東京大学医学部第三内科で中尾喜久先生と出会った高久史麿先生は、その後自治医科大学の創立作業に尽力し、3つの教授職を併任します。くわえて卒後指導委員長なども兼任し、自治医科大学にとってなくてはならない存在となりました。そんな高久先生のもとへ、「東京大学医学部第三内科の教授選に出てほしい」とのオファーが来ます。迷った高久先生は、どのようにしてご自身の道を決められたのでしょうか。日本医学会会長としてのリーダー論も織り交ぜながら、お話しいただきました。
(自治医科大学設立に関する記事はこちら:東京大学医学部はかつて関西に負けていた?高久史麿先生が取り組んだ自治医大設立、東大第三内科の改革)
私は非常にマイペースな人間で、小さな頃から誰かに相談して物事を決断するということはありませんでした。また、ゆったりとした性格の父も心配性の母も、医学部に行くことや東大を受験することについて、反対することなく背中を押してくれたものです。
母に唯一反対されたのは、インターンを終えた後、専門を眼科にしようかと電話をかけたときだけです。
(高久先生が眼科ではなく内科を選んだ理由はこちら:日本医学会会長はこうして生まれた。高久史麿先生が語る東京大学、シカゴ大学での日々)
そんな私も、一度だけ迷いに迷い、人に意見を求めた経験があります。それは、自治医科大学での勤務中、東大第三内科教授選の候補者となったときです。
多くの大学では、教授選は公募制で行われますが、東大のシステムは、学内の選考委員会で候補者を選出し、最終選考に残った3名にのみ、本人に通知が来るのです。
知らないところで教授候補の3名に残ってしまった私は、教授選に出るかどうか、出るならば履歴書と業績集を送ってほしいと東大から打診を受けました。
私は自治医科大学の創設メンバーでしたから、当時学長のアドバイザーとしての役割も担っており、副学長のような重要な仕事もしていました。
学長は当然残ってほしいといいますし、私自身もある程度のポストに就いていながら東大教授に落選した場合、みっともないのではないかと、心許ない思いを抱いていました。
そこで20名に相談したところ、10名は履歴書を出したほうがよい、10名は自治医科大学に残ったほうがよいというのです。これには私も困り果ててしまいました。
どうにも決断できなかった私は、当時担当していた患者さんのすすめで、板橋のある占い師のもとへと足を運びます。なんでもその方は親子二代で占い師をしており、お父さんのほうは政界でもなかなか有名な御仁だといいます。真偽のほどは定かではありませんが、噂ではあの吉田茂氏を占ったこともあるのだとか。(これはさすがに嘘かも知れません。)
占いには全く関心がなかった私も、これは選択の一助になるかもしれないと考え、息子さんのほうに今後どうすべきかと相談しました。
彼曰く、「あんたは教授になるだろう。しかし、本当に忙しくなるのは東大を定年退職した後だね。」とのこと。
これが決定打となったわけではありませんが、結局私は東大に履歴書を送り、第三内科教授として働き始めることとなります。
しかし、それ以上に驚いたのは、東大退官後の予言のほうです。事実、私は1990年の退官後、国立病院医療センター(現・国立国際医療研究センター)の院長、国立国際医療センターの総長、更には2代目自治医科大学の学長に就任し、多忙極まる充実した日々を送ることとなるのです。
人間とは、年を取れば取るほど人の意見に耳を貸さなくなるものですが、悩んだときには様々な職種の人に相談してみると、思考の柔軟性を取り戻せるかもしれませんよ。
院長や学長といった職を経て、2004年、私は日本医学会会長に就任しました。しかし、私自身は、自らすすんで前に出ていくタイプではありません。これまでの人生を振り返ると、様々な人に引き上げてもらい、今の自分を作ってもらったように感じるのです。
自治医科大学の卒業式では、学生たちへの最後の講義のつもりで、以下のような話をしたこともあります。
「君たちは医者として、いずれ医療チームのリーダーになる日も来ることだろう。その時に、“リーダーには4タイプある”ことを思い出し、自らを見直してみてほしい。
タイプ1は、先陣に立ってチームを引っ張っていくリーダー。
タイプ2は、チームメンバーの意見を聞き、まとめていくリーダー。
タイプ3は、何もしないリーダー。
そしてタイプ4は、チームの足を引っ張るリーダーだ。」
というものです。
私自身は、自分のことをタイプ2のリーダーなのではないかと考えています。日本医学会は126の学会を取りまとめる組織ですから、自己の決断のみで物事を決めていきたいリーダーには、この職は向いていないかもしれません。
自治医科大学の6年生の最後の講義の際、学生から「タイプ4に遭遇した場合はどうすればよいのでしょうか?」と質問を受けました。これは医学の世界に限らず、どの組織においても共通していえることですので、最後に読者の皆さんへのアドバイスとして記しておきましょう。
こういうリーダーに出会ったときには、なるべく近寄らないことが一番です。
公益社団法人 地域医療振興協会 会長、日本医学会 前会長
日本血液学会 会員日本内科学会 会員日本癌学会 会員日本免疫学会 会員
公益社団法人地域医療振興協会 会長 / 日本医学会 前会長。1954年東京大学医学部卒業後、シカゴ大学留学などを経て、自治医科大学内科教授に就任、同大学の設立に尽力する。また、1982年には東京大学医学部第三内科教授に就任し、選挙制度の見直しや分子生物学の導入などに力を注ぐ。1971年には論文「血色素合成の調節、その病態生理学的意義」でベルツ賞第1位を受賞、1994年に紫綬褒章、2012年には瑞宝大綬章を受賞する。