人生、どうなったって楽しいのです。なるようになるのです

北海道大学大学院医学研究院・医学院 呼吸器内科学講座 教授 / 北海道大学病院内科 I 科長
西村 正治 先生

人生、どうなったって楽しいのです。なるようになるのです

親友と二人三脚で自分の道を築き上げた西村正治先生のストーリー

公開日 : 2017 年 04 月 06 日
更新日 : 2017 年 07 月 10 日

主治医は患者の疾患について世界一詳しくなければならない

私の尊敬する恩師のひとり・村尾誠教授は決して医局員に強制しない人でした。もちろん、ご自身のなかには確固たる意志や意見をお持ちです。しかし、それを他者に押し付けるようなことは決してしません。そんな先生から唯一厳しく指導されたことがあります。

「誰かの主治医になるということは、その人のかかっている疾患について一番詳しくなければならない。それほど患者への責任がある。それがあるべき主治医の姿だ」

この教えは、教授になった今でも胸に刻んでいます。徹底的に患者さんの病気について勉強し、徹底的に学ぶことは私にとっては当たり前のことになっています。

かつて、北海道大学病院第一内科は70以上もの関連病院を抱え、各施設に次々と院長を輩出してきたいわゆる「院長人材輩出内科」でした。そうした伝統は今後も継承されていくべきだ、という暗黙の了解があったのです。ところが、新しく教授になられた東京大学ご出身の村尾先生はこの体制にメスを入れました。

「大学病院とは研究を行い、それを広く発信することで、次代を担う指導者を作る場所。それこそが本当の大学病院のあり方のはずだ」

村尾先生はその信念に則り、関連病院を次々と廃止し10施設以下にまで削減させたのです(後になって聞いたのですが、関連病院を次々と廃止した当時、村尾先生は自分が恨まれていたことを痛感していらっしゃっており、私はいつか襲われるのではないかと街を歩くことすら怖かったそうです)。ただし、関連病院との関連が途切れたのは1970年当時に医学部紛争やら医局解体紛争があったことも一因です。

村尾先生はそれほどの強い決意でこの医局を立て直そうとしたのです。

北海道大学病院第一内科が村尾先生以前の「院長人材輩出内科」のままだったら、私が教授になることもなかったでしょう。教授の生き方は、教え子の人生にまで影響を及ぼす。このことを私は痛感しましたし、村尾先生に出会えたからこそ、今の私があると思っています。

大学と市民病院、二つの施設で対照的な価値観を学ぶ

研修時代、大切なことを学びました。それは「良い医療の価値観は一つに定まらない」ということです。

大学卒業後、臨床を学ぶために砂川市立病院に赴任しましたが、そこで私は大学病院とは真逆の価値観の存在に直面したのです。

大学病院の診療方針と市中病院の診療方針には、あまりにも大きなギャップがありました。今でこそ大学病院でも平均在院日数などベッドの回転率を意識していますが、当時の大学病院はそのようなことは一切考えもしない時代。2か月以上入院している患者さんが山のようにいらっしゃいましたし、そもそも大学病院では一週間にひとつ大きな検査をして結果を待ち、来週にまた一つ検査をして、という風に、「ひとつの症例をいかに丁寧にみるか」に重きが置かれていたのです。

一方、私が赴任した砂川市立病院のような地域の市民病院では「とにかくたくさんの患者さんを診療する」ことが最優先されます。砂川市立病院勤務時代、毎週金土日は50人規模の病棟を私ひとりで受け持ち、ある土曜日には、ひとりで130名の外来の患者さんを診察したこともあります。

これほど多くの患者さんを診察すると、ひとりにかけられる時間は少なくなってしまいますし、なかなか丁寧な治療ができません。当然、患者さんの満足度は下がってしまいます。それでも病院で医師に診てもらうこと自体に意味があるのでしょう。砂川市立病院には日々、たくさんの患者さんがいらっしゃいました。

「徹底的に丁寧な診療をする」大学と「可能な限り多くの患者さんを診る」市立病院。両者の価値観は相反するものですが、両方ともその当時の社会に求められている価値観なのだと実感しました。

「1日100名近い患者さんを診療する世界」と「何週間もかけてたった1人~2人の患者さんを徹底的に調べる世界」。駆け出しの頃から、異なる価値観を受け入れられるようになったことは、医療の道を進むに当たっては非常に重要だった気がしています。

海外では同世代の若者が英語でディスカッションしていることに衝撃

大学に戻ってから、私は大学院には入らずに研究グループに所属しました。私は医学部学生であった頃、医師になったら研究をすべきものだということすら知りませんでした。きっかけは、村尾教授にそのように指図を受けたからです。研究テーマも教授に与えられたものでした。後に4代目教授となったもう一人の恩師 川上義和先生の下で、私は睡眠時無呼吸に代表される病態、睡眠時の呼吸調節に関する研究をはじめました。はじめて海外の学会に連れて行ってもらったときの衝撃は今でも忘れることはありません。同世代の若者が研究成果を発表し、かの有名な先生と英語でdiscussionしているのです。このときはじめて、研究を通して社会に貢献する医師の姿もあることに気づいたのです。いつか彼らとdiscussionできるようになりたいという想いは強烈でした。

生涯の人生の相棒ともいえる棟方充先生(福島県立医科大学呼吸器内科教授を2017年に退職)と私は北海道大学医学部同期卒、卒後2年目研修は函館国立病院で同じ病棟を担当。その後、同じタイミングで海外に留学し、そして同じタイミングで帰国して同じ医局に戻ることになりました。

「2人同時に大学に戻ったとしても果たして私たちの居場所はあるのだろうか」

ふと不安が頭をよぎりました。一般的に、大学の人員配置は枠を増やそうと思ってもそう簡単にはいかないからです。ところが教授の川上先生は、私たちが帰国してから、別の先生を外部に異動させてまで、我々を同時に助手(現在でいう助教)として迎え入れてくれました。

それからは、二人三脚で歩みを進めてきた私と棟方先生。ライバルであり、親友でもある。そんな存在になっていました。川上先生に講師にしていただいた時期も2人はほとんど同じです。しかし、周囲はこの関係が長くは続かないとみていたのでしょう。あるとき同門の先輩は「君たちは今現在、同期として仲良くしている。しかしやがてこの関係は維持できなくなるよ」と忠告します。やがて私たちはライバルとして対立していくと予想されたのでしょう。

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北海道大学大学院医学研究院・医学院 呼吸器内科学講座 教授 / 北海道大学病院内科 I 科長

西村 正治 先生

呼吸病態生理学、とくにCOPDを専門とし、これまでに日本呼吸器学会理事長、日本学術会議連携会員、日本内科学会理事・評議員、日本肺癌学会評議員、日本アレルギー学会評議員、日本呼吸ケア・リハビリテーション学会理事、日本肺高血圧・肺循環学会常務理事を歴任する。教授・科長を務める北海道大学大学院呼吸器内科学講座、北海道大学病院 内科Iでは、教室の伝統である「全身を診られる良き臨床医を育てる」という理念のもと呼吸器疾患全般をカバーし、臨床・研究・教育すべてに全力を注ぐ。教室からは、北海道外に慶應大学呼吸器内科、筑波大学呼吸器内科等へ教授を輩出している。

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