医学は研究によって進歩する

京都大学大学院医学研究科 血液・腫瘍内科 教授
高折 晃史 先生

医学は研究によって進歩する

臨床と研究に人生を費やし、多くの血液内科医誕生を願う高折晃史先生のストーリー

公開日 : 2017 年 11 月 09 日
更新日 : 2017 年 11 月 09 日

最初は循環器内科を希望

医学生のころ、血液内科医ではなく、循環器内科医になることを希望していました。京都大学を卒業後、初期研修を静岡の病院で行い、内科のさまざまな科をローテーションしました。そして、血液内科で学んでいる期間のことです。私はある患者さんに巡りあったのです。その患者さんの病気はすでに治療が困難なところまで進行してしまっており、その病院の医師も手を尽くし治療を行ったのですが、残念ながら、その患者さんは亡くなってしまいます。

しかし、私はその患者さんのご家族から多くの感謝の言葉をいただき、「先生!是非、血液内科の専門医になってください!」といってもらいました。私はこの言葉に大きく心を揺さぶられ、そのまま血液内科医を目指すことになったのです。

骨髄バンク創始者との出会い

研修医1年目に京大病院で最初に担当した患者さんは、2人の女性でした。1人は中学生の女性。そして、もう1人は、後に骨髄バンクの創始者となる大谷貴子さんでした。2人は共に慢性骨髄性白血病を患っていました。

慢性骨髄性白血病は当時難治性の病気です。現在(2017年10年)では、薬により命を救うことが可能になりましたが、当時は薬が開発されておらず、初期の段階で骨髄移植を実施しなければ命は助からない疾患だったのです。おまけに、骨髄移植のドナーは血縁者に限られていました。大谷さんは無事にご家族から移植を受けることができたのですが、中学生の患者さんは、ご家族とHLA*が一致しなかったため、骨髄移植ができず、残念ながら亡くなってしまったのです。

*HLA…ヒト白血球抗原といわれる、白血球の型

大谷さんは、彼女の死に大変なショックを受け、その後、家族以外からでもHLAの一致するドナーさんを見つけられるように、一念発起して骨髄バンクを設立します。大谷さんとは現在も交流があり、仲良くしています。

このように血液内科は、どれだけ治療に手を尽くしても、一定の患者さんは亡くなってしまう、そんな科です。そういった厳しい環境ですが、スタッフが一丸となって患者さんを救おうとする、そして、患者さんも自らの命のため懸命に頑張る。そんな現場で働けること自体が、私が血液内科の医師として働くひとつの活力です。

医学の進歩を目の当たりにし、研究の重要性を感じる

私の親は開業医だったので、自然と臨床医として働く未来を思い描いていました。しかし実際には臨床もやり、研究もするという人生を送っています。研究を続ける道を選択したきっかけは、海外留学しているとき、研究による医学の進歩を目の当たりにしたことです。

1995年、日本以外の国でも勉強をしてみたいと、米国UCSFグラッドストーン研究所に留学したのですが、そこで多くの刺激を受けます。研究者全員が自分の意見をはっきりと主張しデスカッションしたり、独特の感性を持っていたり。しかし、そのなかでも最も刺激的だった出来事はHIVの治療薬の発見でした。

当時、HIVの治療方法は確立されておらず、不治の病とされていました。研究所に隣接するサンフランシスコジェネラルホスピタルでも、多くのHIV患者さんが亡くなっています。研究所の研究者たちは、HIVの患者さんを救おうと、基礎研究・臨床研究に力を入れていました。そして、私が留学して1年が経った1996年のことです。HIVの進行をある程度コントロールできる薬が開発され、学会で発表されたのです。

それは研究者たちの勝利宣言ともいえる光景でした。

「医学は研究によって進歩する」

そのことを私が肌身をもって知った瞬間で、その光景は今でもはっきりと覚えています。その成果に影響された私は研究に力を入れようになり、臨床に役立つ研究はないかと常に考えながら、現在でも研究を続けているのです。

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京都大学大学院医学研究科 血液・腫瘍内科 教授

高折 晃史 先生

京都大学を卒業後、米国UCSFグラッドストーン研究所研究員などを経て、京都大学大学院医学研究科血液・腫瘍内科 教授へと就任する。現在は若手医師の教育を行う立場として、血液内科医を増やそうと日々奮闘している。

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