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「望まぬ妊娠・出産」に苦しむのは母親だけではない-児童虐待発生の実態をみつめる

「望まぬ妊娠・出産」に苦しむのは母親だけではない-児童虐待発生の実態をみつめる
(故)市川 光太郎 先生

北九州市立八幡病院 元病院長、日本小児救急医学会  元名誉理事長、久留米大学 医学部 元小児科...

(故)市川 光太郎 先生

この記事の最終更新は2017年11月01日です。

児童虐待は一部の特殊な家庭にのみ起こるわけではありません。そのため、「このような家庭で起こる」とステレオタイプに当てはめて考えていては、虐待を未然に防ぐことはできません。たとえば、望まぬ妊娠により母親となった女性への支援は広がりはじめていますが、父親へのケアは見落とされていることもあります。また、父母ではなく実の祖父母が加虐者となってしまうケースもあります。児童虐待を減らすためには、なぜ虐待が起こるのかを考え、支援の手を増やしていくことが大切です。北九州市立八幡病院小児救急センター病院長の市川光太郎先生に、実際の事例と原因、なされるべき対策についてお伺いしました。

全国の児童相談所に寄せられる児童虐待相談の件数は、急激な増加をみせています。平成28年度中の相談件数は12万件(※)を超え、過去最多といわれた平成27年度の約10万件を大幅に上回りました。

※全国210か所の児童相談所を対象に調査。速報値は12万2,578件。(厚生労働省)

北九州市立八幡病院小児救急センターでは、2015年に14年後の2030年の子ども人口と虐待の通告件数を算出しました。

日本における0~14歳の子ども人口は、2015年時点で約1600万人にまで減っており、2030年には1500万人ほどにまで減ると考えられています。

一方で、毎年10万人以上の子どもが新たに被虐待児として通告を受けている状況が続くと、14年間の累積被虐待児は140万人となってしまいます。つまり、2030年には10.7人に1人が被虐待児となる可能性があるというわけです。私は、このような未来の到来は何としても食い止めなければならないと感じています。

しかし、児童虐待には「これさえ行えば防ぐことができる」という定型的な予防策は存在しません。一人でも多くの子どもを護るためには、まず現代の家庭環境の特性や地域体制をみつめ、「なぜ虐待が増えてしまうのか」、社会病理を考えることが大切です。

かつて、村単位で子どもを育てていた時代には、子どもを見守り、叱ることのできる大人が多数いました。私自身も、柿をもいで近所の大人に怒られた経験があります。こういった環境では、近隣住民や交番のお巡りさんが、親に対して「それはやってはいけないことだ」と気付きを与えることもできます。しかし、現代の都市圏などでは、同じマンションにどういった人が住んでいるのかもわからないことが多く、皆で子どもをみるという地域体制に立ち帰ることは難しくなっています。

一人で悩んでいる女性

現代の子どもが属している社会のユニットには、家庭、保育園、幼稚園、学校などがあります。そのなかで最も小さく身近なユニットである家庭(家庭力・家族力)の脆弱化が、虐待を引き起こしているケースがあります。

たとえば、本来夫婦で話し合い、解決されるべき問題があっても、互いに黙り込んでしまい、結果として一人きりで子育てをしている感覚に陥っている保護者が増えています。具体例を挙げると、旦那さんの赴任先についていった奥さんが「寂しい」と言い出せず、夫婦仲が悪化してしまい、結果ストレスを溜めた父親(旦那さん)が子どもを揺さぶって、頭蓋内出血を起こしてしまうという事例もありました。これこそ、大人同士の話し合いで防ぐことができた虐待であると感じています。

夫婦間の問題や保護者の育児困難感を解きほぐしていくためには、相談先を多数持ち、創意工夫を繰り返していく力が欠かせません。ときには我慢も必要です。特に子育ては、思い通りにいかないことの連続です。生じた苛立ちや疲弊感を、無抵抗の子どもへと向けてしまうことがないよう、これからの時代を生きる世代に対しては、家庭力を高めていくための教育がなされなければならないと考えます。

一人で悩んでいる男性

児童虐待は、どのような家庭にも起こり得るものです。したがって、ステレオタイプに当てはめることなく、広い視野を持って予防や介入に努めていく姿勢が重要になります。

たとえば、「望まぬ妊娠・出産」と聞くと、女性のみを対象とした概念であるように感じ、母親へのケアのみが重視される風潮があります。しかし、現実には多くの男性(父親)も、望まぬ妊娠・出産により追い詰められています。

入籍前に妊娠し、女性側は「生みたい」、男性側は「まだ早い」といさかいになり、結果として男性が折れたような形で結婚するというパターンはよくあります。周産期付近の新生児に対する虐待を探っていくと、このように望まずして父親になった男性側が手をあげているということも多々あります。そのため、この時期の虐待の多くは、母親の外出中や入浴中に起こる傾向があります。

今、望まぬ妊娠に悩む女性へのケアは充実し始めましたが、虐待を未然に防ぐためには男女双方への支援が不可欠です。妊娠期から夫婦ともにサポートしていく必要があることを、ぜひ広く知っていただきたいと思います。

また、平時は健全な家庭でも、困難な出来事に見舞われ家庭力が崩れたときに、子どもが虐待を受けることがあります。

たとえば、介護のために姑との同居を余儀なくされた母親が、その時期に生まれた子どもにだけ暴力を振ってしまったという事例が挙げられます。介護が終わり、元の家庭に戻ってから生まれた次のお子さんは、正常に愛を受けて育っています。

このように、兄弟姉妹のなかで一人だけが虐待を受けていたケースを辿っていくと、その時期に家庭が不安定になるような出来事が起こっていたということが多々あります。具体的には、旦那さんの失業やそれに伴う貧困、被災などが挙げられます。しかし、同じ出来事に見舞われても、虐待が起こらない家庭、かえって絆が深まる家庭もあります。

家庭に波風が立つような問題が発生したとき、それを乗り越えるだけの家族力があるか否かが、子どもを守れるかどうかの境目となることもあるのです。

祖父母が、実の孫を虐待してしまうこともあります。両親が離婚し、父親が子どもを引き取った後に、祖母(父親の母親)がその子どもを心理的虐待で追い詰めてしまった事例も経験しました。祖母にとっては息子の離婚が許せることではなく、孫のたずさえる母親に似た面影も気に障ったようでした。

上述の心理的虐待は、帰宅するたびに子どもの表情が強張っていくと気付いた父親が、別れた母親に連絡したことで発覚しました。父親は地域でも尊敬を集める人格者であり、「そのような男性を育てた女性が一体なぜ」と戸惑うような出来事でした。

このように、虐待とは一部の特殊な家庭でのみ起こるわけではありません。また、子育てを経験している祖父母も含め、誰もが何らかのきっかけにより加虐者となってしまう可能性があるのです。

前項で、心理的虐待の具体的事例を紹介しました。心理的虐待とは、言葉や態度により子どもの存在を否定・無視したり、生きていくための自信を失わせていく行為を指します。

たとえば、「お前なんか生まれてこなければよかった」といった言葉は、子どもの存在そのものを全否定するものであり、絶対に使ってはいけない言葉の代表格でもあります。

すべての子どもは必要とされて生まれてきたのであり、保護者がその存在を否定あるいは無視することは、身体的な虐待と同様に許されることではありません。

子どもの生きがいや活動しようとする力を奪う言葉や態度は、すべからく心理的虐待といってよいと考えます。たとえば、身体や能力に関するコンプレックスを増幅させ、嘲笑する言葉は、子どもの根本的な自信を損なわせてしまいます。チビ、デブ、バカ。この種の言葉を受けた子どもが、果たして「もっと勉強しよう」「背を伸ばそう」などと思えるでしょうか。

学校に行けないお子さんや朝起きることができないお子さんに悩んで当院に来られた親御さんのなかには、このように根本的な自信や気力を奪うばかりの言葉を発してしまう方が多く見受けられます。

また、受け手の気持ちを考えない言葉を投げたことに対し、「よかれと思っていった」とおっしゃる方もみえますが、これはご自身の独自理論を展開し自己弁護をしているに過ぎないと感じます。

心理的虐待は、家庭だけでなく学校や塾などでも起こり得ます。現代では、学校で教師と生徒が関わる時間は少なくなりました。しかし、もしもご自身が「叱咤激励するタイプの教師」であるならば、時間をきちんと作り、叱咤激励後のフォローまで責任を持って行なうことが大切です。

言葉の受け手である生徒が、否定されたのではなく応援されているのだと実感できるような関係性が構築されていなければ、その子どもは「自分がダメなのだ」と感じ、自己肯定感は揺らいでしまいます。

心が泣く

虐待を受けている子どもの多くは、「なぜ自分はこのように酷いことをされるのか」という思いや憤りのほかに、「自分が悪い子だから、こうなるのかもしれない」という考えも抱き、そのどちらを選べばよいのかわからず当惑しています。

自分が悪いから罰を受けているのだと自身を納得させなければ、自分の心の置き場所がなくなってしまうからです。そして、自分が悪いという思いが強い子どもほど、暴力や暴言を受けていることを隠そうと口を閉ざしてしまいます。

自分の受けている暴力や暴言が理不尽であると確信し、児童相談所や警察に駆け込むことができるようになるのは、早くても12~13歳頃からです。

特に10歳未満の子どもは、目の前の現実から逃げたいという思いを持っていても、それを表出することで仕打ちが更に酷くなる恐れや、親という絶対的な存在を否定してしまうことへの恐怖心を抱え、身動きをとることができない状態に置かれています。

だからこそ、小さな子どもを虐待から護るためには、周囲の大人が気づき、介入していかなければならないのです。

健全な家庭で、愛されて育った子どもは、萌えるような生命力や覇気に溢れています。一方、生きる力を奪われ、自己の存在に懐疑的になっている子どもは、今にも消え入りそうな印象をまとっています。

学校や病院、地域などで、「子どもらしさ」のない子どもに出会ったときには、感じた違和感を見過ごさずに周囲と情報を共有し、子どもを護っていく姿勢を貫くことが大切です。

また、今現在理不尽な暴力に見舞われ、戸惑っているお子さんには、自分を本当に守ってくれる可能性がある大人に、自分の気持ちを話して欲しいとお伝えしたいです。学校の先生でも親戚の人でも構いません。

児童虐待の増加や深刻化を食い止めるためには、就学前から子どもたちに向けて「いわれのない暴力を受けたときには、必ず周りに伝えましょう」と教えていくことも重要だと考えています。