DOCTOR’S
STORIES
家族の一員のように患者さんに寄り添って診療にあたってきた丹羽公一郎先生のストーリー
私は幼い頃から本を読むのが好きでした。医師になったのも、1冊の偉人伝を読んだことがきっかけです。その偉人伝に描かれていたのはアルベルト・シュバイツァー博士。神学、医学、哲学、音楽など多岐にわたる分野で功績を残したドイツ人です。シュバイツァー博士は医師としてヨーロッパから海を渡り、遠く離れたアフリカの地で、医療分野において多大なる貢献をされました。
当時中学生だった私は、彼の行いに感銘を受け、“困っている人を助ける”医師という仕事に興味を持つようになりました。母方の家系には歯科医が多く、医療が身近なものだったということもあるかもしれません。ですが、私は“歯”という一部よりも、“全身”を診る医師になりたいと思っていたのです。親も私の進路を応援してくれましたし、高校入学後は医学部へ進みたい気持ちが、より強くなりました。「いつか医師になろう」と、10代ながら固く誓いました。
千葉大学医学部に進学し、いざ自分の専門を決める際に参考になったのは、自分自身の経験や、先輩方の存在でした。私は高校3年生のときに発症した肝炎の治療のため、内科で診療を受けたという背景や、研修医として伺った病院でも内科系を学んだことから、外科系よりも内科系に興味がありました。そのように内科に気持ちが傾いていたタイミングで、仲のよかった先輩に「うちにきたら?」と誘われたのです。先輩からのその誘いが決め手となり、小児科へ進むことを決意しました。医師を志した当初から、特定の診療科を目指していたわけではありませんでしたが、国の将来を担う子どもたちを診る小児科を選んだことは、正しい選択だったと思っています。
そうして、小児科の研修医として千葉大学で勤務を始め、その後は循環器小児科だけでなく、成人の循環器内科でも経験を積みました。小児科から始まった医師人生ですが、振り返ると子どもから大人まで、幅広い年代の患者さんを診てきたと思います。
小児科で多くの患児を診た経験からいえるのは、“子どもは症状を体で表現する”ということです。大人の患者さんのなかには、痛みやつらさを我慢したり、医師に悩みを打ち明けることを遠慮したりする方もいらっしゃいますが、子どもは違います。彼らは正直に自分の症状を体で表現します。そのため、小児科医は子どもたちが訴えていることを、きちんと捉えなくてはいけません。
さらに、私が小児科医だった当時気をつけていたことは、患児の親とチームになることでした。医師と親がタッグを組んで治療にあたることで、診療方針をすり合わせ、その子にとって一番だと思えるような医療の提供に繋がると思っていたからです。子どもは家族の中心ですので、子どもの病気は家族全体に大きな影響を与えます。そのため、医師は病気の治療を通じて、ご家族の思いにも寄り添っていく必要があります。小児科医は“子どもを診る”だけではなく“その家族をも見守る医師”といえるでしょう。
触ってよくみて、音を聞く。小児科医だったときも、循環器内科医として勤務する現在も、何より大切なのは診察だと考えています。病院に足を運んでくれた患者さんから、限られた時間でどれだけの話を聞き出せるか。そのようなことを気にかけながら、患者さんからお話を引き出す工夫をしています。現在は、初診であれば約1時間、2度目の診察であれば約30分はお時間をいただき、患者さんと対話を深めています。しかし、診察は医師だけで完結するものではありません。女性の患者さんのなかには、センシティブな内容は同性の看護師や医療スタッフに話したい、という方もいらっしゃいます。そんなときは皆さんの力を借りながら、患者さんの声を聞き漏らさないようにしています。
また、重度の病気を抱えている患者さんの場合、精神的、社会的な問題に悩んでいる方もいらっしゃいます。病気が原因で心を病み、就業や結婚など将来を不安視される患者さんの悩みを解消するために、普段から積極的にお話を伺うようにしています。悩みを1つでも減らしてあげることで、患者さんの症状がよくなることもありますから。
後進の指導に際しては、施術に医学的な誤りがあれば指摘をしますが、基本的に、あれこれ指導することはありません。現場で実際に私の診療を見て、何かを学びとっていただければ、と思っているからです。
また、私たちの仕事は“人”が“人”を診る仕事です。そのため、医師を目指す方々には、若いうちから本を読むことの習慣づけをお勧めしたいです。読書からは知識を会得できるだけではなく、登場するあらゆる人物から、性格や物事の捉え方を学ぶことができます。読書を続けることは、患者さんとの関係や、自分自身のものの見方にもよい影響を与えるでしょう。
若い頃に優秀な先輩医師たちと出会えたことは、非常に幸運だったと感じています。千葉大学の小児科では、
東京女子医科大学心臓血圧研究所で学んでいたときは、
また、米国のUCLA School of Medicineに留学していた頃は、内科医として診察と後進教育に熱意を持つパーロフ教授のもとで、医師として大切な多くのことを学びました。所属するフェロー(専攻医)が私1人であったこともあり、診察方法、診断のプロセス、検査所見の見方などを、手取り足取りと言っても過言ではないほど、非常に丁寧に教えていただきました。パーロフ教授は、診療時に患者さんが泣き出すと、すっと立ちあがって患者さんを抱きしめ、慰め、勇気づけてあげるような方でした。帰国後も教授の自宅をときどき訪ねては、さまざまなことをご指導いただきました。
私がお世話になった3人の教授は、本当に患者さんに密着していて、教授とは、こういう方がなるべきものなのだと痛感しました。残念ながら、今では皆さまお亡くなりになってしまいました。しかし、今でも、そしていつまでも私を導いてくれるものと思っています。この方々以外にも、多くの先輩方に親切にご指導いただき、今の自分があります。尊敬できる先輩や上司に囲まれてきたことが、私の自慢です。
子どもの頃からずっと診ていた患者さんが年齢を重ね、成長されたとき、親御さんから「ここまで診てくれてありがとうございます。これからは1人で診察にいく子どもを、今後もよろしくお願いします」と言われたときは、非常に感慨深いものがありました。
また、かつての患者さんが結婚や出産を経て、産まれた赤ちゃんと一緒に遊びに来てくれることもあります。家族の一員という感覚で治療に携わってきた医師として、患者さんの幸せな様子を見ることほど嬉しいことはありませんでした。
肝炎を発症した高校3年生のあの日、担当してくれた医師は、私のお腹に触れながらじっくりと診察をしてくれました。そのときの手の温かみと安心感を、今でも覚えています。あれから長い年月が流れ、今では私が患者さんに安心感を与えられる診察を目指して、日々患者さんと向き合っています。
医療の道を目指すきっかけとなったシュバイツァー博士のような医師になれたかは分かりません。しかし、これまで培ってきた経験を糧に“困っている人を助ける”理想の医師像に、少しだけ近づけている、そんな気がしています。
この記事を見て受診される場合、
是非メディカルノートを見たとお伝えください!
千葉市立海浜病院
うさぴょんこどもクリニック 院長、千葉市立海浜病院 小児科 非常勤医師
橋本 祐至 先生
千葉市立海浜病院 小児科 、千葉市病院 前事業管理者
寺井 勝 先生
千葉市立海浜病院 副院長、救急科統括部長
織田 成人 先生
千葉市立海浜病院 診療局長(外科)
吉岡 茂 先生
千葉大学医学部 臨床教授、千葉市立海浜病院 診療局長
齋藤 博文 先生
千葉市立海浜病院 小児科 成人先天性心疾患診療部 部長
立野 滋 先生
千葉市立海浜病院 産科・婦人科 統括部長
飯塚 美徳 先生
千葉市立海浜病院 小児外科 統括部長
光永 哲也 先生
千葉市立海浜病院 乳腺外科 乳腺外科統括部長
三好 哲太郎 先生
千葉市立海浜病院 循環器内科 統括部長
宮原 啓史 先生
千葉市立海浜病院 耳鼻いんこう科 統括部長
大塚 雄一郎 先生
千葉市立海浜病院 脳神経外科 科長
吉田 陽一 先生
千葉市立海浜病院 小児科 部長
小野 真 先生
千葉市立海浜病院 新生児科 統括部長
岩松 利至 先生
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現時点での診断・治療状況についてヒアリングし、ご希望の医師/病院の受診が可能かご回答いたします。