病気と健康の線引きというのは精神医学における難問です。悩みはある程度までなら病気ではない。しかし、悩める健康人も安易に病気と認定されてしまえば、不必要な薬を飲まされることになります。
精神医学における病気の認定の問題点について、『うつの8割に薬は無意味』などの著書で知られる獨協医科大学越谷病院こころの診療科教授・井原裕先生にお聞きしました。
近年、精神科や心療内科の敷居が低くなりました。この「敷居が低くなった状況」については、メリット・デメリットの両面があります。デメリットは、過剰診断の問題です。もちろんすべての精神科医に当てはまるわけではありませんが、精神科医は一般に以下のような思考に陥りがちです。
まず、ある人が受診したとします。その際、「精神科医としてこの人に何ができるか」と考えます。そのとき、「この人は病気なのかどうか」という判断が不十分なまま、「医師の務めは病気の治療」という前提で思考をスタートさせてしまいます。そして次に「ではどの病気か」と考えます。たとえば「うつ病」です。そうなると、そこからその人をうつ病の治療のプロトコール(手順)にのせて、治療を開始していきます。
ここには大きな間違いがあります。つまり「人は皆、病気」ではありません。「憂うつな人は皆、うつ病」でもありません。それにもかかわらず、「憂うつだけれどもうつ病ではない」、つまりこの人は「悩める健康人」なのだという考え方をすることが、一部の精神科医にはとても難しいのです。
医師を志す人は、医学生時代から医学書という病気のカタログを与えられ、ひたすら病気のことを学んでいきます。精神医学の教科書には、うつ病やパニック障害などが記されています。こういうものばかり読んでいると、ある人がどの病気に分類されるのだろうと気になります。
そんな生活をしていれば、「人を見たら病気だと思う」癖がついてしまいます。これは医者の職業病です。「この人はどの病気なのだろうか」、そんなことばかり考えてしまいます。この傾向は医師一般にいえることですが、こと精神科医においてはとりわけ顕著です。
この、病名を特定してからすべてが始まるという点に、今日の精神科臨床の危険性があります。「まず病名を特定する」という姿勢には、「健康を作る」という観点が抜け落ちています。「健康を作る」ことを目標にするのではなく、まずいったんは病気だとみなして、その病気の治療を開始しようとすることにこそ危険があるのです。「健康を作る」とは「病気を治す」ことではありません。
ここでひとつの例をあげましょう。風邪薬です。風邪になったら風邪薬を飲みます(風邪薬に意味があるのかという議論は一旦おいておきます)。そして風邪が治ったとします。では、そのまま再発予防のために風邪薬を飲み続けるでしょうか? そんなことは誰もしないでしょう。「これは無意味だな」と直感的にわかると思います。
人が本来求めているのは「健康」です。「病気の治療」ではないのです。「うつ病」だの「パニック障害」だのと、病名をプレゼントしてもらうことを求めてはいません。はつらつとした生活、生き生きした毎日をこそ求めているのです。ところが、医師たちは人を「病気」とみて、その病気を特定し、その治療プロトコールにのっとって「治す」ということを行いたがります。その結果、「悩める健康人」も「うつ病」として薬を飲まされることになります。健康づくりとは風邪薬を飲み続けることではないのと同様、こころの健康づくりも抗うつ薬を飲み続けることではないはずです。
井原裕先生の最新作です
獨協医科大学埼玉医療センター こころの診療科 教授
獨協医科大学埼玉医療センター こころの診療科 教授
精神科医となって以来、都心の大学病院・農村の精神科病院・駅前のクリニック・企業の健康管理センター・児童相談所と多様な治療セッティングのもとで診療を行う。この多彩な臨床経験をもとに、就学前から超高齢者までの、ほぼすべての年齢層の患者を診察。対象疾患も、うつ病・統合失調症・発達障害・知的障害・認知症・不安障害・パーソナリティ障害等、全領域にまたがる。近年は、プラダー・ウィリー症候群という希少疾患を、日本の精神科医としては最も多数例診ている。一方、司法精神鑑定医として、埼玉県内の事件を中心に数々の重大事件の精神鑑定を行い、精神保健判定医として多数の医療観察法審判に関与。刑事・民事ともに、法廷で精神鑑定人として証言する機会も多い。現在は、獨協医科大学越谷病院こころの診療科にて、セカンドオピニオン外来を開設。他の医療機関通院中の患者さんに対して、専門的見地からのコンサルテーションを行っている。今後も「精神科医としての守備範囲日本一」をめざし、限界に挑戦するつもりで広範な領域に関与していく予定。
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