ダイオキシンという名称が生まれたのはそう昔のことではありません。世界的にダイオキシン類の毒性の基準が統一されたことで、油症において新たな診断基準を設けることが可能となりました。九州大学病院油症ダイオキシン研究診療センター長の古江増隆先生に、新たな診断基準が加えられるまでの経緯についてお話をうかがいました。
油症はダイオキシン類による中毒で、1968年に発症しましたが、比較的早く原因の特定が行われました。そのため、ほとんどの患者さんが油症認定されたわけですが、発症当時は様々な偏見などもあって、認定されることを拒否される方も少なくありませんでした。しかし、病気が発生してから20年も30年もこれらの症状が継続するため、後に認定を希望される患者さんも出てきました。ところが、年月が経ってから認定する方法がなかったため、新規に認定される患者さんも少なくなっていったのです。
私が九州大学の油症研究班の班長になったのは2001年のことでした。就任後まもなくして患者さんたちが油症認定の拡大を求めて、教授室までやって来られました。正式に認定されないままに油症によって困っている患者さんがまだいるという訴えでした。しかし、その当時というのは油症が発生してからすでに30年以上が経過しており、診断基準を改めるといっても、その手段がなかったのです。
その当時も油症が発生した時も、体内のダイオキシン類を正確に測定する技術は世界のどこにもありませんでした。2001年の時点ではPCB中毒と断定されていたわけですが、1970年当時はPCBだけではこの激しい症状は起こらないということが、当時の九州大学病院の医師の間では常識的に考えられていました。もっと毒性の強い何かが含まれているのではないか、ということで注目されていたのがPCDFでした。
当然その当時は「ダイオキシン類」という言葉などありません。
ダイオキシン類は、油症発生以後に作られた名称で、ベトナム戦争で使われたエージェントオレンジと呼ばれる枯れ葉剤に含まれていたTCDDなどと同じような構造をもち毒性が強いものを、国際会議など毒性係数を決定するようになったことで、新たにダイオキシン類という呼び方が定着するようになりました。汚染されたカネミ油に含まれていたPCDFも毒性の強いダイオキシン類として定義されるようになりました。これは1990年頃のことで、それほど昔のことではないのです。
通常、ダイオキシンは物を燃やしたときなどに発生します。土壌などにも一般的に含まれており、健康な人の体内からも微量ですが検出される物質です。ところが、土壌の中に含まれているダイオキシンの測定と、人体の中のダイオキシンの測定とでは、その難しさが格段に違うのです。土壌の中には多量のダイオキシンが含まれている一方で、人体の中に溶け込んだダイオキシン類は微量であるため、その濃度を測ることは、当時の技術では困難だったのです。また、検診などで調べるためには、患者さんの脂肪をかなり多く切除して分析しなければならず、手術をしてまで測りたいとは誰も思わなかったわけです。
ダイオキシン類による土壌汚染問題が話題となった時期と重なり、患者さんから油症をダイオキシン類中毒として定義してほしいという要求が出されました。しかし、体内の微量なダイオキシン類濃度を正確に測定して、一般の人たちの濃度と比較することができない以上、診断基準に加えることはできなかったのです。
そんな折、 微量のダイオキシンを検出できる研究器機のシステムが急速に発展を遂げました。約10ccの採血で血中ダイオキシンを測定することができるようになったのです。そこで、油症患者さんと健常者の血中ダイオキシン濃度を約3年かけて測りました。両者の値を比較すると、数値50のところを境にして分かれることが判明しました。そして、PCDFの血中濃度50以上を新たに診断基準に入れることで、それまで認定されなかった患者さんが認定されるようになったのです。この新しい診断基準によっておよそ80人ほどの方が新たに認定されています。