DOCTOR’S
STORIES
手術とともにガンマナイフによる“切らない治療”も行い、20年間走り抜けてきた周藤高先生のストーリー
医師を目指すようになったきっかけは、小学4年生頃に人体の図鑑を手にしたことでした。もともと小さい頃から恐竜や昆虫などの図鑑を読むことが好きでしたが、図鑑のなかでも特に、人体の構造やウイルス感染の仕組みなど、人体の図鑑に書かれている医学の世界に強く惹かれました。当時はまだ、命を救う仕事である医師になりたいというよりも、学問としての医学を学びたい一心で医学部に進むことを決意し、佐賀医科大学医学部に進学しました。
医学部に入ってからは、研究者になることを目指して基礎医学を学ぶために細菌学教室などに出入りし、実験を手伝うなどして日々を過ごしていました。勉学を進めるうちに、“神経のこの部分に異常が生じるとこの部分に症状が出る”といった、病変の局在とそれに伴う神経症状の出現について、論理的に説明可能なことに興味が湧きました。そして、その神経症状の原因となる病変を自分の手で直接治療できる“脳神経外科”という分野に強く惹かれ、脳神経外科医になることを決意しました。
医学部を卒業後、いくつかの医療機関での勤務を経験しながら技術の向上に励みました。そのようななかで、横浜労災病院 脳神経外科の藤野英世先生(現ふじのクリニック院長)に声をかけていただき、2001年に横浜労災病院へ赴任しました。ここで、頭部専用の放射線治療装置であるガンマナイフと出会ったことが、私の医師人生においてのターニングポイントです。
放射線治療では、腫瘍細胞のDNAを損傷させ、また腫瘍内の血管にダメージを与えることで、徐々に腫瘍が小さくなっていきます。そのため時間はかかりますが、腫瘍を死滅させることが期待できる治療法といえます。そして、脳腫瘍に対してピンポイントで放射線を照射することができる装置がガンマナイフです。横浜労災病院ではガンマナイフによる治療を積極的に行っており、私もここでガンマナイフの治療法を学びました。そうしてガンマナイフを使った治療経験を重ねていくうちに、ガンマナイフのよさを実感するようになりました。さらに2014年からはノバリスSTxと呼ばれるピンポイント放射線治療(これを定位放射線治療と呼びます)が可能な装置が導入されました。
手術だけでなく、ときにはガンマナイフやノバリスSTxによる定位放射線治療を行う、この2つが私の治療の両輪となりました。
基本的に、外科医は手術による治療しか行いません。また、ガンマナイフを扱う医師はガンマナイフ治療専任であることが多いです。一方、私は手術も行いますし、定位放射線治療も行います。その理由は、治療効果が期待できるのであれば、全身麻酔による開頭手術よりも放射線治療をするほうが患者さんの負担も少なく、よりよい治療法だと思うからです。もちろん、長い目で見ると手術したほうがよい場合であれば、手術による治療を提案します。手術の場合は、中途半端な手術をせず、一回の手術で合併症を来さない範囲で可能な限り腫瘍を摘出する徹底的な手術を目指しています。
手術の経験がまだ豊富ではない頃の私は、術中に手先のことだけに集中するあまり、手術の流れなど手術全体の記憶がほとんど残りませんでした。しかし、経験を重ねてくると、全体を俯瞰しながら手術の段取りを意識できるようになり、臨機応変に段取りを変更したり、術後に術中のことを振り返ったりすることができるようになりました。
現在では、どんなにうまくいったと思う手術でも、術中の様子を必ず振り返るようにしています。そのなかで、自ら課題を見つけ出し、「ここはもっとこうすればよかったのではないか」と改善策を考えます。そのような振り返りをすることで、医師として常に進歩し続け、患者さんによりよい医療を提供できるようにしたいと考えています。
この横浜労災病院で、手術と定位放射線治療を治療の両輪にしてから約20年間、1日1日を走り抜いてきました。ここまで走り抜くことができたのは、患者さんが笑顔で退院されていく姿や、「ありがとう」という患者さんからのお言葉が、私の医師としての原動力となっているからです。また、世の中に医師がたくさんいるなかで、私に治療を一任してくださるということもまた、大きな原動力となっています。
いったん治療を終えて経過観察中の患者さんとは、次にお会いできるのが半年後など、だいぶ期間を空けてお会いすることがよくあります。しかし、半年後にお会いしても、前回お会いしたのがついこの間のように思うくらい、月日の流れを早く感じるようになりました。そのため、1日1日を大切にしないといけないと強く感じます。
仮に、定年を63歳として計算すると、私の医師人生は残り2500日ほどしかありません。そう考えると、自分が学んできた技術や知識を後進の医師たちへ伝えなくてはいけない、とも強く感じています。実際、何か疑問点や課題点を見つけたときには、自分1人で調べるのではなく、スタッフが集まるカンファレンスで議論し、知識の共有を図ることで、スタッフ全員で成長することを目指しています。また、手術中はマイクを通して私が細かい説明を行い、後進の医師たちがモニター画面を見ながらその説明を聞いて、見て、学んで成長できるように心がけています。自分が定年退職を迎えてからも、自分のあとに続いてくれる医師たちを育てることが私の重要な責務であると考えています。
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横浜労災病院
千葉大学医学部 臨床教授、横浜労災病院 内分泌代謝内科部長
齋藤 淳 先生
独立行政法人労働者健康福祉機構横浜労災病院 勤労者メンタルヘルスセンター長 兼 治療就労両立支援部長
山本 晴義 先生
横浜労災病院 泌尿器科 部長
永田 真樹 先生
横浜労災病院 血液内科部長/医師臨床研修センター長
平澤 晃 先生
横浜労災病院 神経筋疾患 部長
中山 貴博 先生
昭和大学医学部外科学講座乳腺外科学部門教授/昭和大学横浜市北部病院外科系診療センター乳腺外科 診療科長
千島 隆司 先生
独立行政法人 労働者健康安全機構 横浜労災病院 形成外科部長
山本 康 先生
横浜労災病院 整形外科 院長・運動器センター長
三上 容司 先生
横浜労災病院 こどもセンター長 小児科部長
菊池 信行 先生
横浜労災病院 小児外科 部長
菅沼 理江 先生
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