独立行政法人国立精神・神経医療研究センターでは、筋病理診断に欠かせない筋生検の検体が全国から集められています。検体から得られるさまざまな情報を元に、これまで対症療法しかなかった筋ジストロフィーの治療薬が現実のものになりつつあります。神経研究所疾病研究第一部の部長であり、世界屈指の検体数を誇る筋病理診断センターを統括する西野一三先生にお話をうかがいました。
ホルマリン固定ではなく新鮮凍結固定という方法を用います。筋病理学ではさまざまな酵素活性を調べる特殊な染色法が発展しているため、新鮮凍結固定が必要となるのですが、このことが研究にとっては非常に有利な点でもあります。ここからDNA・RNA・タンパク質・脂質など多くのものが抽出できるからです。
我々は患者さんから筋生検で採取した検体は基本的に廃棄せずすべて保管しています。1978年当時はインフォームド・コンセントもまだ存在しませんでしたが、時代に先駆けて患者さんから同意書をいただくということを行ってきました。現在は検査をするだけでなく、検体の保管や研究目的での使用、またそれに伴う分与についても患者さんの同意を得て行うようにしています。
特定の筋疾患だけを集めているわけではありませんから、すべての筋疾患の検体がここにあるということになります。今まで集まった凍結検体の数は現在およそ1万6千に上ります。これだけの検体数を保管している施設は世界でも数カ所というところでしょう。どの施設でもこの凍結検体を絶対に融かさないようにするために細心の注意を払っています。
停電などのアクシデントに備え、国立精神・神経医療研究センターではいくつものバックアップ・システムをとっています。
非常用電源の装備はもちろんのこと、ディープフリーザーと呼ばれるマイナス80度の冷凍庫では庫内の温度をモニターし、温度が上がると自動的に液化炭酸ガスが流れ込むようになっています。
マイナス79度の液化炭酸ガスはドライアイスとほぼ同じ温度ですから、蓋を開けなければ数日は温度を維持できます。また、空のディープフリーザーを常に用意して、何かあったときにはすぐに検体を移せるようにしています。私は毎朝9時に、庫内の温度に異常がないという確認のメールを受け取っていて、もし庫内の温度に大きな変動があればアラートのメールが入ることになっています。
ここにある検体は人類全体の財産として厳重に管理していますが、この貴重な財産を活用して少しでも患者さんのため、社会に還元することが私自身の大きなテーマでもあります。これを活用して筋疾患の原因を明らかにしたいと考えています。
参考リンク:NCNP神経研究所 疾病研究第一部 筋病理診断サービス
もっとも患者さんが多いデュシェンヌ型筋ジストロフィーについては、すでにその原因解明の段階はクリアされています。私の前に部長を務めておられた故・荒畑喜一先生によって1990年代の初めに、デュシェンヌ型筋ジストロフィーの原因となるジストロフィンという分子が筋繊維の膜にあるということが報告されました。単にその分子があった場所を特定しただけではなく、それが筋繊維の膜にあったということが非常に重要だったのです。
「筋繊維の膜」が筋ジストロフィーにとって鍵になるというところからストーリーが始まり、さまざまな筋ジストロフィーの原因分子が筋繊維の膜にあるという、ひとつの理論ができあがるきっかけとなったのです。これは筋ジストロフィー研究の歴史に残る出来事であり、日本が世界に誇る研究成果だったといえます。
デュシェンヌ型筋ジストロフィーはすでに治療研究がかなり進んでいます。実はいま国際共同治験というものが行われ、企業ベースの治験が実施されるところまで来ています。これはエクソン・スキッピングと呼ばれる手法による治療ですが、現在2つの有力な候補がありますが、そのうちのひとつはFDA(アメリカ食品医薬品局)の審査結果が平成28年中に出る予定です。
やはり我々は病因を明らかにしてその延長線上で治療を開発したいと思っています。たとえば、遠位型(えんいがた)ミオパチーという病気はイスラエルの研究グループが原因を見つけたのですが、幸運なことに我々がモデル動物を作ることができ、シアル酸によって発症が抑制されることを証明しました。現在この治療も治験の段階に進んでいます。他にもさまざまな筋疾患がありますので、それらを対象に幅広く研究を行っています。
この国立精神・神経医療研究センター神経研究所には筋疾患を扱っている部門が2つあります。ひとつは我々の疾病研究第一部で、もうひとつは遺伝子疾患治療研究部です。そこでは主に筋ジストロフィーの研究を行っていて、その中心にあるのがデュシェンヌ型筋ジストロフィーです。前述したエクソン・スキッピング療法については、国立精神・神経医療研究センターでも国内企業と共同で開発し、治験が始まろうとしています。
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