産業精神保健活動の現場に精神科医が関わっていくとき、そこではどんなことが起こっているのでしょう。慶応義塾大学ストレス研究センター副センター長の白波瀬丈一郎先生に、ご自身の体験を交えてお話しいただきました。
私が精神科医として精神医学の文化の中で過ごしている中で感じていたことですが、企業はわれわれ精神科医と対立関係にあるというイメージを持っていた時期がありました。
それは、精神科の患者さんという存在を中心に置いたときに、この人たちを何とか助けたいと思っているわれわれ精神科医と、組織のお荷物を排除しようとする企業という対立構図があるのではないかと考えていたからです。そのため、実は産業に関わることを長い間避けていたのです。
私の師である精神科医の小此木啓吾先生は、精神分析医をしながら並行して、1960年からある企業で産業精神保健活動を行なっていました。その小此木先生の勧めもあり、私も1997年頃から企業の中に入って勉強するようになりました。
小此木先生の教えの根底には、精神科医たるもの社会を広く知らなければならない、という考え方がありました。週に一回、丸の内に行きなさい。そこでビジネスマンと呼ばれる人たちが何を考え、どんなことをしているかをちゃんと知るべきだ、というのが私に企業へ行くことを勧めた理由でした。
こうして私は週に3時間、企業の診療所に赴くことになりました。しかし、精神科医として10年以上のキャリアを積んでいたにも関わらず、職場の精神保健医が何をすればいいのかをまったく学んでいなかったのです。
何をしたらいいのか分からないままに普段どおりの診察を行なっていると、メンタル不調で休職していた社員の方が来られることが何度かありました。主治医から仕事に復帰する許可が降りたので専門医の意見書をもらいたい、といわれるのです。
ここでもまた、何をもってそのような判断をすればいいのかまったく分からず、自分の経験からできること―病院の診察室と同じように患者さんを診察して普段の様子を聞き、病状が落ち着いていることを確認して、これなら復帰してもいいですよと意見書を出していたのです。しかしそれは本人の「仕事に戻りたい」という意思と主治医の許可を追認しているだけで、およそ判断と呼べるものではありませんでした。
私は、世の中とはこういうものなのだ、と思い、社会が必要とする手続き的な役割を担うのもひとつの務めなのだと考えるようになりました。しかし、仕事に復帰したはずの社員がまた診察室にやってくるというようなことを何度も経験することがありました。
やがてその企業の中で顔なじみができ、人事担当者や職場の上司など、いろいろな方の話を聞くようになりました。すると、十分回復しておられない方が職場に戻って来られたときの、人事担当者や職場の同僚の負担がどんなものなのかということが少しずつ分かるようになってきたのです。
そうすると、会社の診察室にこもって追認の意見書を書いているだけではいけない、事態はもっと深刻なのではないかと考えるようになりました。メンタル不調の社員の復帰を快く引き受けてくれた上司がほとほと疲れてしまって、もう勘弁して下さいとおっしゃる場面が出てくるのを見て、何とかしなければという危機感を覚えたのです。
ひとりの精神科医として、職場復帰を快く引き受けてくださった上司の方に「引き受けてよかった」と思っていただけるようにしなければ、メンタルヘルス不調の方が戻れる場所がなくなってしまうのではないかと考えるようになりました。それが診察室で患者を待つだけではなく、産業精神保健に力を入れようと思い始めたひとつの理由です。
東京都済生会中央病院 健康デザインセンター センター長
「受診について相談する」とは?
まずはメディカルノートよりお客様にご連絡します。
現時点での診断・治療状況についてヒアリングし、ご希望の医師/病院の受診が可能かご回答いたします。