記事1『地域の医療情報化の課題~医療情報とは』では、ますます充実化する医療を影で支える医療情報の存在と取り扱いについて、一般社団法人医療情報システム開発センター理事長、JUMP・総合医療・健康情報DB推進協議会設立準備委員会委員長の山本隆一先生にお話いただきました。この医療情報を広く安全に流通させるには、医療機関同士が共通言語を持つ必要性、つまり「標準化」が必要になります。今回の記事では、この標準化について、取り組まれていることや現状を、引き続き山本隆一先生にお話いただきました。
「医療情報の標準化」とは集めるデータ形式の標準化を図り、人の力を借りなくても、コンピューターが自動でデータを分類し、横に並べ、比較できるようにすることを指します。
人間同士が年賀はがきをやりとりするときは、字が汚くても、違う色で書かれていても、そこに書かれている情報を汲み取ることができます。しかし、コンピューターは決まった通りの書き方でないと情報を理解することができません。人工知能やディープラーニングの技術がそれに迫ろうとはしていますが、まだまだこの分野はコンピューターの不得手とするところでしょう。
医療情報においても、コンピューターがデータを管理するうえで、人の手を借りずに自動的に行うにはまだまだ課題の残る部分があります。
カルテは書き方に統一の規定がないので、医師によっても病院によっても表記が異なります。そのため人間には内容が識別できても、コンピューターには識別できないという現象が起こりがちです。
特に「数値」と「病名」を正確に分類・管理するために、表記法の標準化が求められます。
たとえば赤血球の数を数える際に、それが1立方ミリメートルあたりの数なのか、1ccあたりの数なのかは測定装置によっても異なります。機械がこうした単位の違いを判別するのは難しく、人間が計算し単位を揃えることで初めて比較ができるようになります。
また、病名でも同じことがいえます。わかりやすいのが「風邪」でしょう。風邪は単に「風邪」と呼ばれることもあれば、内科の先生がみれば「感冒」、耳鼻科の先生なら「咽頭側索炎」というように別の表記をされることもしばしばあります。これを知っている人間がカルテをみれば、どれも風邪だということがわかるのですが、コンピューターにとっては、どこまでが同じ風邪なのか、判断ができかねます。
なお「胃がん」など患者さんへの告知を考慮しなければならない場合には、医師がカルテに「胃がん」と書かないこともあり、MK(=ドイツ語で胃がんの略語)や、胃C(=cancer)などと伏せて表記することもあります。これらもコンピューターにとって同じ胃がんとは判別しにくくなります。
このような病名の表記のばらつきをコンピューターで識別するために、WHOが定めたICD10という病名分類コードがあります。このコードは20000個以上ある病気のうち、数千個の病気を記号で表すことができます。しかしあくまでも分類であり、少し細かいことは表現しづらいところがありますし、その国特有の病気も存在するので、病名は各国で独自のコードを作り補完しています。
日本では「標準病名マスター」と呼ばれるものを作成し、実際に全国の病院のうち80%がこれを使っています。この標準病名マスターは1万数千の病気を表現できるうえ、表記の揺れを吸収し、コンピューターが自動的に病名をICD10コードに直すことができます。
このような標準を作っている団体はいくつかあります。しかし、同じことを表す標準が複数あっては意味がありません。そのため、いくつかの審議を通過し標準が作られます。
新たな標準が作られると、まずどの標準が最適であるかを審議する医療情報標準化推進協議会(HELICS協議会)にかけられ、次に厚生労働省の保健医療情報標準化会議で議論され、本当に必要な水準と認められたものだけが厚生労働省推奨標準となります。この標準に定められると、国が補助金などを出すプロジェクトではこの標準を使うことが義務付けられます。
処方、検体検査、病名、放射線画像、手術方式など大まかな分野ごとの標準化はかなり揃ってきました。放射線画像を撮るにあたっても、撮影の向きそれぞれにコードがあり、そのコードがわかれば大量にある画像の中から、同じ撮影方法のものを導き出し、比較することができます。これも標準化の恩恵の1つです。
しかしながら、未だに標準化できていないものも存在します。特にアレルギーは標準化が難航しており、まだわかっていないことがあまりに多く、無理に標準化をしても混乱してしまうため、保留状態になっているのです。実のところ、みなさんが耳にすることの多い「金属アレルギー」も本当にアレルギーなのかどうかわかっていません。このような事例がいくつもあるため、なかなか1つの標準で表すことができない現状があります。
これまで、医療情報を共有するためには、それぞれの医療機関で用いる言語の標準化が必要であるということを述べてきましたが、果たしてどこまでの情報を病院の垣根を超えて共有する必要があるでしょうか。
患者さんのために行う情報共有の場合、実はそこまで多くの情報が必要なわけではありません。たとえば大学病院で行なった精密検査の結果を、地域のクリニックが100%知る必要はなく、アフターケアに必要な部分だけ共有できていればよいでしょう。他の活用できないデータはかえって多くの個人情報を保持する意味で危険なこともあります。また、本当に共有されるべき情報だけ、標準化できればよいという考え方もあります。
日本人が英語を使う際、英語で表現できない言葉があるように、標準化によって制限がかかることもあるので、必ずしも何もかも標準化を行う必要はありません。他の医療機関との共有が必要な際に、各病院が発信する情報を誰がみてもわかるという状態にするためには、どの医療機関もこの標準を活用できるようにしておく必要があるということです。
その一方で、近年医療情報の流通は患者さんの治療のためだけでなく、その病院の医療の質を評価するときにも活用されています。病院による治療や処置をより高い次元まで比較できるように、標準化された細かい数値が必要になることもあります。たとえば同じ病気で入院していても、退院に1週間かかる施設から3ヶ月かかる施設まで、病院によって医療の質が大きく異なります。問題意識の高い病院では、このような差を知り、自身の医療の質を上げるために医療情報の標準化を細かく行っています。
標準化を始めとする医療情報化に向けた取り組みが日本でも活発に行われています。その結果少しずつ全国の医療機関にも情報化の波が広がりつつあります。今特に注目されている情報化の例は下記の2つです。
診療情報提供書の電子的なやりとりが2016年4月に保険で認められることになりました。もともと島根県が全国に先駆け、保険での認可が下りる前から全県域での診療情報提供書の電子化を進めていました。しかし、今回診療情報提供書の電子的なやりとりが全国的に保険で認められるようになって初めて、一定の条件を満たせば1紹介状につき紹介された病院が300点(=3000円)、紹介状をとったクリニックは80点(=800円)と、高いインセンティブを整備しました。当面は導入に労力が必要になることが想定されますが、それでも保険の認可によって、ITを用いた情報共有がこれからどんどん増えていくと考えます。
医療情報に限らず、情報交換は相手があってのものです。自分たちがよい電子カルテを導入していても、取引する病院がそれを導入していなければ意味がありません。
そこで、現在およそ200の基幹病院では厚生労働省が推薦している標準形式を積極的に駆使し、一度病院に紹介してくれた患者さんの情報を近隣の紹介元のクリニックにみてもらえるようなシステムを導入しています。この仕組みを導入している病院に患者さんを紹介すると、その患者さんが治療を終えクリニックに戻ってくる際、クリニック側は無料で患者さんの詳しい情報を安全に受け取ることができます。
これはあくまで「病院の情報がクリニックでみられる」という一方的なやりとりであり、病院とクリニック間の閉じた世界ではありますが、少しずつ医療情報化の基盤ができあがってきていると実感しています。
医療情報の標準化は水準となるコードも作られ、情報共有の場も今まで以上に増加するので、これからどんどん全国の医療機関に浸透してくると考えます。
一方で、標準の導入によって、当面は各病院に相当な労力の負担がかかると考えられます。医療情報が自分の病院を出て、他の医療機関へ渡る際必要になる標準化を、今はまだコンピューターの力だけに任せることができません。医療従事者が限られた隙間の時間で作業を行う必要があります。ただでさえ医療現場の人員が少ない中で、このような負担がかかることは問題ですが、できる限り簡単に標準水準に変換できるような仕組みを作っていきたいと考えます。