概要
妊娠悪阻とは、いわゆる“つわり”が重症化し、頻回な嘔吐と著しい食思不振が生じることで脱水や栄養代謝障害を生じる病気のことです。
“つわり”は、妊娠による急激なホルモンバランスの変化などが引き金となって、妊娠5~8週目頃に現れることが多い症状です。妊婦の半数以上は“つわり”を経験するとされていますが、妊娠12~16週頃には自然と改善していくことが多いため、治療が必要になることはほとんどありません。
一方、重度な“つわり”である妊娠悪阻は妊婦の約0.5%に発症し、適切な治療を受けないと脳や肝臓に障害を引き起こすなど重篤な合併症を生じることも少なくありません。
原因
妊娠悪阻は妊婦の半数以上が経験するとされる“つわり”が重症化したものです。
どのようなメカニズムで“つわり”が引き起こされるのかは明確には解明されていませんが、妊娠に伴って女性ホルモンの一種であるエストロゲンや、着床することで分泌されるヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)と呼ばれるホルモンの分泌量が急激に上昇することが原因のひとつと考えられています。
また、“つわり”が重症化して妊娠悪阻を引き起こす原因もはっきりと分かっていませんが、初めての妊娠や多胎妊娠、母体の肥満、摂食障害の既往などが発症のリスク要因と考えられています。また、妊娠・分娩への不安や心理的葛藤などの精神的因子の関与に加えて、母親や姉妹などの近い親族が妊娠悪阻になったことがある場合、自身も発症する可能性が高いと報告されていることから、遺伝要因も示唆されているのが現状です。
症状
妊娠悪阻は妊娠5~8週頃に頻回な吐き気や嘔吐が生じることで体内から水分や電解質が失われ、体を維持するために必要なエネルギーや栄養素を補うことができなくなる病気です。重症化すると体内のさまざまなバランスが乱れ、命に関わることも珍しくありません。さらに、脱水や長期臥床が深部静脈血栓発症のリスク因子となります。
妊娠悪阻は重症度によって三つの段階に分けられますが、それぞれの段階で現れる症状は次のとおりです。
第1期
吐き気や嘔吐が1日を通して頻回に生じ、食事や水分を取ることが困難になります。
体重は減少を続け、脱水や栄養不足に伴い、めまいやだるさ、頭痛などの症状が現れることも少なくありません。このため、外出どころか日常的な家事などもできなくなるケースがあります。
第2期
頻回な嘔吐や、極端な摂食量の不足が続くことで、極度な脱水状態に陥ります。尿量は減少し、皮膚の乾燥や口が渇くなどの症状が現れ始め、血圧の低下や頻脈、発熱などが生じるようになります。
第3期
さらに脱水や栄養不足が進行すると、肝臓や脳に重篤なダメージが加わります。
特にビタミンB1が不足することによって発症する“ウェルニッケ脳症”は妊娠悪阻の重篤な合併症のひとつで、記憶や運動機能に異常が生じます。そして半数以上の方に過去のことを思い出せない、新しいことを覚えられない、作り話をするといった特徴的な症状が現れる“コルサコフ症候群”と呼ばれる後遺症を残すとされています。
また、万が一治療が遅れたり、治療がうまくいかなかったりした場合は、胎児死亡や多臓器不全による母体死亡に至るケースもあります。
検査・診断
妊娠悪阻は頻回な嘔吐と極端な摂食量の減少があり、体重が妊娠前より5%以上減少している場合に発症が疑われます。
妊娠悪阻の明確な診断基準は定められていませんが、次のような検査を行って診断を下します。
尿検査
妊娠悪阻の可能性を簡易的に調べる検査として広く行われるのが、尿検査による“ケトン体”の検出です。ケトン体とは、飢餓状態に陥ったときに体内に蓄えられた脂肪が、エネルギーとして分解される過程で産生される物質であり、通常は尿中に検出されることはありません。しかし、妊娠悪阻によって飢餓状態に陥ると、尿中に検出されるようになるため、妊娠悪阻発症の有無を調べるために有用な検査となります。
検査は採取した尿に専用の試験紙を浸すだけで行うことができるため、妊婦検診などでも広く行われています。
血液検査
尿検査でケトン体が検出されると妊娠悪阻と診断されますが、一般的には体内の電解質の状態や脱水の有無、肝臓や腎臓の機能を調べるために血液検査が行われます。
治療
つわりに対しては、心身の安静と休養、少量頻回の食事摂取、水分補給を促し重症化を防ぎます。妊娠悪阻を根本的に治す治療法はなく、失われた水分や電解質を補い、吐き気が強い場合は、適宜制吐剤(吐き気止め)などを使用する対症療法が行われます。
口から水分などが摂取できるケースでは、電解質が含まれた経口補水液を摂取するのが望ましいですが、妊娠悪阻では経口摂取が困難なケースがほとんどです。このため、入院したうえで、いったん絶食し、体内に必要な電解質やビタミンB1が含まれる輸液治療が行われます。
これらの治療を続けることで、多くは妊娠16週頃には症状が改善していきます。一方で、長期間症状が治まらない場合や体重減少が著しい場合などは、通常の点滴ではなく、首や鎖骨の下にある太い血管の中に管を入れてカロリーや栄養素がより多く入っている輸液(中心静脈栄養)を行うことも少なくありません。
また、まれではありますがこれらの治療を行っても症状が改善せず、第3期の症状が現れるような場合には、ウェルニッケ脳症の発症を防ぐために人工中絶手術が選択されることもあります。
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