インタビュー

地域の医療情報化の課題~医療情報とは

地域の医療情報化の課題~医療情報とは
山本 隆一 先生

一般社団法人医療情報システム開発センター 理事長 JUMP・総合医療・健康情報DB推進協議会設...

山本 隆一 先生

この記事の最終更新は2017年01月30日です。

今日は技術や医学の進歩により、身体のさまざまなことが「データ」として明らかになる時代となりました。これらは「医療情報」とも呼ばれ、研究や患者さんの治療に大いに役立っています。

この膨大な医療情報を安全に正しく管理するために、さまざまな研究者や団体が尽力しています。今回は日本の医療情報化のパイオニアである一般社団法人医療情報システム開発センター理事長、JUMP・総合医療・健康情報DB推進協議会設立準備委員会委員長の山本隆一先生に、医療情報とは何かについてお話を伺いました。

私たちが「医療の情報化」と耳にすると「電子カルテ」など、現代の技術をイメージしがちですが、もともと医療は95%が情報処理によるものです。確かに、手術などの物理的な作業にどれだけの情報処理があるかと聞かれてもイメージしづらいでしょう。しかし、患者さんに質問をして得た答えや、採血をし、検査機を通して出た数値は紛れもなく「データ」です。このデータを処理して病気を確かなものにしていく過程がなければ、手術をはじめとする適切な治療も行うことができません。

一方で、医療の世界で扱う情報量は年々増え続けています。特に臨床によるデータと医学論文は、増え続けている医療情報として代表的です。

臨床によるデータは、技術の進歩によってかなり精密に、細部にわたって調べられるようになってきました。70年前、終戦直後の医療と比べると、その差は歴然です。当時はCTもMRIも超音波もなく、かろうじてX線写真は撮れましたが、単純撮影のみで、造影もできません。

血液検査は増加した医療情報の例として顕著でしょう。70年前は、採血したところで血液沈降速度を測り、顕微鏡で血液を覗くことくらいしかできませんでした。血液沈降速度とは、ガラス棒に採血した血液を入れて放置し、液体状の赤い部分が下がっていく速さ(沈降速度)を測るもので、その速度による病気を診断していました。また顕微鏡で血液をみるといっても、白血球数を数える程度のことしかできなかったのです。

それが2016年現在では、7ccの血液をとり検査機に回しこむだけで128項目もの検査結果をみることができます。より精度の高い機械を使えば、更に詳しく調べることもできるでしょう。

この他、X線写真も被曝量が少なくなり、なおかつ細部まで鮮明にみえるデジタル撮影へと進歩しましたし、CTも1回転で3000枚スライスが撮影できるほど高速化しました。

また、医学論文の数も相当数あります。例えば口の中の悪性腫瘍にまつわる医学論文だけでも、月に300〜500本も増えているといわれています。

患者さんには当然、医師が最新の知識を持ち、そのうえで最適な医療を提供してほしいという願いがあるはずです。しかし、これだけの知識を人間の頭で全てを網羅・管理するには限界があります。

 

情報化

医療情報は有効に使えば効果の見込める有益な情報ですが、あまりに多すぎると人の頭では処理しきれず、有効に活用することができなくなってしまいます。そこで、ITを用いた膨大な情報を処理するシステムが必要になりました。それが、医療のIT化の本質です。

たとえば医療情報のIT化として即座に思いつく方が多い「電子カルテ」も、この膨大な情報処理を補助するツールの1つです。電子カルテの本来の機能とは単純に紙のカルテを電子化することではなく、紙とペン、そして人間の頭だけでは処理できない情報を、機械やシステムを用いて効率よく処理することにあります。

近年は、医師がそれぞれの専門性を高め、医師同士、医療機関同士が協力して1人1人の患者さんを治療していくことが有用になってきました。これを行うためには、治療に必要な情報を医師同士で共有する必要性があります。

1人の患者さんに複数の疾病がある場合、1人の医師が全ての病気に対する専門性を持って診ることはまず困難です。そのため、たとえば糖尿病で早期のがんを持つ患者さんの場合、糖尿病は糖尿病の専門医が診て治療をし、がんは外科医が手術をする、というようにそれぞれの専門性を活かして治療する必要があります。

もともと大学病院にはそれぞれの専門医がおり、施設内での情報共有が可能なため、スムーズに診療ができます。しかし、手術をしない病気や軽度の病気もあり、必ずしも大学病院での受診が必要とも限りません。これからは、地域で活躍されている専門の医師が病院の垣根を超え情報を共有し、協力して1人1人の患者さんを治療するという選択肢も必要になります。

また先に述べたように、口の中の悪性腫瘍だけでも月に300以上の論文が出ているこの時代に、1人の医師が専門にできる分野の範囲はかなり狭まっています。

 

海外の医師

GP制を採用している海外諸国ではGP (General Practioner :家庭医)が「ゲートキーパー」という役割を果たしており、患者さんをそれぞれの専門医に振り分ける役割を制度化しています。ゲートキーパーは患者さんの症状を診て、専門医に振り分けるほか、専門的な治療が終わり戻ってきた患者さんを、専門医の指示に従ってケアするという役目も果たしています。これらの連携にももちろん情報の共有が必要です。

日本ではかかりつけ医、かかりつけ薬剤師を推奨していますが、制度は緩やかです。しかし医療情報の共有は各地で行われ始めており、実際にゲートキーパーのような診療を行っている先生もいらっしゃいます。

医療の情報化はこれまで述べてきたように様々な利点がある一方で、病気というプライベートな情報を扱うため、取り扱いには十分注意が必要です。

人が病気であるという情報は、さまざまな場面で当人にとって不利に使われる可能性が考えられます。会社での昇進を例にみても、どちらかを昇進させようと考えたとき、一方の健康に不安があることがわかっていれば、その方はそれだけで不利になってしまいます。平等に健康診断を行なって得た結果ならまだしも、一方的な情報で判断されてしまう場合もあります。これはその人の一生を決めかねない重要な問題です。

もともと医療従事者は紀元前300年に頃に成立した「ヒポクラテスの誓い」と名付けられた規範にある倫理観を現代に至るまで大切にしてきました。ヒポクラテスはギリシャ時代の偉大な医者で、彼が書いた訳ではありませんが、その頃に存在していた規範に彼の名前をつけたもので、その中の一節で「患家の秘密は守る」ということを明文化しています。現代の私たちからみると、患者の権利尊重・人権意識に基づいた内容だと思いがちですが、これは当時の医師という職業成立の条件でした。

病気にかかったときに「この先生に診てもらおう」「相談してみよう」と思っていただくために、医師と患者との信頼関係は必須です。病気の原因は食べ過ぎ・飲み過ぎ・家が汚いなど、生活習慣の様々なところに潜んでいることもありますが、それを医師が他人に漏らすようなことがあれば、患者さんは秘密を暴露されたと感じ、医師と患者との信頼関係が破綻してしまいます。結果として、患者さんはその医師のところに受診しなくなります。

これは現代においても同様です。たとえ患者さんの治療のために情報共有をするにあたっても、信頼できる医療機関同士で行われるべきであり、またインターネットを駆使して共有するのであれば、セキュリティの面でも十分な管理が必要です。

個人情報の観点において、私が最も危惧している存在は介護事業です。高齢化社会に向け、医療と介護の連携は今後より一層強いものになっていくことが考えられますが、医療従事者と違い、介護従事者には資格保有者も少なく、義務や自覚が乏しい企業が一部あることも否めません。

例えば、近年ではSNSやFacebookのような機能を用いて、患者さんを中心としたグループを作成し、医療従事者と介護従事者が気軽に情報共有を行うような無料サービスを採用している地域が増えてきています。これ自体は大変有効で、症状の写真を撮って送ったり、近況を報告したりすることで、医師とヘルパーさんが患者さんの状況を共有できるという利点があります。その一方で、セキュリティや情報の無断利用などの可能性が危惧されます。このようなシステムを安全に継続的に機能させるには、それなりの設備が必要ですが、それが整っているかどうかも必ずしも確認できないところがありますし、このシステムで流された情報を無断で利用し、「この地域にこんな介護者が多い」などということが第3者に知られ、悪用されてしまう可能性も考えられます。

できるならば安易なサービスではなく、自治体の行政サービスや、利用者本人、あるいはアメリカで近年みられるメディカルコンプレックス(医療・介護・創薬などをまとめて1つの機関で手がける体系)などが責任を持ち有料でこのようなサービスを行い、これによって集めたデータを有効に活用することで全体のサービス向上に役立てていけるようなものにするとよいと考えています。

 

山本隆一先生

個人情報に関する懸念や整備の不安定さが改善されない以上、情報の流通はスムーズに行われないでしょう。医療の完全情報化を急ぐ声は多いですが、これからは患者さんの情報をどう扱うべきかということを様々な立場の方を交えて議論し、慎重かつ安全に情報が流通するシステムを作っていく必要があります。