病気や事故の後遺症で体に麻痺などの障害が残った場合、運動機能回復のために行われるリハビリテーション。しかし自分の体に障害が残ってしまったことにショックを隠せず、意欲的にリハビリテーションに取り組むことができない患者さんも多くいます。実は、やる気があると早期に運動機能が回復できる点は以前から指摘されていましたが、そのメカニズムについては不明でした。しかし近年、その謎が解かれ、効果的にやる気を引き出してリハビリテーションの効果をあげようという試みがなされています。やる気と運動機能回復の関係について、東京都医学総合研究所 認知症・高次脳機能研究分野 脳機能再建プロジェクト プロジェクトリーダーの西村 幸男 先生にお聞きしました。
「やる気を持ち、諦めずに頑張り続けるとよい結果が残せた」という経験は、多かれ少なかれ誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。私は、やる気や頑張りなどが実際によい成果につながるのかどうかを神経生理学の視点から研究しています。
記事1『人工神経接続とは―脊髄損傷や脳卒中の後遺症である重大な麻痺も治る時代に?』では、脊髄損傷や脳卒中などで麻痺が生じた患者さんをサポートする技術である「人工神経接続」についてお話ししました。今度は、リハビリテーションによる運動機能回復とやる気の関係についてお話ししましょう。
脊髄損傷などを患い、麻痺などの障害が残るとその現実に落ち込み、うつや疲れやすさを訴える患者さんは多くいます。気分が沈んでいる患者さんは、リハビリテーションにおいても意欲的に取り組むことが難しい状況です。しかしリハビリテーションでは、経験的に患者さんのリハビリテーションに対するモチベーションが高いと回復効果も高まることがわかっています。つまり、うつ傾向にある患者さんはリハビリテーションによる運動機能回復も遅れがちな傾向にあるということです。
しかし、なぜやる気があると機能回復が早まるのか、という理由は明らかではありませんでした。
そこで、私たちは心と体の関係性を調べるために、脊髄損傷で手が麻痺したサルを用いてある実験をしました。
まず、サルの目の前に餌を置きます。サルは自分の手が動かないことがわかっていますから、餌に手を伸ばそうともしません。そこでこちらからサルに餌をやります。何度か餌をやり、サルが自分も餌を食べられるということがわかると、今度は何とか自分で手を伸ばして餌を取ろうとします。つまり、やる気が生じて頑張っているのです。
そして実験開始から5分程度で、サルは麻痺した手で餌を取り、自力で餌を食べることができました。
この一連の流れはわずか5分ぐらいのあいだに起きた出来事です。そのため、短時間でいわゆる神経の可塑性(経験・学習により新たに神経のネットワークができること)が起きて、新たな神経回路ができたとは考えにくいでしょう。
そこで私たちはやる気が何かしらの運動機能のトリガーになっていると考え、前述のサルの脳を詳しく調べました。すると、やる気や頑張りといった、モチベーションを司る側坐核(そくざかく)という脳領域が、運動野の働きを活発にさせていることがわかったのです。
側坐核は、脳の中心部にあり、快感、報酬などに反応してドーパミンという神経伝達物質を受け取り、意欲を高める領域です。いわばやる気のスイッチであるといえる部分です。側坐核が反応すると、運動野を刺激して運動野の働きを活発にさせます。その結果、何かしらの目的のために体が動くということです。
しかしこの側坐核と運動野は、いつも密接につながっているわけではありません。
何の障害もない健常なサルでは、側坐核が活動しても側坐核からの情報が運動野には伝わらず、運動野の働きが活発にはなりませんでした。また、脊髄損傷などを起こしてリハビリテーションを施し、運動機能が完全に回復したサルでもこの情報伝達は行われていませんでした。今まさにリハビリテーションを行っている、回復期にあるサルにのみこの側坐核から運動野への情報伝達が行われていたのです。
つまり、障害のない、あるいは克服したサルでは側坐核が運動野へ影響を与えることはないということです。
回復期にあるサルは、運動野から脊髄を通って筋肉を動かすまでの神経回路が弱いため、脳からの情報がなかなか筋肉に伝わりません。その少ない情報から“頑張って”筋肉を動かす必要があるため、側坐核が反応し運動野を刺激して運動機能をより早期に回復させようとしているのではないかと考えています。そして完全に運動機能が回復すると、頑張る必要がなくなるため、側坐核から運動野への情報伝達も消失するのかもしれません。
リハビリテーションにおいて、心の状態が運動機能回復に関与していることがわかった今、これまで以上に心理的なサポートも重要視されてくるでしょう。たとえば相手を承認することで相手のやる気を促す「コーチング」という技術や、ストレスへの対処を学ぶ「ストレスコーピング」も今後リハビリテーションにおいて、実際のトレーニングと同様に重要な位置づけになってくるのではないかと考えています。
脳は、いまだに解明されていない部分が多くある、可能性の宝箱です。脳と神経についてより深く研究し、その成果を神経生理学の観点から医療に還元できればと思います。