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インタビュー

第五高等学校時代、キリスト教教会で洗礼を受けた理由

第五高等学校時代、キリスト教教会で洗礼を受けた理由
髙久 史麿 先生

公益社団法人地域医療振興協会 会長 / 日本医学会 前会長

髙久 史麿 先生

夏目漱石やラフカディオ・ハーンが教鞭を執り、歴代首相をはじめとする数多の著名人を輩出したことで知られる第五高等学校(通称、五高)。日本医学会会長の高久史麿先生も、晴れて第一志望の五高に合格し、熊本の寮で青春時代を送ることとなります。

五高時代には、キリスト教教会で洗礼を受けたといいますが、その理由は医学とは無関係の思春期らしいものであったといいます。引き続き、高久先生にお話いただきました。

五高時代の思い出は、何をおいても「卓球」です。

入学当初は勉強にも熱を入れていましたが、台湾から引き揚げてきた卓球上手の友人ができてからは、遊びのほうがすっかり面白くなってしまいました。

特に2年生でYMCA寮「花陵会(かりょうかい)」に入ってからは、文系理系の違いなく、様々な科の学友と交流できることが嬉しく、勉強は二の次にしていたように思います。

今から2~3年前、熊本大学を訪れた際、五高記念館で自分の成績をみたところ、1年、2年、3年と上級になるに従いきれいに順位が下がっており、これにはさすがに苦笑してしまいました。

高久史麿先生の花陵会でのお写真’
花陵会にて 写真提供:高久史麿先生

とはいえ、遊びは人生において無駄ではありません。

私はそれから約30年後に国立病院医療センターの病院長兼看護学校長に就任するわけですが、看護学校の学生とともに出場した卓球大会では、なんと準優勝してしまったのです。学生たちも、還暦を超えた私が決勝で戦うと聞きつけて、それは熱心に応援してくれました。当時の学生たちとはいまでも付き合いがあり、先日も食事をしました。過去に教えた学生たちと会えること、これはまさに教職員の醍醐味だと感じています。

また、花陵会近くの教会で洗礼を受けたことも、五高時代を語るにあたり外せない出来事のひとつです。

キリスト教との出会いは、それより前の小倉中学時代。既に教会に通うことは、私の日頃の楽しみとなっていたため、洗礼を受けることにも特別な決意を要したわけではありません。

教会へ通っていた理由は、キリスト教の奉仕の精神に共感したから……といいたいところですが、それでは嘘になってしまうので本当のことを記しましょう。

私の教会通いは、小倉中学校の近くにあった西南女学院のバイブルクラスを受講したとき、Francis Talleyという美人宣教師に出会ったことがきっかけで始まったのです。もちろん、教会で聞く様々な話も楽しかったのですが、彼女の顔を見たいという気持ちのほうが、より強かったように思われます。

実は、私の“Fumimaro Takaku”というサインのFとTの文字も、彼女の字体を模したものなんですよ。

高久史麿先生のサイン
高久史麿先生のサイン 写真提供:高久史麿先生

彼女は私にとって永遠の憧れの女性といってもよい存在であり、過去には週刊新潮の尋ね人欄に「近況を知りたい」と投稿をしたこともあります。

意を決した投稿に対し、なんと3通もの返信があり、私は50年以上のときを経てFrancis Talleyに手紙を送ることができました。

ところが、返ってきた彼女からの手紙は、過激な思想を綴ったなんともラディカルなもの。若い時分から熱心なクリスチャンであることは知っていたものの、これにはさすがに閉口してしまい、以降返事を返すとはありませんでした。

少年時代に教会に通い、キリスト教の教えに触れたことが、医学の道へと歩を進めることと関係しているのか、はたまた全く無関係なのか、これは私自身にもわかりません。

ただ、大学を卒業してからは、教会へと足が向かなくなってしまったことも事実です。忙しくなったという理由もありますし、それ以上に、医学と向き合っているとどうしても宗教というものとは縁遠くなる気がするのです。

もちろん、信仰心を持って励む医師も沢山いらっしゃいますが、私にとっては世界観が真反対のもののように感じたんですね。

「医学と宗教」、これは我々日本人にとって、語るに難しいテーマといえます。

私が医師を目指すこととなったある「決定打」については、記事4『高校3年生で突然の進路変更!東大医学部受験を決意、そのきっかけ』でお話しましょう。

 

  • 公益社団法人 地域医療振興協会 会長、日本医学会 前会長

    日本血液学会 会員日本内科学会 会員日本癌学会 会員日本免疫学会 会員

    髙久 史麿 先生

    公益社団法人地域医療振興協会 会長 / 日本医学会 前会長。1954年東京大学医学部卒業後、シカゴ大学留学などを経て、自治医科大学内科教授に就任、同大学の設立に尽力する。また、1982年には東京大学医学部第三内科教授に就任し、選挙制度の見直しや分子生物学の導入などに力を注ぐ。1971年には論文「血色素合成の調節、その病態生理学的意義」でベルツ賞第1位を受賞、1994年に紫綬褒章、2012年には瑞宝大綬章を受賞する。