北里大学 医療衛生学部リハビリテーション学科理学療法学専攻 教授、北里大学 大学院医療系研究科臨床医療学 整形外科学 教授
股関節の痛みで受診しても、医師によって診断名が変わる――。そんな不思議な病気があります。ある男性は、股関節の強い痛みで病院をいくつか回っても、診断名が異なることに疑問を抱いていました。痛みがあるのに、レントゲンを撮っても異常がないと言われてしまう。しかし、実はこの男性の病気は、太ももの骨の股関節側先端(大腿<だいたい>骨頭)が壊死(えし)してしまう病気だったのです。なぜこの病気の診断名が医師により変わってしまうのでしょうか? 今回は、その“謎”を追ってみましょう。
「股関節が痛くてたまらず病院をいくつか受診したのですが、行く先々で診断が違うんです」
60歳代の大学教授Aさんは診察室に入るなり、私にそうおっしゃいました。Aさんは病院で治療を受けても痛みがよくならずに別の病院を受診し、また違う診断名がついて治療するものの痛みはひどくなるばかり、といった具合で、病院を転々とせざるを得ませんでした。「自分がどの病気なのかわからないし、私を診てくれた先生方は本当に正しく診断してくれたのか……」とAさんは今まで診察をしてきた医師たちに不信感を持っているようでした。
Aさんの体をむしばんでいた病気は「特発(とくはつ)性大腿骨頭壊死症」。これは、大腿骨頭の股関節に接する部分が血流低下によって壊死し、負荷がかかってその部分が潰れる(圧潰)ことで骨折のような強い痛みが出る病気です。診断が難しいことから国の難病にも指定されています。
特発性大腿骨頭壊死症とは、一体どんな病気なのでしょうか。
特発性大腿骨頭壊死症は骨の中の血管が塞がるなどして血が通わなくなり、骨組織が死んでしまう(壊死)することで起こると考えられています。骨壊死が起きる(発生)タイミングと痛みが生じる(発症)タイミングに差があるため、骨壊死が起きても痛みが生じない期間が数カ月程度あります。
毎日大量(日本酒で2合以上)に飲酒する方や、ステロイドと呼ばれる薬を大量に使用している方(代表的なステロイド薬のプレドニゾロン換算で1日平均15mg以上)に比較的多いといわれていますが、これらに当てはまらなくても罹患(りかん)する方もいます。個人的には、バーやスナックに勤めているなどの仕事柄、毎日のようにお酒を飲む職業に就いている方に多いように思います。ステロイド関連では、ステロイドパルス療法といって大量のステロイドを点滴する治療を受けている方に多いといわれています。また、内服・注射薬だけでなく、ステロイド軟膏などの外用薬でも罹患する可能性があります。ステロイドは、病院で処方される薬以外にも、市販薬や海外製のサプリメントにも含まれていることがあります。
ただし、医師の指示のもとで使用しているステロイドを勝手にやめてしまうと、元の病気が悪化するおそれがあります。自己判断でやめることは絶対に避けてください。
この病気になりやすい年齢は全体で30~50代、ステロイド関連に限った場合は30代で、働き盛りの世代に多くみられます。男女比は1.8対1で全体では男性が多いのですが、ステロイド関連だと0.8対1でやや女性が多くなります。これは、ステロイド投与を多く受ける膠原病の患者さんは比較的女性が多いためです。年間2000~3000人が新たにこの病気にかかっており、一般の病院であれば年に1人程度診断されるかどうかの珍しい病気です。
ハイリスクの人に対する予防法はあるのでしょうか。発生のメカニズムとしてアルコール摂取などの酸化ストレス▽血液凝固異常▽脂質代謝異常▽さらに最新の研究では血管内皮細胞の機能障害(血管の健康状態維持の機能が損なわれた状態)――の関与が指摘されています。病気の治療でステロイドを使用しなくてはならないなどの患者さんに対し、発生と発症を防ぐために研究が進んでいますが、残念ながら現時点(2019年5月)では確実な予防法はまだ見つかっていません。
特発性大腿骨頭壊死症は診断が難しいのですが、一度診断がつけば治療法はいくつかあります。主な治療法は、「骨切り術」と「人工関節置換術」の2つです。そのほか、壊死の範囲が非常に狭い場合は保存療法といって、手術はせずに安静や股関節に負荷がかからないような生活指導を行う方法もあります。また、場合によっては体の別の部分から血管付きの骨を移植する「骨移植術」が行われることもあります。
どの治療法を選ぶかは病気のタイプ(壊死の範囲)やステージ(圧潰の程度など)、年齢、内科的合併症、職業、病気が生じている箇所が片足か両足かなどを考慮して決められます。
骨切り術は、骨を傾けたり回転させたりして骨の壊死した部分を負荷のかかりにくい場所に移動する手術です。手術でうまく負荷がかからないようにできれば、人工関節を入れることなく壊死部分の圧潰を防ぎ、痛みの症状を軽減することができます。
この手術は壊死の範囲が比較的狭く、壊死部分以外の骨が健康である場合などに行われることがあります。しかし、複雑で技術を要することから、どこの施設でも受けられるわけではありません。
人工関節置換術は、壊死した部分の股関節を丸ごと人工の関節に入れ替える、もしくは大腿骨頭のみを人工骨頭に入れ替える手術です。この手術は、壊死部分が完全に潰れてしまっている、壊死の範囲が広い場合などに行われます。
骨切り術と比べて回復が早く、入院期間も短期間で済むメリットがある一方で、人工関節自体の耐久性の問題があります。そのため、将来的に再度人工関節置換術を受けなくてはならない場合があることを知っておきましょう。
最後に、診断名が医師により変わってしまうという“謎”の種明かしをしましょう。特発性大腿骨頭壊死症は診断の難しい病気で診断がつかないうちに病気が進行してしまうケースが珍しくありません。細菌感染のように壊死が拡大することはないのですが、適切な治療をしないと壊死部分の圧潰が進んでしまうのです。
「この病気は、時間の経過とともに“変化”する病気なんです。特に、初期だとレントゲンを撮ってもこの病気だとはなかなかわかりません。だから今まで診察してきた先生方の診断がそれぞれ違っても、おかしくないんですよ」。私がそう説明すると、Aさんは「そうなんですね」と、とても納得された様子でした。
もし思い当たる生活習慣や薬の服用歴がある場合は、こんな病気があることを知っておき、気になる症状がある場合はきちんとこの病気の診断ができる医師を受診することが大切です。
特発性大腿骨頭壊死症の診断・治療に関する医師選びの目安の1つとして、日本股関節学会の役員や評議員の職に就く医師を受診することが挙げられます。本学会の役員や評議員の医師は股関節の専門家で、正しく診断ができる知識と経験があると判断してもよいでしょう。医師選びに迷ったら、参考にしてみてください。
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北里大学 医療衛生学部リハビリテーション学科理学療法学専攻 教授、北里大学 大学院医療系研究科臨床医療学 整形外科学 教授
北里大学病院整形外科にて、股関節手術、ロコモティブシンドローム、姿勢など、さまざまな分野の治療に従事。著書も多数あるほか、TV出演なども行なっている。近年では、ロボットを用いたヘルスケア指導など、新しいとりくみにも尽力されている。