究極まで完成された美を作りたい

慶應義塾大学医学部形成外科学教室教授・診療科部長
貴志 和生 先生

究極まで完成された美を作りたい

“美”を追い求めクリエイティブな医療を提供する貴志和生先生のストーリー

公開日 : 2017 年 05 月 29 日
更新日 : 2017 年 05 月 31 日

「不老不死の薬を作りたい」。医師としての原点は中学時代

中学生の頃に手塚治虫の『火の鳥』を読んだことがきっかけで、不老不死の薬を作りたいという夢を抱き、医学部を志望しました。宇宙の真理を見つけることは人類には困難だとしても、所詮生物のことなので、私に解決できないはずがないと、信じていました。

しかし、そんな夢はどこへやら、学生時代の私は真面目とはかけ離れた生活を過ごしていました。念願だった慶應義塾大学医学部に合格し、和歌山から東京に移り住んだ私は、華やかな学生生活に浮き足立ってしまいました。また当時、山岳部と剣道部の二つの部活を掛け持ちしていたのですが、部活にも熱中し、勉強は最低限、いやそれ以下しか行わず、留年も経験しました。

それでもなんとか、大学を卒業することができましたが、卒業間際になっても、まだ漠然と不老不死薬の研究がしたいという気持ちが残っていました。卒業とともに基礎の教室へ入って研究者の道に進むことも考えましたが、さすがに相談した親からは「留年しておいて、どの口が言うか」との反応でした。ならば仕方ないと、一旦はその夢を保留し、臨床分野で興味のあることをやろうと思いました。

新しいものを作り出す、クリエイティブな仕事がしたい

最近、九州大学 生体防御医学研究所の中山 敬一教授が書かれた、コラムを目にしました。

「世間の職業には、大きく分けて2種類あります。ルーチンワーカーとクリエーターです。(中略)サイエンティストはクリエーターの典型のような商売です。」と書かれてありました。当時、私が卒業前に専門とする科を選ぶ目的で色々な科を回っていた時を思い返してみると、まさにこの中の「サイエンティスト」の代わりに「形成外科医」が当てはまりました。形成外科は他の科と比べて、圧倒的にクリエイティブな診療科だと気づきました。形成外科は他の外科の先生が悪性腫瘍で組織を取った後、あるいは外傷で組織がなくなった後、そこにないものを手術で新たに作り上げる、唯一の科です。臨床分野でありながら毎日クリエイティブな仕事に携われる点に魅力を感じた私は、迷うことなく形成外科への道を歩み始めました。

当時の慶應の形成外科の研修システムでは、形成外科に入局し、1~2年フレッシュマン(新人研修)を行った後、形成外科以外の外科系関連科を2~4年間、学ぶ必要がありました。私は、初期研修を慶應義塾大学で。その後、浦和市立病院(現さいたま市立病院)の外科で4年間修練を積みました。当時の私はとにかく手術が上手くなりたくて、日夜手術の手技が上達するように練習し、イメージトレーニングを行っていました。このため、外科出張では、同年代の医師よりも多くの手術を経験させてもらうことができました。指導医の先生からの評価も高く、外科医として少し自信がついてきた頃、ふと「このまま外科医になるのも悪くないな」という思いが脳裏を掠めました(実は、形成外科にはこういった流れでそのまま外科医になる方が一定数いるそうです)。しかし、このまま引退するまでずっと外科医の仕事を続けられるのか。そう考えたとき、私にはやはり耐えられないと思いました。

外科の研修中、精神的につらかったのは患者さんの死との関わり方でした。主治医制であったので、担当医として関わったにがんの患者さんに対してさまざまな手を尽くして治療を行い、しかし一定の割合でどうすることもできずに、そして最後は死に立ち会う……。何回繰り返しても同じように訪れる、患者さんの最期。終わりのない死との対面。人の最期の大切な時に、次第にそれを心から悲しむことができなくなり、そのくせご臨終に際しては役者のように神妙で悲しそうな顔を作り、最期の時を宣告する。自分の心が乖離するのが判りました。

自分にはやはりルーティンワークは向いていない。常に新しいものを作り出す医師になりたいということで、4年の外科研修が終了した後も、慶應義塾大学医学部形成外科学教室に戻ってきたのです。

完成された手術を追い求めて

現在でも、完成された手術というものは、すべての科を通じて存在しないと考えています。形成外科の場合は、例えば悪性腫瘍で顔を半分取ってしまうような手術が施行され、それに対して、全く左右対象で、表情も自由に動かすことができ、知覚も正常、しかも採取部の変形もないなどという手術法があれば、それは完成された手術といえるでしょう。このような方法は現在では存在しませんが、私はそれらの未解決の世界に向かい、一歩一歩チャレンジしていきたいと思っています。

形成外科の手術は、結果が如実に見た目に現れます。

外科医として、自らの手術手技で患者さんの機能を回復させ、見た目も正常時と寸分違わぬレベルまで持って行けたときの感激と達成感は何事にも勝ります。しかし、不思議なことに、自分では上出来な手術結果だと思ったケースでも、患者さんの満足度が高くないこともしばしばあります。

患者さんにとっては代えの効かない自分の外観。当然、より完璧な結果を求めてこられますし、結果一つに対して感想を抱きます。満足、不満足、もっときれいにしてほしい、もっと整えてほしい。こうした思いに、一つとして同じものはありません。そう、私たち形成外科医は手術で患者さんの姿形を変えると同時に、患者さんの心にも少なからず変化を及ぼしているのだと思います。

「先生、この傷跡、もう少しきれいになりませんか」

大きな変形で、たとえ自分の中では、これ以上ない難度の高い最高の手術ができたとしても、術後、患者さんからこのようなご指摘をいただくことがあります。このようなご意見をいただいたとき、私は嬉しくなります。つまり、患者さんの望んでいる姿と術後の結果が明らかに乖離してしまっているならば、患者さんはむしろあきらめ、何も意見を言葉にされないのではないかと思うからです。ですから、大きな変形を大変な手術をして治した時に、ある意味それ程気にすることもない傷を患者さんが気にされているということは、患者さんが求める理想の形態に近いものを作ることができたのではないかと感じられます。

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慶應義塾大学医学部形成外科学教室教授・診療科部長

貴志 和生 先生

慶應義塾大学医学部形成外科学教室教授。傷あと治療の第一人者であり、一般社団法人日本創傷治癒学会の理事長なども務めている。怪我などにより、きめや皮膚付属器を失った皮膚の再生を目指し、治療法の開発のために心血を注いでいる。WEBサイトを用いたわかりやすい情報発信も積極的に行っており、全国の患者さんから厚い信頼を得ている。

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