「刑事責任能力の有無が問われます」
大きな事件が起きたときなど、ニュースで語られる言葉です。言葉はよく知られているものの、刑事責任能力自体の意味についてはあまり知られていないのが現状です。
精神鑑定や刑事責任能力が含まれる分野は司法精神医学です。この記事では司法精神医学において日本の第一人者である慶應義塾大学医学部精神神経科准教授の村松太郎先生に、刑事責任能力についてうかがいました。
刑事責任能力とは文字どおり、刑事事件における責任能力です。では、そもそも刑事責任能力とは何を指すのでしょうか。刑事責任能力についての一般的な説明は以下のようになります。
「物事の善し悪しを判断し、その判断に従って自分の行動を制御する能力。自分で考えて行ったことに対しては自分で責任をもつというのは人としての基本です。しかし、重篤な精神障害などの影響で責任能力が損なわれることもあり得ます。」(「だれでも分かる精神医学用語集―裁判員制度のために―」民事法研究会より引用)
さらに、刑事責任能力とは以下の3通りに分けられます。
精神の障害によって、善悪の判断をする能力またはその判断にしたがって行動をする能力が失われている状態
精神の障害によって、善悪の判断をする能力またはその判断にしたがって行動をする能力が著しく障害されている状態
上記二つのいずれでもない状態
わが国における「刑事責任能力」の定義を前提とすれば、その背後には「『悪いことをしない』ためには、2つの必要な要素がある」とする考えを読み取れます。この2つの要素は、以下の通りです。
人間の行動について考えてみると、人間はまずその行動自体が良いことなのか、悪いことなのかを判断します。この力が「判断力」です。しかし、悪いことだと判断したとしても、自らの行動を制御することができなければ、その悪いことは行われてしまうことになります。そのため「制御能力」も大切なのです。わが国の「刑事責任能力」の捉えかたは、このような考え方に基づいているといえます。
理非善悪を判断し、その判断に従って行動する能力が「完全に」失われている状態を「心神喪失」といい、これは「責任無能力」の状態です。「著しく障害」されている状態は「心神耗弱」といい、「限定責任能力」です。
これらの判断は法的判断です。そして、これを下す前提としての材料を提供するのが精神鑑定の役割であり、すなわち司法精神医学の範疇である、という考え方が優勢です。このような性質があるため、精神医学は「最終的な判断を社会に委ねている」といえるのです。
しかし、ここでも責任能力を考える上で難しい部分があります。「最終的にやってしまった」以上、全ての場合に「判断力や制御能力を有していなかった」とも考えられるのです。つまり極論すれば、犯罪が起きたケース全てに対して判断能力、制御能力のどちらかが失われている状態であったと考えることもできてしまうのです。