「鼠径ヘルニア(脱腸)」とは、本来ならお腹の中にあるはずの腹膜や腸の一部が腹腔(ふくくう)から飛び出して鼠径部(そけいぶ:足のつけ根)が腫れてくる病気です。鼠径ヘルニアは小児外科の手術件数では最多の疾患で、その術式も様々な方法が開発されています。
今回、名古屋大学医学部附属病院小児外科教授の内田広夫先生にお話しいただくのは、低侵襲な術式「単孔式腹腔鏡下鼠径ヘルニア根治術」です。これはどのような手術なのか、なぜ子どもにとってメリットが大きいのかを、今後の小児外科医が内視鏡手術の技術を磨くために必要な点を踏まえてご説明いただきました。
鼠径(そけい)とは太ももの付け根の部分を指し、ヘルニアとは体の組織が正しい位置からはみ出した状態をいいます。「鼠径ヘルニア」とは、本来ならお腹の中にあるはずの腹膜や腸の一部が腹腔から飛び出して鼠径部が腫れてくる病気です。
男児の鼠径ヘルニア(画像提供:名古屋大学小児外科)
女児の鼠径ヘルニア(画像提供:名古屋大学小児外科)
子どもの鼠径ヘルニアは成人と異なり、先天的な要因(生まれつき腹膜の一部が開いたままの状態)で発症します。病態としては、何らかの原因で腹圧がかかった際に、臓器がその穴に突出してくると考えられています。
ヘルニア嵌頓(腸が腹壁の隙間から脱出し、もとに戻らなくなった状態)(画像提供:名古屋大学小児外科)
鼠径ヘルニアは基本的に手術治療が適応されます。
鼠径ヘルニア手術は非常にポピュラーな手術で、本邦における16歳未満の小児の全手術数46,000件のうち、鼠径ヘルニア手術は2万件近くを占めています。ですから、小児外科手術は鼠径ヘルニア手術が中心といっても過言ではありません。
このうち現在のところ5,000例程度が、これからご説明する腹腔鏡下手術で行われているといわれています。
鼠径ヘルニアに対しては、徳島大学の嵩原先生が考案されたLPEC法という腹腔鏡下鼠径ヘルニア手術が多く行われています。LPEC法は侵襲性も低く、傷跡があまり目立たないという利点があります。
LPEC法ではおへその皮膚を少し切開し、そこから細径の内視鏡を挿入し、細径鉗子を左上腹部から挿入して治療を行うため、手術創はおへそと左上腹部の傷ですみ、あまり目立ちません。
このほか、小児鼠径ヘルニアの手術には、Potts法がよく用いられます。Potts法とは、鼠径部(足の付け根あたり)を約1~2cm切開し、袋状のヘルニア嚢(のう)を根元でしばり、臓器が飛び出さないようにする治療法です。Potts法は大人にはあまり行われていませんが、子どもの鼠径ヘルニア手術としてはスタンダードな方法とされています。
ただし、Potts法には下記2点の注意点があります。
低侵襲で整容性に優れた鼠径ヘルニア手術
単孔式腹腔鏡下鼠径ヘルニア根治術(SILPEC法)では、おへそに一つの穴を開けて(単孔式)、その中に細径内視鏡とSILPEC鉗子をいれて手術を行います。
SILPECの手術器具(画像提供:名古屋大学小児外科)
手術創(手術でできるきず)はおへそだけで、治療も単純に飛び出している袋を閉じるだけですから体への負担が少なく、また両側の鼠径部の治療を同時に行うこともできます。
SILPEC法直後の外観(画像提供:名古屋大学小児外科)
単孔式腹腔鏡下鼠径ヘルニア根治術の成功率は開腹手術と同様に高く、鼠径ヘルニアの再発率は1,000例中4例程度です。術後の痛みや日常生活への影響はほとんどなく、その後のQOL(生活の質)も高く保つことができます。
単孔式腹腔鏡下鼠径ヘルニア根治術のもう一つの良い点は、予防的治療ができることです。
鼠径ヘルニアが片側に生じた方のうち、およそ10人に1人の割合で、のちに(1年以内の発症が多い)反対側にもヘルニアが生じることが分かっています(対側発症)。反対側の鼠径ヘルニアを発症した場合、もう一度全身麻酔下で手術を受けなければなりません。
腹腔鏡下手術では、最初の手術の時点で対側検索ができます。これにより、反対側の鼠径部にも穴が開いているかどうかを調べ、万が一穴が開いていた場合、最初の手術と同時に反対側も予防的手術をすることができるのです。実際、アメリカでは多くの症例で予防手術を施しています。
※ただし、穴が開いている場合でも必ず鼠径ヘルニアになるとは限らないため、腹腔鏡による観察を行ったとしても、将来的な鼠径ヘルニアの発症を正確に推測することは現状では困難です。
アンドロゲン不応症という先天性疾患の患者さんは、しばしば鼠径ヘルニアを合併していることが知られています。
アンドロゲン不応症とは性分化疾患の一種であり、X染色体依存の伴性遺伝といわれています。男性ホルモンであるアンドロゲンが生まれつきうまく作用しないため、見た目は女性のようになります。本人も親御さんも女性として性を認識しますが、女性のように膣や子宮が形成されず、仮に膣があっても子宮や卵巣が存在しないため、月経を生じることもありません。18歳を過ぎても初潮を迎えない方が検査を受けてみたところ、アンドロゲン不応症と診断されるケースが多いといわれています。
このように発見が遅れがちなアンドロゲン不応症ですが、単孔式腹腔鏡下鼠径ヘルニア根治術を行う際に内視鏡で卵巣の確認をすれば、アンドロゲン不応症をスクリーニングすることも可能となります。実際に女児の両側鼠径ヘルニアの約2%にアンドロゲン不応症があるということがわかっています。
単孔式腹腔鏡下鼠径ヘルニア根治術は安全かつ低侵襲、しかも整容性に優れた方法だと考えていますが、強いていえば医師の習熟度によって差が生じることが問題でしょう。
内視鏡手術は開胸、開腹手術と比較して手術時間が長くなる傾向があり、また、内視鏡カメラ、鉗子という特殊な機器を扱うための技術、高度なテクニックが要求されます。そのため、施設間や小児外科医の技術格差が開腹手術よりも大きく開いてしまっています。
症例が多く、内視鏡手術を積極的に行っている施設であれば小児外科医は技術を磨くことができます。しかし、そうではない施設の場合は腹腔鏡下手術を素早く的確に行うことが難しくなります。(詳細は記事1『子どもの手術は体に負担の少ない方法が重要! 子どもに対する内視鏡手術』)
この格差を是正していくためには、小児腹腔鏡下手術のシミュレーターの開発が急務だと考えます。
シミュレーターを用いることで、小児外科医は初めて執刀する段階でも、ある程度経験を積んだ状態で手術に臨むことができます。現状ではそのようなシミュレーターはほとんど存在しないため、若手の小児外科医はいわゆる「糸結び」や決められた課題をこなすことで代用していますが、今後はそのようなシミュレーターの開発が進むことで、若手医師が希少疾患にも十分に自信をもって対処できるようになるでしょう。
では、シミュレーター導入に向けて具体的にどのような活動を進めているかをご紹介します。
最近、私が代表研究者となった平成28年度難治性疾患実用化研究事業(国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED))で、「On the Job training回避を目的とした小児内視鏡手術統合的術前トレーニングシステム・認定プログラムの確立に関する研究」(2016-2018)というシミュレーター確立のためのプロジェクトを動かし始めました。
そこでは民間企業とも共同して研究を進めています。具体的には、三菱プレシジョン株式会社が開発した「LAP-PASS®」というVR(ヴァーチャルリアリティ)を用いたシミュレーターの改良や仕様変更を行ったり、以前より模擬臓器や手術練習用シミュレーターを作製しているサンアロー株式会社と、模擬臓器を用いた小児手術用シミュレーターの開発を行っている最中です。
子どもの鼠径ヘルニアに対して日帰り手術を実施している施設は多く、腹腔鏡下手術か鼠径部切開にかかわらず、十分に日帰り手術は可能です。ただし、名古屋大学医学部附属病院では日帰り手術は行っていません。
これからの小児外科領域では、若手医師が経験を積める組織体制を築き、良い人材を育てていく必要があります。
外科医であれば必ず、自分が初めて手術をする相手がいます。小児外科を含めたすべての外科は、人を切ることによって徐々に腕を磨き、技術を高めています。このような実際の経験は勿論大切なことですが、私はそれ自体がもはや適切ではないと考えます。生身の人間で手術する前に医師がきちんと技術レベルをあげられるような仕組みを確立しなければなりません。
実はこれは内視鏡手術に限ったことではないのですが、内視鏡手術の場合はどうしても手術操作を1人でやることが求められるため、最初に人間で手術を行う前に、ある程度の経験を積んだ状態で手術に臨むことが望まれます。これは現在、最も患者さんから求められていることでもあるでしょう。やはり理想的には内視鏡手術のシミュレーターシステムの導入が必要です。
特に子どもの場合は術後の人生が長く、成人・老人になって初めて機能予後(手術後、将来的に病気だった部位の機能が維持できているかの予測)が明らかになります。内視鏡手術は記録が残り、結果が出てから手技を検証できるので、次世代の小児外科領域の改革に必須な術式となるはずです。内視鏡手術の未来は、手術そのものの改革のみにとどまらず、手術手技や医療機器の進歩、患者さんのQOLの改善などへと大きく広がりをみせていくでしょう。
※内視鏡手術のシミュレーター導入については追加記事『子どもの手術にこそシミュレーターの導入を! 小児外科医が内視鏡手術の技術を磨くための課題』で詳しくご説明しています。
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