日本では生活の場における受動喫煙の機会が多く、2020年の東京オリンピックまでに、東京都のみならず国をあげたたばこ対策が求められています。
未成年の少年少女や妊婦さん、観光客の方を受動喫煙被害から守るために、国や各都市、企業はどのような改革を行っていけばよいのでしょうか。
本記事では、日本医師会常任理事を務めるはとりクリニック(神奈川県川崎市)院長の羽鳥裕先生に、全国各地で行われている先駆的なたばこ対策の事例をお教えいただきました。
記事1『日本の喫煙状況と年間の死亡数-職場の喫煙所が新たな喫煙者を生むことも』では、現在の日本の喫煙状況と、職場における全面禁煙の難しさなどの課題に焦点を当てつつ、たばこの健康被害についてお話ししました。
しかし、現在の日本にはたばこ対策を推し進めるための2つの追い風が吹いています。そのひとつは、2020年の東京オリンピック・パラリンピックです。
IOC(国際オリンピック委員会)は、1988年のカルガリー大会以降、会場の禁煙化とたばこ産業のスポンサーシップを拒む姿勢をとっています。そのため、1988年以降オリンピック開催都市では全て受動喫煙防止法や条例が制定されています。
喫煙大国といわれる中国での北京大会開催時には、難しいと考えられていた北京市でも受動喫煙防止条例が制定され、世界中に大きな衝撃が走りました。
現在、日本国内で受動喫煙防止条例が制定されている都道府県は、神奈川県と兵庫県の2県のみです。
しかし、2020年のオリンピック都市となったことを契機に、東京都も受動喫煙防止条例の制定に向け、小池都知事を筆頭に動き始めています。
また、国としても公共の場における受動喫煙を防ぐべく、内閣官房下に受動喫煙防止対策強化検討チームを設置し、たばこのないオリンピックを実現すべく検討を行っています。
少なくとも、オリンピック開催までに公共機関と医療機関(病院など)、学校などでの全面禁煙に向けた法整備は行われるでしょう。これは、未成年と妊婦の方をたばこの煙から守るためです。
また、飲食店でも基本的には禁煙、もしくは完全分煙となることが予想されます。ただし、現実にはドアの開閉などがあることから、後者の完全分煙で受動喫煙を防ぐことは難しいといえます。これに加え、飲食店で働く従業員の中には未成年の方もいることから、基本的には飲食店も全て禁煙とすることが理想的であると考えます。
たばこ対策に力を入れ始めたのは東京都のみではありません。現在、安倍首相と塩崎厚生労働大臣、関係省庁がタッグを組み、国をあげたたばこ対策に乗り出しています。
地方公共団体レベルにとどまらず、より大きな枠組みで受動喫煙対策に関する法を整備するチャンスが到来したといえるでしょう。
日本には、禁煙と受動喫煙防止を主な活動目的とする学会も存在します。そのひとつが、日本赤十字社医療センターの作田学先生が理事長を務める一般社団法人日本禁煙学会です。
日本禁煙学会は、学術研究・調査の推進や講演会などを通した啓発など、より学術的な観点から禁煙を推し進めている機関です。
また、理事長の作田先生は、たばこ報道などに関する日本のマスメディアの在り方や問題点に目を向けた独自調査を行っています。テレビ局や雑誌社、広告企業などとたばこ産業の関係性を追究することで、今後新たな角度からもたばこ対策を進めることができるのではないかと期待されています。
日本禁煙科学会(JASCS)では、理事長の高橋裕子先生(奈良女子大学)が主宰者となり『禁煙マラソン』という名の取り組みを行っています。
禁煙マラソンとは、医師や看護師、禁煙に成功した市民の方々がサポーターとなり、メールを利用して禁煙希望者の支援をするという禁煙法です。
参加者は、禁煙中たばこを吸いたくなってしまったときや、禁煙に伴う身体的不調が出現したときなどに、インターネットを通して専門家や禁煙に成功した先輩から励ましやアドバイスを受けることができます。
日本禁煙科学会では、毎年1回、県民公開講座などをプログラムに含む学術総会を行っています。
2015年には神奈川県横浜市で第10回総会が開催され、私が会長を務めました。2016年に京都府京都市で開催された第11回総会では、健康情報学や疫学を専門とする京都大学の中山健夫先生が会長の任を果たされています。
2017年の10月には島根県松江市、2018年には愛知県名古屋市、2019年には大分県大分市での開催が決まっており、その後も全国を隈なく巡るものと考えています。また、理事長も開業医や大学病院の医師などが交代制で務め、網羅性を担保しています。
民間企業でも、独自にたばこ対策が行われています。神奈川県横浜市のハンバーガーショップ「ハングリータイガー」では、若い従業員を受動喫煙の被害から守りたいという思いから、店内を全面禁煙としています。
(受動喫煙による健康被害については記事1『日本の喫煙状況と年間の死亡数-職場の喫煙所が新たな喫煙者を生むことも』をご覧ください。)
企業が働く人の健康を守ろうとする姿勢は、今の日本にとって極めて重要な姿勢であり、見習うべきものであると考えます。
かつて、日本ではタクシーの車内における喫煙が禁じられておらず、運転手は受動喫煙の被害者となっていました。このような状況を問題視し、タクシー業界におけるたばこ対策のキーマンとしてご尽力されたのが、神奈川県藤沢市で長谷内科医院の院長を務める長谷章先生です。
長谷先生は、ご自身がタクシーを利用する度にコツコツと禁煙化を呼びかけ、その声に共感したあるタクシー会社の経営者が自社タクシーの全車禁煙を開始しました。
現在、一人の医師から始まったこの取り組みは日本中に広がっています。
また、神奈川県では受動喫煙防止条例の第1種禁煙施設にタクシーも指定されており、車内での喫煙が厳しく規制されています。
WHO(世界保健機関)は、1999年に医師の喫煙に対し、次のように提唱しています。
「医師は健康な生活のモデルとして喫煙すべきではなく、また患者の喫煙も黙認すべきではない」
(「2016年 日本医師会員の喫煙とその関連要因に関する調査」より引用)
日本医師会による診療科別の喫煙率の調査によると、2000年には泌尿器科、耳鼻咽喉科、精神科、外科における男性医師の喫煙率が30%を越え、高い数値を示していました。
2016年には、これらの診療科における喫煙率は全て10%台にまで低下しましたが、依然としてたばこを吸う医師や看護師がいることも事実です。
国民の命と健康を守る役割を担う医療者においては、更なる意識改善が必要であると考えます。
現行のがん対策基本計画では、がん予防のために、2022年度までに目指す喫煙率の目標値を定めています。この目標値は、現在「たばこをやめたい」と考えている喫煙者が禁煙に成功した場合の数値を算出したものです。
【成人の喫煙率 目標】12.2%
このほか、個別に以下のような目標値も設定されています。
・未成年の喫煙率:0%
・行政機関及び医療機関:0%
・家庭:3%
・飲食店:15%
・職場:受動喫煙のない職場の実現
禁煙希望者が本当に禁煙に成功し、国としての目標を達成するためには、様々な側面からのアプローチが必要です。
たとえば、たばこの害を理解しており禁煙を強く希望する方にとっては、「禁煙外来を受診すること」が最も効率のよい禁煙法だと考えます。
ニコチンによる身体的・心理的依存と戦う禁煙は、かつて非常に難しいものとされてきましたが、現在では禁煙外来を利用した人のうち約7~8割が1年以上の禁煙に成功していると報告されています。
一方で、たばこの害を知る機会がなく、禁煙の必要性を意識してこなかったという喫煙者も多数存在します。日本医師会では、こういった喫煙者の方にもたばこによる健康被害を知っていただくために、WEB上でも閲覧できる冊子づくりに力を入れています。
「すすめよう禁煙」(日本医師会)
私自身は、最も効果的な禁煙施策はたばこの値上げなのではないかと考えています。たばこの値上げは、健康に対する意識が低い喫煙者にもダイレクトにアプローチできる手段です。
実際に、欧米諸国などでは、たばこの値段が1箱10ドル前後(1000円前後)と高くなっています。
もちろん、たばこの値上げにより喫煙者が減ることで、国としての税収が減るのではないかと不安視する声も上がっています。
しかしながら、喫煙による年間の超過医療費は1.7兆円、喫煙と相関する疾患が原因の入院・死亡による労働力の損失額は2.3兆円と膨大な額になっており、日本全体でみれば、国民がたばこを購入することで得られる収益よりも、喫煙による損失のほうが遥かに大きいといえます。
先にも述べたように、現在日本には禁煙施策を進める追い風が吹いています。この機を逃すことなく、喫煙と受動喫煙に関係する病気や障害、死亡を減少させることが、国にとっても、国民一人ひとりの健康にとっても、益をもたらすものと考えます。