医療機関は、虐待を受けている子どもを発見する機会が多い施設のひとつです。しかし、日ごろ子どもを専門にみているわけではない診療科には、「親がわが子を傷つけている可能性」を疑う土壌はなく、骨折や怪我を説明通り自然外傷と捉えてしまうこともあります。
児童虐待に特徴的な外傷と自然外傷の違いには、どのようなものがあるのでしょうか。また、虐待の疑いを抱いたとき、地域の医療従事者はどのように対応することが望ましいのでしょうか。北九州市立八幡病院小児救急センター病院長の市川光太郎先生に、医療者や学校の先生に知っていただきたい児童虐待の代表的な所見をお伺いしました。
私が初めて「明らかな被虐待児」と出会ったのは、今から30年以上前の1983年のことです。1981年に小児科医として北九州市立八幡病院救命救急センターに来た私は、その夜、当直医として救急患者さんの初期診療にあたっていました。救急隊に運ばれてきた3歳の子どもの顔には、新旧の混在した複数のあざがあり、お腹には靴跡、お尻にはたばこによる焼痕がみられました。
同伴していた内縁の夫は、「子どもが異物を喉に詰まらせたため、逆さまにして叩いた」と説明しましたが、一夜にして新たな傷や古い傷痕が生じるはずはありません。
当時は、児童虐待に関する知識はおろか概念さえも知られていないような時代です。私自身、子どもを大切にすることは当然のことであると考えており、また、親・大人とは誰もがそのような精神を持っていると信じていました。小児科医として、後輩にも「親とはわずかな発熱でもわが子が心配でたまらなくなるものだ。それは当たり前の心情なのだから、真夜中の受診であろうと丁寧に対応しなければならないよ」と指導していた時期の出来事です。
初めて被虐待児を目の当たりにした私は、許せないという思いと共に、「なぜ子どもにこのような仕打ちをするのか」、「あり得ない」という不可解さに悩まされました。
社会病理を探るために、”Battered Child Syndrome”(被殴打児症候群)と題されたアメリカの報告文献も読みましたが、当時の日本の小児科の教科書には「日本にはほとんどみられない」という2~3行の記述があるのみでした。
これは見過ごすわけにはいかないと意識的に同様の症例を探すようになって数年が経った頃、日本でも児童虐待の報告数が増え始めました。
当初は、ごく一部の特殊な家庭でしか起こらないという先入観を抱いていましたが、通告数の増加とともに、同様の事象が一般的な家庭でも起こっていることが明らかになり、疑問の念は益々深まっていきました。
「なぜ、虐待が起こるのか」、その実態を追求しなければという強い思いが出発点となり、私は今日まで自身のライフワークとして、児童虐待に向き合い続けています
児童虐待の見逃しを防ぐためには、自然外傷と人為的な外傷の違いなど、特徴的な所見を知っておくことが重要です。
虐待の代表的な所見には、冒頭で触れた「新旧混在した外傷」のほかに、以下のようなものがあります。
手足や額などは、日常生活中の転倒などで傷が生じやすい部位です。一方、体の裏側や内側、背中側、また、衣服に隠れているお尻や陰部などの外傷痕は、自然外傷とは考えにくく、虐待を疑う手がかりとなります。
子どもの”TEN regions” (TENとは、体躯:Torso、耳:ear、首:neckのこと)に複数の外傷痕があり、保護者が「家でころんだ」など、第三者の目撃が困難な受傷機転の説明をしている場合、約85%は虐待であるとする論文もあります。
TEN regionsに加え、太ももの内側や脇、陰部などに外傷痕がある場合、医療者はまず虐待を疑うか、あるいは虐待を否定しなければいけません。
成傷器を推定できる外傷痕も、虐待に多い重要な所見のひとつです。
【具体例】
背中のあざが竹刀やバッドによるものと推定できる
火傷が、たばこやシガレットライター、ヘアアイロンによるものと推定できる
このように、一見してその傷をつくったモノ(成傷器)がわかる場合は、明らかに人為的につけられた傷であると考えられます。
また、手の形がくっきりと残るほどの打撲痕も、しつけの域を超えていると考えます。
こういった意味では、心理的虐待などに比べ、身体的虐待は発見に至りやすいといえます。
※心理的虐待については記事2『「望まぬ妊娠・出産」に苦しむのは母親だけではない-児童虐待発生の実態をみつめる』で詳しくお話しします。
虐待に気づくための医学的な知識は、小児科医の間では随分と広がっています。しかし、他科や他職種の方への普及はまだまだ充分といえる状況ではありません。そのため、私は医学部や救急救命士を養成する学校、消防大学などにも講義に伺い、みるべき部位や虐待の特徴的所見、医療現場で実践していただきたいことをお話ししています。
虐待を早期に発見するためには、子どもに裸になってもらう機会をつくることが極めて重要です。子どもや保護者の様子がおかしいなど、虐待の可能性が疑われる場合は、「◯◯の検査をする」といった理由をつけて、衣服を脱いでもらう機会をつくってください。
保育園や幼稚園でも、乾布摩擦を行なうなど、衣服に隠されている傷の有無を確認できる機会を増やすよう取り組んでいただきたいと感じています。
脳神経外科や整形外科の医師のなかには、今も「まさか親がこのようなことをするはずがない」という先入観を持っている先生方も多く、はじめから虐待を疑うという意識はまだまだ根付いていないように思われます。他科の医師の方には、目の前の傷をただ治すだけでなく、その傷ができるプロセスを考えて欲しいとお伝えしたいです。
現在の医学教育では傷病の治療が重視されており、傷の成り立ちを考える習慣を身につけられる機会は多くはありません。
「なぜ、まだ歩けない乳幼児がこの部位にこのような怪我をしたのだろうか」とプロセスを考えることが、手遅れになる前に虐待を発見することに直結します。
総合病院のように、さまざまな診療科が一か所に集まっている施設であれば、傷病のプロセスを考え不審に感じた場合、すぐに小児科へとつなぐことが可能です。しかし、地域の診療所などでは、その施設内だけで診療行為が完結してしまうことも多々あります。
もしも虐待を疑う所見がみられた場合は、「難しい病気の可能性もある」「大きな病院での検査が必要だ」と方便を使ってでも、患者さんを総合病院につないでください。
電話などで「虐待かもしれない」と連絡を入れていただければ、後のことは総合病院にすべて任せられるという体制が作られることも大切です。当院の位置する北九州市では、児童相談所や警察への通告については私たちが一任するという病診連携体制をとっています。
上述のような病診連携は難しい部分も多く、全国で広く行われているわけではありません。厚生労働省は各都道府県を実施主体とする「児童虐待防止医療ネットワーク事業」の推進にも力を入れていますが、予算などさまざまな問題から普及が進まないという現状があります。
(児童虐待防止医療ネットワーク事業に関する厚生労働省の資料 提供:市川光太郎先生)
福岡県では、コーディネーターのいる拠点病院を県内に4か所置き(※)、地域の診療所や児童相談所、行政庁とのスムーズな連携を実現しています。
※福岡大学病院(福岡市)、聖マリア病院(久留米市)、飯塚病院(飯塚市)、北九州市立八幡病院(北九州市)の4施設
医療機関から児童相談所や警察への虐待通告率は全国平均で4%前後となっていますが、北九州市では5~7%と平均に比べ高い数値を示しています。
私たちも見落としがないよう通告件数を増やす努力をしている最中ですが、ぜひ当地域の体制をひとつのモデルとしていただき、各県で子どもを護る取り組みを強化して欲しいと願っています。