DOCTOR’S
STORIES
患者さんと全人的に関わり、リハ栄養を世界に広めるべく挑戦を続ける若林秀隆先生のストーリー
仕事とは、どのようなものも、世のため人のために存在すると考えています。そのうえで、なぜ医師を志したのかといえば、世のため人のためになっていることをより身近に実感しやすいのではないか、と感じたからです。自分の仕事に対して、「ありがとう」という真っすぐなフィードバックを目の前にいる患者さんからもらえるとしたら、それはとてもやりがいがあると思ったのです。
リハビリテーション(以下、リハ)科を選んだ理由は、主に2つです。ひとつは、診療科のなかでも特に、人のためになっていることを、私自身が身をもって感じられそうだと考えたこと。もうひとつは、「病気だけでなく、病気を抱える患者さんの人間性や社会的背景を含めて包括的に診られる医師になりたい」という志があったこと。リハには、患者さんが抱える病気そのものに加え、患者さんの精神的な面や社会的背景に対しても配慮しながら栄養や運動などの生活習慣における指導を行い、総合的に生活機能やQOL(生活の質)の改善を図るためにサポートする役割があります。このようなリハの分野に身を置くことで、目標とする医師像に近づけると思いました。
今、実際にリハの現場に携わるなかで、患者さん一人ひとりの病態を評価したうえで行う薬剤や栄養ケア、精神的なサポートなど多方面からのリハを通じ、患者さんの状態が少しでも改善して喜ぶ姿を目にすると、心の底から嬉しくなります。
リハ科の医師として心がけているのは、患者さんが持つ潜在的な機能を見極め、現代の医学で可能なところまで改善を目指すこと。つまり、病気やけがによって低下している患者さんの身体的機能をできる限り改善させるために、適切な診断とリハ計画によって機能回復や社会生活復帰の見通しを立て、目標に応じたリハとケアを行うことです。絶対に避けるべきなのは、リハの質が低いことによって、患者さんの持つ能力を最大限に引き出せないことです。たとえば、適切なリハとケアを実施すれば歩ける可能性のある患者さんが、不適切な介入によって歩けない生活を送っているといった状況は、あってはなりません。
もう1つ心がけているのは、患者さんに、リハを行ったあとの見通しを具体的に伝えることです。たとえば「今は口から食べられないけれど、このリハを行うことで2〜3か月後には自分で食事ができるようになりますので、頑張りましょうね」と、患者さんに寄り添いながら具体的なゴールを共有します。なぜかというと、先の見えないつらさは耐えがたいものですが、先の見えるつらさならば患者さんのモチベーション維持につながり、目の前の治療やリハに耐えられる可能性が高まると考えるからです。このように、リハに向き合う患者さんのつらさを少しでも緩和できることを目指し、日々工夫を重ねながら取り組んでいます。
リハ科の医師としての仕事に加え、現在は、ライフワークとして“リハ栄養の普及啓発”にも取り組んでいます。リハ栄養とは、栄養状態を含めて評価を行ったうえで、リハと栄養管理という2つの側面からアプローチすることで、患者さんの生活機能とQOL(生活の質)をできるだけ高めることです。
リハ栄養に取り組むようになったのには、あるきっかけがありました。当院での出来事ではないのですが、脳卒中の患者さんが適切な栄養管理を受けられずに餓死してしまうという経験をしたのです。私の記憶では、3か月間の入院期間中、1日あたり300kcalほどの点滴で過ごしていたように思います。現代の日本で餓死する方がいたこと、しかも、それが病院内で起こったことに大きな衝撃を受けると同時に、「もっと自分にできることがあったかもしれない」と、非常に悔しい思いを抱えることになりました。そして、目の前で起きた1つの出来事をきっかけに、日本中や海外でも同じことが起こっているかもしれないと考えるに至ったのです。「もうこれ以上、不適切な栄養管理によって餓死するような患者さんを増やしたくない」、そう強く思いました。
こうしてリハ栄養に携わるようになって、10年以上が経ちます。これまでの道のりはけっして平坦ではありませんでした。初めは1人でしたし、新しい分野を切り開くのは大変なことです。挑戦を続けるなか、心が折れそうになったことも数え切れません。それでも、何もしないよりは絶対にいい。何もしなければ失敗もありませんが、成功もありません。私には、失敗も成功も多い人生のほうが魅力的です。なにより、リハ栄養の普及啓発と実践によって一人でも多くの患者さんを助けることこそ、私が“人のため”にできることだという確信がありました。
それでも、突き進むうちに、考え方や取り組みに共感してくれる仲間ができました。今では、アジアフレイル・サルコペニア学会などの国際学会に呼ばれて講演を行うこともあります。また、さらに2020年には、初の国際リハビリテーション栄養学会の学術集会が開催される予定です。このように、徐々にリハ栄養の分野が活気を帯びていることを感じますし、自分の視野が広がっていくような感覚があります。
ピーター・ドラッカーの本が、私の生き方に大きな影響を与えました。20代後半の頃、図書館でたまたま手にした『明日を支配するもの』に感銘を受け、それから『プロフェッショナルの条件』、『マネジメント』などを探し求めて、読み込みました。
ドラッカーの本を通じて、セルフマネジメントとチームマネジメントに関するヒントを得た私は、いかに一人の人間として成果をあげるか、そしてその成果をもっていかに患者さんやチーム、世の中に貢献するかについて学んだのです。
たとえば、セルフマネジメントでは、“何によって人に憶(おぼ)えられたいか”という問いに対して答えを持ちながら生きることの重要性が説かれています。この答えを持って生きるのとそうでないのとでは、結果的に生き方が大きく変わってくるのだと。当然ながら、医学教育のなかでは教わったことがなく、非常に刺激的でした。そこで私は、ただリハ栄養の普及啓発に努めるのではなく、「リハ栄養の分野で人に憶(おぼ)えてもらいたい」と明確に掲げたうえで取り組むことにしたのです。
その活動が実り、国内の医師の間ではリハ栄養自体の認知度も向上してきた今、次なるステップとして「アジアや世界にリハ栄養を広めた人として覚えてもらいたい」と掲げ、海外での活動にも力を入れています。世界では、2060年までに高齢化率が17.8%にまで上昇すると見込まれており、そうなれば、高齢化が進む今日の日本と同様の問題が起こるでしょう。そのような時代が到来したときに、日本で成熟させたリハ栄養の考え方を世界で応用し、より広く人のため世のために貢献できることを目指しています。
私が2011年に設立した“日本リハビリテーション栄養研究会”は、徐々にその規模を拡大し、2017年に“一般社団法人日本リハビリテーション栄養学会”へと発展しました。
これからの目標は、当学会の後継者となる多職種を育てることです。研究、臨床、教育といった各方面でリハ栄養にかかわるリーダーとなり、ゆくゆくは世界各地でリハ栄養を広めることのできる人物を育成したいと思っています。
今のところ、自分の人生で、リハ栄養以上にエネルギーや時間を注げるものはありません。何もないところから始めましたが、同じ情熱を持った人々に出会い、社会の潜在的なニーズに少しずつ応えることができているように思います。私はこれからも、リハ科の医師として患者さんに向き合うとともに、リハ栄養の領域をさらに発展させていくために、飽くなき挑戦を続けていく所存です。
この記事を見て受診される場合、
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東京女子医科大学病院
東京女子医科大学 血液内科講師
萩原 將太郎 先生
東京女子医科大学 腎臓小児科 講師
三浦 健一郎 先生
東京女子医科大学 がんセンター長 /化学療法・緩和ケア科 教授/診療部長
林 和彦 先生
東京女子医科大学 形成外科 主任教授
櫻井 裕之 先生
東京女子医科大学 放射線腫瘍学講座 教授・講座主任
唐澤 久美子 先生
TMGあさか医療センター 脳神経外科 部長・てんかんセンター長
中本 英俊 先生
東京女子医科大学医学部 膠原病リウマチ内科学講座 臨床教授
川口 鎮司 先生
東京女子医科大学病院 小児科 准教授
石垣 景子 先生
東京女子医科大学 脳神経内科 特命担当教授
清水 優子 先生
東京女子医科大学病院 病院長、消化器・一般外科 主務/教授、炎症性腸疾患外科学分野 基幹分野長
板橋 道朗 先生
東京女子医科大学 脳神経外科学講座 教授・講座主任
川俣 貴一 先生
東京女子医科大学 内分泌内科学講座 教授・講座主任
市原 淳弘 先生
東京女子医科大学 泌尿器科学教室・前立腺腫瘍センター 准教授
飯塚 淳平 先生
東京女子医科大学病院 眼科 講師
長谷川 泰司 先生
東京女子医科大学病院
安藤 聖恵 先生
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