大きい品目。
抽出要件を満たすとして選定された以下の医薬品7品目と医療機器6品目が、今回の施行的導入の対象に選定され、現在進行系で分析が行われています。
今回の施行的導入の結果を2017年度末に行われる薬価改定時までに取りまとめ、それぞれの価格算定に活かせるよう、スケジュールを組んで作業を進めています。