記事1「脳卒中、がん、心筋梗塞の医療を担う東大阪医療センターの取り組み」では東大阪市の急性期医療を担う東大阪医療センターの取り組みについて、東大阪医療センター副院長の中隆先生にご紹介いただきました。中先生によると、東大阪市には入院診療を行える病院が少なく、患者さんが安心して中河内地域で治療を受けられるように体制を整える必要があるとのことでした。
一方でこの地域には、現代の医学では治療できない神経変性疾患などの難病を抱えた患者さんもいらっしゃいます。このような方に対して、医師はどのように向き合えばよいでしょうか。記事2では引き続き、神経内科専門医でもある中先生が考える「神経内科のプロフェッショナリズム」について、先生の思いを交えてお話しいただきます。
前項で「地域で安心して生活できる医療」と述べましたが、これはどのような医療のことを指すでしょうか。これより、私が経験してきた中で考えるようになった「神経内科医のプロフェッショナリズム」についてお話ししますが、東大阪医療センターの神経内科は、私と同じ意識をもって日々の診療に当たっていることを知っていただけると嬉しく感じます。
かつて、神経内科は病気を治すことができない診療科だといわれていました。現在は脳卒中に対する治療法が続々と登場していますし、神経変性疾患に対する薬も多く導入されています。それでも、現代の医学では治療できない神経変性疾患や神経難病は多数存在します。
そのため神経内科医は、病気を治すこと以上に、治せない患者さんにいかに満足してもらうかを大切にする必要があります。
東大阪医療センター神経内科には、もはや治療できない神経変性疾患の患者さんも数多くいらっしゃいますが、私はそのような患者さんを定期的に診療しています。
患者さんはご自分の病気が治らないことをもちろんご存知です。それでも定期的に患者さんが私の外来に来てくださる理由は「ここで最善の医療を提供してもらっている」という満足を得るためだと考えています(後ほど具体例を述べます)。
たとえ病気を治せなくても医師が牧師のように患者さんの話を聞き、できる限り患者さんと会話をして、患者さんに喜んで帰っていただけるならば、それは一つの治療行為ではないでしょうか。
難病の患者さんに対しても、医師が真摯に話を聞くことが一つの医療になる場合があります。
私が特に忘れられないのは、あるALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんと最期にした会話です。その患者さんはすでに治療のやりようがない状況でしたが、定期的に診察室でお話を伺っていました。あるときついに状態が悪くなり、亡くなる直前にお会いしたところ「中先生に最期まで診てもらえて本当によかった。ありがとう」という言葉をいただきました。まさに医者冥利に尽きる言葉です。
私は今でも病院外来で神経変性疾患の患者さんの診察を担当していますが、診察では話を聞くくらいしかできない方がたくさんこられます。それでも患者さんは「中先生、今日もありがとう、これでまたしばらく頑張れます」といって帰宅されます。ご家族の方から「普段は全く笑わないのに中先生のところに来ると笑顔になります」とお聞きすることもあります。病気の治療はできていないのに、患者さんにはとても満足していただけています。ありがたいことに、患者さんは私という医師を信頼してくださっていて「ここで最善の医療を提供してもらっている」という満足を得てくれているのでしょう。
この他、話を聞くことで患者さんの症状が良くなる例をひとつご紹介しましょう。
たとえば「頭痛」は非常によくある症状で、誰でも一度は経験したことがあるはずです。
頭痛の原因は様々ですが、現在では「怖い頭痛を見逃すな」ということばかりが強調されているように感じます。ここでの「怖い頭痛」とは二次性頭痛、すなわち脳卒中やくも膜下出血、脳腫瘍などの病気が原因で生じる頭痛を指し、確かにこれらの病気を見逃すと患者さんが命を落としてしまう危険があるので十分な注意が必要です。
しかし、大学などでは医学生に「他の病気によって頭痛が起こった方を決して見逃してはならない」と教育する一方、患者さんが困っている頭痛(一次性頭痛)という症状に医師はどう対応すべきかという教育はあまり重要視していないという現状があります。これは日本の頭痛診療の大きな問題だと考えています。
東大阪医療センターには頭痛外来があり、日々頭痛に悩む患者さんを診療していますが、頭痛外来は一般的な神経内科や内科と異なる役割を持っていると考えます。
頭痛で病院を受診する患者さんの要望は大きく分けて二通りあります。
第一に、二次性頭痛が心配だという方がいます。そのような場合、近隣の大きな病院を受診すればすぐにMRI検査を行ってくれるでしょう。万が一検査結果に異常がみられれば治療介入が必要ですが、ほとんどの場合は「異常なし」と診断されるので、「病気ではなかった」と患者さんも安心して帰ることができます。
これは余談ですが、頭痛を感じると別の病気を疑うのは日本人特有の流れです。脳そのものは痛みを感じません。極論を言えば、麻酔なしで生きたまま脳に針を刺しても痛くありません。つまり「頭が痛いから脳に何か異常があるのではないか」という考えはそもそも医学的には正しくないのです。
一方、頭の痛みそのものに困って病院を受診される方がいます。これは一次性頭痛というタイプで、別の病気が原因で起こる頭痛ではありません。このような場合、患者さんが一般の病院や頭痛に興味のない診療科を受診してMRI検査を受け、「脳に異常はありません。よかったですね」と診断されたとしても「頭が痛い」という悩みは解決しません。痛みそのものは治っていないからです。しかし、大抵の場合は頭痛薬を処方されて診察が終了してしまいます。
頭痛専門医は、こうした「頭痛の症状」そのものを対処する役割を担います。
東大阪医療センターの頭痛外来では、初診には30分かけて問診を行い、頭痛の種類や吐き気の有無、生活への支障度など様々なことをお尋ねします。頭痛に関するお悩みをお聞きすると、それだけで喜ばれる方もいらっしゃいます。おそらく、これまでどこの病院に行っても真面目に悩みを聞いてもらえなかったのでしょう。
指導医が若手に教えることは治療方針や診断ばかりで、神経内科医としての考え方を伝える機会はあまり多くありません。
講演会で多くの先生が脳卒中の最新治療などの先端医療について話す一方で、私は「神経内科のプロフェッショナルとはどうあるべきか」についてお話をするようにしています。
神経内科医は、専門的知識や技術だけを有していてもプロフェッショナルとは呼べません。もちろんその二つを有していることは必要条件ですが、そのうえで、医師として公平性をもち、正しい倫理観を備え、患者へ最善の医療を提供する気概を持つこと。さらに、一部の患者さんは意識障害がない(多くは認知症を伴わない)進行性の疾患を抱えており、根本的な治療法がない困難な状況にあることを正しく認識し、患者さんのノーマライゼーション※の実現のために、できる範囲内でベストを尽くす気概を持つこと。この二点が神経内科のプロフェッショナリズムであると考えています。
知識は教科書を読むことで習得できますが、考え方はすぐには身につきません。日本の神経内科医や医学生はぜひ、神経内科のプロフェッショナリズムとはどうあるべきかを意識して診療に臨んでほしいと思っています。
※ノーマライゼーション:「社会で日々を過ごす一人の人間として、障害者の生活状態が、障害のない人の生活状態と同じであることは、障害者の権利である。障害者は、可能な限り同じ条件のもとに置かれるべきであり、そのような状況を実現するための生活条件の改善が必要である」とする考え方。初めて提唱したのはデンマークのミケルセン。北欧の知的障害者の領域から広がったこの概念は、今日では福祉の基本的な概念のひとつです。
市立東大阪医療センター 病院長
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