浸潤性乳がんを治すためには、多くの場合切除手術だけでなく、術前・術後に薬物療法も行う必要があります。術前・術後薬物療法では、具体的にどのような薬剤が使われるのでしょうか。また、乳房の切除手術は何を基準として、“部分切除”と“全切除”にわかれるのでしょうか。東京医科大学病院乳腺科主任教授の石川孝先生に、乳がん治療の流れとそれぞれの治療法の詳細についてお伺いしました。
乳がんの治療には、全身治療と局所治療があります。
全身治療は、ホルモン療法や化学療法、抗HER2療法のことを指し、腫瘍の縮小や体内からがん細胞を消し去ることを目的として、術前もしくは術後に行います。
局所治療とは、手術と放射線治療を指し、腫瘍のみを切除もしくは縮小させる目的で行います。
術前検査により乳がんの性質から抗がん剤が必要と判断されたときには(記事1参照:乳がんの種類と治療――ステージのみで手術法や薬剤は決まらない)、個々に応じた薬物療法(抗がん剤治療・抗HER2治療)を行います。これらの治療により、手術時の病理診断でがんが消失する症例も多く、将来確実な診断法が確立されれば、薬物療法のみで治療するという選択肢も出てくると考えられます。
ただし、全身治療のうち、ホルモン療法を術前に行うことは、臨床の場ではほぼありません。また、術後に対側乳がんの予防目的だけに行うこともありません。
女性ホルモンの分泌を抑えることには、デメリットやリスクもあります。ホルモン療法とは、閉経前の患者さんの生理を止め、閉経後の患者さんの女性ホルモンレベルをさらに引き下げるような治療です。これにより、ホルモン受容体陽性の乳がんの増殖を止めることができますが、女性ホルモンには“骨を守る”など重要な役割もあるため、骨粗鬆症のリスクが上がり、ホルモン剤そのものの副作用が問題になります。
ホルモン療法に使用する薬の種類によっては、血栓症や、中性脂肪値の上昇、肝機能障害などの重い副作用もあります。
ホルモン療法は、最低でも5年間続ける治療ですので、得られるベネフィットが薬剤のデメリットを上回る場合に、術後療法として成り立ちます。
乳がんの手術の基本は“部分切除”です。腫瘍をできるだけ残すことなく取り除き、可能な限り術前の乳房に近い状態に戻すこと、これこそ、私たちが手術手技の面でもっとも重視していることであるといっても過言ではありません。
部分切除をした後には、残った乳房に放射線を照射します。部分切除と放射線照射を合わせて“乳房温存術”と呼びます。
しかし、“温存”といっても、乳房が術前とほとんど変わらない状態に保たれるわけではありません。切除部位や手術手技によっては、術後の乳房の状態は大きく変わります。乳がん手術の基本は部分切除であることに変わりはありませんが、中には部分切除よりも全切除後に乳房再建術を行ったほうが、“整容性(見た目)”がよいという場合もあります。
私たち乳腺外科医は、“根治性”にもっとも重きを置き、その次に“整容性”を重視して治療法を提案しますが、患者さんの中には“根治性が多少落ちても構わないから、整容性を維持してほしい”と訴える方もいらっしゃいます。
また、部分切除後の放射線治療に抵抗があり、全切除を希望する患者さんもいらっしゃいます。
整容性を重視したいという患者さんの手術の場合は、当院では形成外科の先生と共に行います。これは、形成外科のある専門施設ならではの利点といえるでしょう。
ただし、乳房再建術にも当然リスクやデメリットがありますので、形成外科の医師を交えた、慎重な話し合いは不可欠です。
(関連記事:「乳腺科医と形成外科医が再建の知識と技術を持ち連携がとれた乳房再建術」を重視した東京医科大学形成外科の取り組み 東京医科大学病院 形成外科 小宮 貴子先生)
乳房を全切除しなければ十分な根治性が得られない乳がんもあります。たとえば、がんが多発している場合や、浸潤性小葉がんの進展範囲の診断が難しい場合などが挙げられます。
がん細胞が乳管や小葉外へと広がった浸潤がんにおいて、腫瘍を切除する手術は、“もとを断っただけ”に過ぎません。術後、多くの場合がん細胞が血液や骨髄の中に存在していることが証明されています。薬物療法の目的は、これら体内のがん細胞を死滅させ、再発を防ぐというものです。
おとなしいホルモン受容体陽性・HER2陰性の乳がんであっても、リンパ節に転移が生じていたり、腫瘍が5cmを超えているときには、基本的に術後抗がん剤治療を行います。というのも、ホルモン受容体陽性・HER2陰性の乳がんは進行が遅いため、腫瘍の増大やリンパ節転移をきたしているということは、がんが体内に生じてからすでに長い時間が経過していると推測できるからです。
がんは遺伝子の病気であり、発生から時間が経過すればするほど、さまざまな遺伝子変異が重なり合っている可能性も高くなります。ホルモン依存性陽性でも、陰性の細胞も存在していることがあるなど、さまざまな細胞が混在した状態であり、体内のがん細胞を根絶するために複数の抗がん剤を組み合わせて使用します。
記事1『乳がんの種類と治療――ステージのみで手術法や薬剤は決まらない』では、乳がんの種類と特徴、本記事では具体的な治療の道筋について解説してきました。
しばしば、乳がん患者さんのブログ等で「ホルモン受容体陽性の乳がんで、○○という検査・治療を行った」という記述を見て、「なぜ自分もホルモン受容体陽性なのにこの検査・治療を行わないのか?」と疑問を抱かれる患者さんもいらっしゃいます。
しかし、ホルモン受容体陽性の乳がんの“陽性の程度”には、強いものから弱いものまでさまざまあり、その強弱に応じて治療法は変わります。
また、治療選択は“がん”のみに焦点を当てて行うわけではなく、その患者さんの希望を汲んだうえで行うものです。10人の患者さんがいれば10通りあるといっていいでしょう。
ですから、ここでもう一度、乳がん治療のキーワードは“個別化”であるとお伝えしたいです。臨床の現場では、患者さん一人ひとりの状況や希望に応じた“オーダーメイドの治療”が実践されており、その結果、治癒を得られる方がどんどん増えているのです。
2016年12月現在、新たながんの治療法として注目を集めているのは、“免疫チェックポイント阻害薬”を用いた“免疫療法”です。
免疫療法にかかる治療費は年間1,000万円以上と非常に高く、課題も多々ありますが、これまで抗HER2療法が効かず、抗がん剤治療しか選択肢がなかったトリプルネガティブ乳がんに有効性があるのではないかと期待されています。
トリプルネガティブ乳がんの治療成績を向上させるには、まずこのタイプをさらに細分化し、それぞれの治療を考えていくことが重要です。
トリプルネガティブタイプとは、他の3タイプに該当しなかった乳がん全てを雑多にまとめたものであり、その中には悪性度の高いものから低いものまでさまざまな性質のがんが含まれています。トリプルネガティブ乳がんを性質ごとにサブタイプ化し、最適な治療を確立していくことは、今後の大きな課題でもあり、また私たちが現在進めている研究のテーマでもあります。
また、今後は「遺伝子解析」も、続々と臨床の場に導入されていくでしょう。遺伝子解析により、どの薬剤が有効・無効かといった治療の選択に有用な情報が、より詳しく分かるようになります。
原発性乳がんの治療の目的は治癒(根治)ですが、再発した乳がんを根治させることは残念ながら難しく、治療目的はQOL(生活の質)の向上に変わります。
そのため、原発性乳がんの治療では、副作用を伴う抗がん剤治療などを複数用いた全身治療を行って、再発のもととなるがん細胞を徹底的に体内から消し去ろうとしているのです。
再発した場合、その腫瘍が非常に小さくても根治は困難です。発見された段階で、治療方針は“がんと共存しながら、これまでの生活を維持していくこと”に変わります。
しばしば、“再発乳がんを早期発見するために、定期的に検査を受けましょう”という言葉を耳にしますが、再発した乳がんはすでに早期がんではありません。検査を受け続けて、治療後1年で微小な転移乳がんが見つかった場合でも、治療後に検査をまったく受けず、3年後に通常の検診などで見つかった場合でも、全体としての生存期間は同じです。
ただし、残したもう一方の乳房に原発性乳がん(対側乳がん)ができる、もしくは温存した乳房内に再発する可能性はあるため、マンモグラフィを術後も行うことの有用性は証明されています。
とはいえ、日常生活に戻られた患者さんにできることは、何もないわけではありません。私は自身の患者さんに対し、治療後に心がけていただきたいこととして、次の3点を挙げています。
前項で、再発乳がんを発見するための検査は、あまり大きな意味をなさないこともあると記しました。しかし、乳がんの治療後に原発性の肺がんや胃がんなど、別のがんを発症する可能性はあり得ます。これらのがんは、早期発見されれば根治できるため、乳がんの既往の有無にかかわらず、定期的に検診を受けることが重要です。
特に乳がん治療前に痩せていた方は、治療後に急に太ってしまわないよう気をつけましょう。なぜなら、閉経後の場合、女性ホルモンは脂肪から作られるものとなり、乳がんの約7割は女性ホルモンに依存しているからです。
実際に、術後に太った人のほうが、そうではない人に比べて再発しやすいというデータも多数報告されています。
乳がんの治療後、運動していた方としていない方では、前者のほうが再発しにくいというデータもあります。運動の種類や強度に指定があるわけではありませんので、健康な方と同じように、体力や体調に合わせながら、ご自身にとって“適度”に運動するよう心がけましょう。
現在のところ、科学的根拠のある治療後のセルフケアは“太らないこと”と“運動すること”の2点であり、再発を防ぐ食べ物、食べないほうがよいものなどはありません。逆にいえば、普段どおり、お好きなものやご家族と同じものを食べても問題ないということです。
ただし、乳がんの治療後であるか否かにかかわらず、長く快活に生きていくために、過度の脂肪摂取や飲酒などは控え、健康的でバランスのとれた食事を心がけることが大切です。
東京医科大学 乳腺科 主任教授
東京医科大学 乳腺科 主任教授
日本外科学会 指導医・外科専門医・外科認定医日本乳癌学会 乳腺専門医・乳腺認定医日本消化器外科学会 消化器外科指導医・消化器外科専門医・消化器外科認定医・消化器がん外科治療認定医日本乳がん検診精度管理中央機構 検診マンモグラフィ読影認定医師
東京医科大学乳腺科にて主任教授を務める。多様性に富んだ「乳がん」の治療を専門とし、患者さん一人ひとりの病状と希望を正確に把握した上で、それに適した治療を提供することを信条としている。一人でも多くの患者さんを救うべく、トリプルネガティブ乳がんのサブタイプ化などを研究テーマとし、乳がん治療を前進させるために日々尽力している。
石川 孝 先生の所属医療機関
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