1950年代には、医学に関する知識や情報が2倍になるのに50年を要するといわれていました。その後、医学の進歩とともにその期間は短縮され、今では数年で倍増する勢いです。一方で、患者さんの生命にかかわる判断を行う医師には、どのような診療科であっても総合的な診療能力が求められるようになり、世間で医師への期待はますます高まっています。医学の情報が進歩したこれからの時代に求められる医学教育について、秋田大学大学院医学系研究科医学教育学講座教授の長谷川仁志先生にお話をうかがいました。
医療の高度化にともない、医師に必要とされる医学の知識や情報は爆発的に増えています。たとえば各科の教科書は、我々が学んだ30年前(1980年前後)と比べると、疾患数、各種検査の種類、治療法、治療薬の数が増え、現在ではおよそ数倍近い内容になっていると言われております。また、薬の種類も相当増えているうえに、多くの種類のジェネリック医薬品(後発医薬品)も出てきています。このように、現代の医学生が大学時代に浴びる情報の量は想像を絶するものがあり、従来のペースで各分野がバラバラに教育をしていては学生がパンクしてしまいます。
秋田大学では医学部の教養科目は1年次の1学期で単位取得できる構成となっていており、1学期から基礎医学も徐々に始まります。2学期には生理学・骨学・生化学・組織学・発生学などの基礎医学の教育を充実してきております。そうしなければ教える量があまりにも多く、2年次になってからいきなり詰め込むことになってしまうからです。
しかし一方で、それだけ勉強をしても、実際の患者さんを前にすると学んだことを活かしきれないという問題があります。ですから、カリキュラムをもっと工夫して、具体的な症例をベースに基礎と臨床を一緒に教育しなければなりません。
実際に海外の医学教育学会などに出席していると、「統合」ということが大きなトピックスになっていると感じます。統合とは、各科の医師が関わりながら、基礎医学も臨床医学も一緒になって、あるひとつの症例に対してアプローチしようという姿勢です。
たとえばハワイ大学では、1週間の中で月曜日に臨床の先生が共通の症例を提示し、火曜日以降はそれに対する鑑別診断や臨床推論を行うというカリキュラムが組まれています。
具体例を述べると、月曜日に提示された症例に対し、火曜日は生理学の先生がそれに関する心電図について教えたり、あるいは生化学の先生がその症例について教えたりします。そして水曜日には臨床の先生がさらに一歩踏み込んだ内容に触れ、木曜日に基礎の先生が追加して、最後の金曜日に解剖を行うといった流れになっているのです。
この一連の流れがセットになっているため、「こういう患者さんが来たらどうするか」ということを、基礎も臨床も一緒に症例ベースでしっかりと学んでいくことができます。さらにこのカリキュラムは、全部を先生が教えるのではなく、半分は学生自ら学ぶ時間を設け、基礎の先生と臨床の先生のアドバイスを受けながら自分で調べていくというトレーニング形式です。
対して、日本の医学生はある意味「各科の試験に通るために勉強をする」とも言えるところがあり、入学間もないころから大学院レベルのような難しい知識に偏って問われている部分もあります。その結果、実践で必要とされる診療レベルの保証が十分ではない状況から脱していないとされております。
医学部を卒業させるからには、ただ単に試験に合格すればよいということではなく、学生全員が、何科の医師としても当然持つべき総合的な臨床能力や、一定以上の高いモチベーションやプロ意識を身につけているべきです。しかし実際には、卒業後も各方面で十分に活躍している一部の人たちの活躍を評価して、今の卒前医学教育の成果としてみているところがあります。つまり、これからはしっかり全員がある一定以上のレベルにある、すなわち卒業時の質が十分に保証される必要があるのです。
医学部入学後は膨大なカリキュラムをこなすだけで終わってしまい、卒業時にはペーパー試験だけで送り出されることも少なくありません。しかし、自動車の運転免許に実技講習があり、航空機パイロットがフライトシミュレーションを繰り返すように、本来は医師免許にも実践・実技による評価が必要です。モチベーションの高い一部の学生だけを集めて実践的な取り組みを行うというケースはよくみられますが、大切なのは全員の質を一定以上にもっとしっかり保証することだと考えます。
本来の医学教育は、学生が将来どの診療科に進んでも必要とされる、医師としての基本的な能力の習得度を、しっかりとみていく必要があります。頭が痛い、胸が苦しい、お腹が痛いなどの主要症状を訴える患者さんはどの診療科でも必ずいらっしゃるはずです。まずはそれらの症状が緊急性の高い疾患による症状なのか、あるいは様子をみていてもよい症状なのか鑑別できる能力を、医学教育によってしっかりと身に着けることが大切です。
この辺は改革も進んできましたが、現在の日本では、基本的な能力の保証が不十分なまま、各診療科で難しいことを教えている状況がまだあるようです。これからは各診療科が統合・連携し、どのようにして総合的な診療能力を身に着けた学生を卒業させるのかということを考え、取り組んでいく必要があります。
先に述べたように、医学部では一般教養科目を終えた後に各診療科の専門を学んでいきますが、そこでもやはり「どの診療科でも共通して求められる基本的な部分」をしっかりと教える必要があります。
しかし、各診療科の指導医はどうしてもそれぞれの専門領域を教えることを中心にしています。私自身も循環器を専門としていたので、卒業してすぐに循環器科に入ってからはそのことばかりをやってきました。
このような背景で、共通の基盤がないままに専門に特化した内容だけを教えているのが各科の状況であり、後輩たちに専門以外の知識や技術を教えることが十分にできていないという問題があります。
OSCE(オスキー、Objective Structured Clinical Examination:客観的臨床能力試験)とは、いわゆる筆記試験とは異なり、医療面接と呼ばれる患者さんへのインタビューや身体診察などの基本的な臨床技能、すなわち実践のパフォーマンスを評価する試験です。ステーションと呼ばれるブース(部屋)が用意され、ステーションごとにいる模擬患者さんから、それぞれ異なる領域の臨床能力を評価するための課題が提示されます。医師はその場で提示された課題に対して診察や治療を行い、その場で評価がなされます。
OSCEは欧米を中心に普及し、海外ではすでに多くの国で国家試験として実施されています。日本においても医学部・歯学部・薬学部の6年制課程の学生が臨床実習に上がる前には、CBT(Computer-Based Testing)と呼ばれる試験とOSCEの2つの共用試験に合格することが臨床実習に進むための条件となっているほか、臨床実習後の卒業時(6年次)に卒業試験として行われる臨床実習後OSCE(Post Clinical Clerkship OSCE:Pcc-OSCE)と呼ばれる試験もあります。
日本でも6年次の臨床実習後OSCEを実施する大学は増えており、全国医学部長病院長会議の調査によれば、2013年度の時点では全80医学部のうち54医学部で実施されています。しかし、OSCEの実施ステーション数やその中身をみていくと、日本ではまだ十分な水準を満たしているところが少ないのが実際のところです。
秋田大学では、2002年に4年次のOSCEを導入する際、6年次の臨床実習後OSCEも同時に始めています。当時、秋田大学の16ステーションは日本で最大の実施規模でした。ひとつのステーションでは、患者さんに医療面接や診察、必要な検査を行い、それらから判断した所見を患者さんに説明するという一連の流れが行われます。これがステーションごとに頭の症状や神経の症状、胸の症状や腹部の症状、さらには全身倦怠の訴えなどに分けて実施されます。客観的な評価としては、数ステーション以上が必要とされています。
海外の主要国ではすでにOSCE を国家試験として取り入れているところも多く、本来であれば日本でも国家試験でOSCEを実施すべきとの声もありますが、実現するにはなかなか難しいところがあります。今後はまず2020年までに各大学医学部で卒業時に必ずOSCEを実施するよう義務付けられることになっています。
4年次のOSCEについては、公益社団法人医療系大学間共用試験実施機構(CATO)が実施するという形である程度定着してきました。そこで、現在はこれを6年次にシフトして、今度は卒業時の臨床実習後OSCEの実施を進めている状況のようです。
※画像提供:長谷川仁志先生
秋田大学では先進的にOSCE取り組んできた経緯があり、現在はこれを初年次教育に取り入れることによって、卒業時には全員の能力向上を目指しております。
授業では火曜日に模擬患者さんが参加して医療面接を行い、日本語で行った翌週には英語でも同様に行っています。最初は日本語で始めたのですが、やはりプロ意識を持ってモチベーションを高めるためには英語でも行う必要があると考えこの形をとりました。
「医学部1年生がネイティブスピーカーの模擬患者さんを相手に英語で医療面接をしている」というと驚かれることが多いのですが、英語といってもそれほど難しいことを話さなければいけないわけではありません。大学入試に受かって入学してきた学生たちにとっては、ある程度単語さえわかれば対応できるものです。実際に医療面接に関していえば、入学直後でモチベーションが高いだけに、4年生や6年生よりもしっかりできているとさえ感じます。
秋田大学で6年次に実施するOSCEでは、神経・胸部・腹部で各15分という3つの大きなステーションがあります。その他にも泌尿器科では前立腺の触診、整形外科ならば股関節や肩の痛みといったように、各診療科で5分のステーションがあり、全部で12ステーション構成です。しかし、6年間の最後の時点でOSCEを実施していても、それだけでは一番大事な臨床推論がしっかりとできていないという問題がありました。そこで1年生のうちから医療面接を始めたのです。
順序としては、一番重要な胸痛を最初に扱うようにして、1年次の1学期では7月に胸痛の医療面接を日本語と英語で実施しています。そして2学期は、12月に腹痛の医療面接を行います。最初の頃はOSCEという形ではなく、ただ練習だけをしていたのですが、練習のみでは真剣味に欠けるところがあったため、1年次でもOSCEを実施することにしました。教育では、しっかり評価するということが重要なのです。
秋田大学では2016年から、1年次で全員に心臓と腹部の超音波検査(エコー)のOSCEを行うことになりました。今後は聴診器の次にエコーが必須の時代になると考えています。CT(Computed Tomography:コンピューター断層撮影)やMRI(Magnetic Resonance Image:核磁気共鳴画像)を使わなくても、エコーで診断できることはたくさんあるからです。
たとえば、一定規模以上の病院の救急では、FAST(focused assessment with sonography for trauma)といって、外傷の初期診療における迅速超音波検査を行っています。研修医になって救急の現場で初めてエコーを当てるのではなく、学生時代から、特に解剖を勉強する前の1年生からエコーの大事なポイントとして心臓と腹部だけでも押さえておいたほうがよいと考えます。
ただし、ここでも、ただエコーを自由に練習させればよいというわけではなく、最後に評価を行うことが必要です。そのため、日本語の医療面接OSCEの後に、心エコーと腹部エコー、それぞれ1分ずつの課題を出してエコーのOSCEを行っております。心エコーと腹部エコーで経験したことを来年次に解剖で確認すれば、より生きた知識として身につき、研修医になったときにも自信を持って診断ができるようになるはずです。
秋田大学ではeラーニングにも力を入れています。OSCEは症例ベースのシミュレーションによるトレーニングですが、これにeラーニングを併用するハイブリッド戦略が、医学教育向上の鍵になると考えます。
さらに大学図書館の蔵書や学生が購入する教科書においても電子書籍(eBook)を併用し、効率的な学習を目指しています。
日本の医学部ではeラーニングは十分に普及しておらず、かなり立ち遅れている現状があります。最新の医学情報を更新するための検索もあまり行われていませんし、教える側でも活用している方はまだ少なく、ごく一部にとどまっています。
英語圏ではeラーニングはかなり普及が進んでいて、その場ですぐに疑問を調べるツールとして日常的に使われていますが、日本では常に教科書を持ち歩いているような感覚でeBookを参照するようなトレーニングは、一部の学生だけのものとなっています。もちろん、自分で考えながら学ぶことは大切なのですが、疑問を調べることによってそのきっかけを作ることも必要です。ですから、一部の人だけでなく全員ができるようにしなければなりません。
eBookは書籍として持つこともでき、同時にデータとしてコンピューターにも入れられるので、授業中いつでもすぐに調べることができるという利点があります。たとえば基礎の勉強をしながらでも、内科学書をいつでも参照することができます。
秋田大学でもこうした医学教育の改革はまだ始まったばかりです。一度に何もかも変えられるわけではありませんから、まず1年次生の取り組みから少しずつ各診療科の先生方と連携をとって普及を進めていくことが大切であると考えています。